「二人のウテナ」 小黒祐一郎
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- 2013/08/10(Sat) -
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DVD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 5」ライナーノーツより
姫宮アンシーは『少女革命ウテナ』の企画の途中で生まれたキャラクターである。
企画の最初、ウテナは「どんな困難にもくじけない強さを持った人物」であり、それと同時に「快楽主義者で、色々な男性と愛し合い、それぞれの子供を産んでしまうような大陸的な大きさを持った女性」と考えられていた。 そんなウテナが男装の戦士となり、何人もの素敵な男性達と恋愛していくというのが、企画初期での『少女革命ウテナ』のイメージだった。 キャラクターデザインのさいとうちほ先生の作品にインスパイアされ、宝塚歌劇の世界を意識した内容だった。 「どんな困難にもくじけない強さ」と「快楽主義者であり……」の、二つの傾向がウテナに込められるはずだったが、幾原監督は企画作業の途中でそれを一人の人格にまとめることはできないと判断し、その結果、もう一人の主人公のアンシーが生まれる事になった。 二つの傾向の前者がウテナに、後者がアンシーに与えられたというわけだ。 アンシーが生まれるのと同時に、この企画を「この二人の少女の関係性」の物語にしたいと幾原監督は提案した。 自由奔放に色々な男性と恋愛し、関係してしまう女の子と、それを嫌だと思う女の子の、二人の関係を描きたいという事だった。 勿論、この段階では「薔薇の花嫁」の設定は、まだ考えられていなかった。 やがて企画は一段落して、物語作りが本格的に始まった。 実際の物語では、ウテナは「どんな困難にも負けない強さ」を持っているのかもしれないが、普段はそんな強さをあまり見せぬノンビリとしたキャラクターとなったし、アンシーは「薔薇の花嫁」となった。 「薔薇の花嫁」としてのアンシーは、最初に考えられていた「快楽主義者であり……」とは逆の存在なのだろうか。 いや実はそうではなく、同じ「女性」というものを違う角度から描いただけなのだろう。 「女性ならではの快楽主義者」がポジだとすると、そのネガが「薔薇の花嫁」なのだ。 「どんな困難にもくじけない強さ」と「快楽主義」。 最初は一人の人間に込められるはずだったこの二つの傾向は、『少女革命ウテナ』の物語の中で、そのままウテナとアンシーの対立となって残っている。 すなわち、「薔薇の花嫁」であり続けようとするアンシーと、それを否定しようとするウテナである。 スポンサーサイト
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「肉体都市と時計の神秘」 キャストコメント
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- 2013/08/08(Thu) -
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川上ともこ(天上ウテナ)、渕崎ゆり子(姫宮アンシー)、子安武人(桐生冬芽)、草尾毅(西園寺莢一)
三石琴乃(有栖川樹璃)、久川綾(薫幹)、白鳥由里(桐生七実)、矢島晶子(石蕗美蔓) 今井由香(篠原若葉)、川村万梨阿(影絵少女A子&千唾馬宮)、こおろぎさとみ(チュチュ&影絵少女B子) 渡辺久美子(影絵少女C子)、本多知恵子(薫梢)、西原久美子(高槻枝織)、中川玲(苑田茎子) 高野直子(脇谷愛子)、本井えみ(大瀬優子)、鈴木琢磨(鈴木)、石塚堅(山田)、吉野裕行(田中) 結城比呂(ディオス)、小杉十郎太(鳳暁生) 最終回のアフレコを終えた直後の上記キャストのインタビュー LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 11」封入特典・解説書より ● 川上ともこ(天上ウテナ) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 川上:私の人生今日で終わりかな~って感じです。もお、精根尽き果てたぞと。もお、なんか感動でした。はい。 ――最終回の終わり方についてはどう思いました。 川上:結局『少女革命ウテナ』という作品で、ウテナが革命したものっていうのは、アンシーだったのかなって思うんです。アンシーの心が動かされて、人間らしさを取り戻していったというか。 周囲の人もみんな変わりましたよね。ウテナが頑張ってきたことで、変わっていったのは周りの人の心なんだなあ。 それで暁生さんだけは変われなかったというか。お話の構造的には暁生さんがいちばん可哀想だと思うんです。 暁生さんはなんていうのか……大人なんですよ。 もう青春が終わっちゃってるっていうか、そういう感じなんですね。 そこがウテナと暁生さんの違いだと思うんです。 ――シリーズを通して『ウテナ』という作品にはどんな印象を。 川上:私にとっては、主人公のウテナと一緒に命を燃やして頑張った作品ですね。 今までやってきたいろんな作品も勿論、頑張ってきたんですが、自分がお話の中心になるっていうのが初めてで、魂燃やしてやりましたっていう感じでしたから。 この作品の終了とともに私の人生が終わってしまうような感じがね(笑)。 きっと見てくれている人も、一生懸命なウテナが好きだったと思うんですよ。 こいつクサイなあと思った人もいるかもしれないけれど、私はそういうウテナが好きでした。 彼女とつきあって、自分はなんて汚い人間だったんだろうなって考えさせられたり、純粋な気持ちというものが絶対に大切なものだということを再確認したり、 自分を見つめ直すことができた1年でした。 ● 渕崎ゆり子(姫宮アンシー) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 渕崎:最後はどうなるんだろう、どういう終わり方をするんだろうってずっと気になっていました。 ハッピーエンドになるよと幾原監督から伺っていたんですけれども、でも、実際の最後を見たら「ああ、こーきたか」と思いましたね。 始まってから終わるまで、どんどんどんどんどんどん奥が深くなっていって、最後までどんでん返しがあるお話だったなという印象があります。 ちょっと大人の物語だとは思うんですけども、子供さんにも奇妙な夢を(笑)与えてあげられる作品なのかなと思いました。 私は、このウテナワールドが好きだったんで、終わってしまうのは残念なんですけども、次の展開があるかな? という期待感を残しながら終わったのが嬉しかったです。お疲れ様でした。 ● 子安武人(桐生冬芽) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 子安:僕、一番最初に、このキャラクターはいったいどこまでが地で、どこまでが自分の考えで動いているのか分からない人間だなって思ったんですけど……その通りでした。 ええ、自分の意志というよりも暁生さんへの憧れで、暁生みたいになりたくて、姿形を真似してるみたいなところがある。 それで、あんなふうにプレイボーイを気取っていたんでしょうね。 結局、冬芽も不器用なやつだったわけで、それに関してはホッとする反面、うーん、やっぱり人間だったのかと思いました。 僕も弱い人間なんですけども割と強がりな方なんで、冬芽にも強がりを通してほしかったというか、あまり弱いところを見せないでほしかったという気持ちが若干あるんですよね。 ――演技に関しては。 子安:僕はかっこいい役とか二枚目の役とかは多いんですけども、冬芽のようなプレイボーイで女の子を手玉にとるような役は実はやったことがなくて、新鮮でしたね。 語尾に「なんとかだぜ」って、「ぜ」がついたり、一人称が「オレ」のキャラクターを演じたことは一度もなかったんですよ。 だから、ドキドキしましたね。楽しかったです。そういう意味では。 ● 草尾毅(西園寺莢一) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 草尾:1話ごとに、お話の中にいろんな謎掛けみたいなものがあって、それが最終回であかされていくという、そういったシリーズならではの作り方が印象的でしたね。 ――演じられた役に関しては。 草尾:もうちょっと出番があってくれると嬉しかったですけどね(笑)。 ただ、西園寺君も途中で冬芽に裏切られたりとか、いろんなドラマがあって、パターン通りの二枚目ではなくて、その内面には色々なことがあって、演じていてとても楽しいキャラクターでした。 ――何か印象的だったことは。 草尾:やっぱり第1話! あの時に颯爽と登場してきたカッコイイ彼は、その後、どこへいっちゃったんだろう(笑)。 その辺の落差みたいなものがね、うまく、見ている方々に伝わっていれば嬉しいですね。 それから僕の芝居から「もうちょっと、作品に出たい」という西園寺の気持ちを、見ている方々が感じとってくれると嬉しいな。 ――演技にそういう想いをこめたんですね。 草尾:ええ。それで「ああ、もうちょっと西園寺の活躍がみたい」って思っていただければ、とても嬉しいですね。 ● 三石琴乃(有栖川樹璃) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 三石:『ウテナ』の世界は、私のような一般庶民からすると王宮の中の出来事という感じがします(笑)。 「こんな学園どこにあるんだい」って思うぐらい素敵な世界でしたね。 ただ、何が起こっているのかはよく分からないことが多かったです(笑)、ドラマやセリフで全部を説明しているわけじゃないので。 ある意味不親切でもあるけど、それはこちらに託された部分でもあるのかなと思いつつ、いつか分かったときに「なるほど…。」となればいい、 結論を急ぐ必要はないんだろうって思っています。 ――樹璃に関しては。 三石:「これでいいんですか、監督?」と、毎回、不安を感じながらも、自分にとっての新境地を開拓しようという気持ちで頑張りました。 ――手応えはどうしでしたか。 三石:手応えはですね。お当番の回(樹璃が主役の回)は、かなりいい手応えでしたね。 あの時は、彼女を理解できたような気がしたし樹璃は普段、押さえた芝居が多かった分だけ、出るときにぶわーっとエネルギーが出るんだなあって思いました(笑)。 ● 久川綾(薫幹) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 久川:長いようで短かったなっていうのが正直な気持ちです。 TVの前で見ている方々が、作り手側の作戦に乗せられて、手のひらでコロコロコロコロと転がされていたと思うんですけど、 演じている私も最後まで結末が分からなかったので、やっぱり、作り手側に転がされましたね。 ――何か印象に残ったことはありましたか。 久川:笑いのとり方が非常に独特でおもしろかったのが印象的でしたね。 七実ちゃんの回が必ずお笑いの話だったでしょ。あれがおかしくて、毎回毎回笑わせていただきました。 幹に関しては物語の中で、可もなく不可もなく成長できたと思います。 自分としても役柄として確立できたかな、あんまし自信ないけど(笑)。 ――グーでしたよ。 久川:いえ、とんでもない。初めての男の子役のレギュラーだったんで、ドキドキだったんですよ。 終わって……すごくホッとしました(笑)。 これから自分の芸暦書の代表作の欄に幹と書けることがすごく嬉しいです。ありがとうございました。 ● 白鳥由里(桐生七実) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 白鳥:全体を通して、各キャラクターたちが自分の殻をいかに破っていくかというのがテーマだったと思うんですけど。 七実もちゃん成長して、自分を革命できたのではないかと思っているのですが。 ――ユニークなキャラクターでしたが。 白鳥:こういった役をやらせていただいたのは初めてだったので、始まった頃は、私がこのキャラクターのおもしろさを100%生かしきれるかなって思っていたんです。 終わってから振り返ってみると、楽しくやれたし、私なりの七実像というのがつくれたんじゃないかと思います。 ● 矢島晶子(石蕗美蔓) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 矢島:私が出る回は七実様が主役の回で、いつもギャグ話だったので、ホントの『ウテナ』がどういう話だったのか、あんまり分かっていなかったんです。 今日の最終回のアフレコでは、いつもの雰囲気と違うのでちょっとびっくりしました(笑)。 ――石蕗君については。 矢島:とてもいい役でしたし、白鳥さんのお側につけて、しあわせだったなあと(笑)思いました。 今日もちゃんと出番もありましたし、ありがとうございました。 ● 今井由香(篠原若葉) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 今井:ふつうは、ある程度話数が進むと、自分の役柄やストーリーがつかめてくるものじゃないですか。 だけど、この作品では台本を読む度にいつも新鮮な感じがして、後がどういう風になるのか楽しみでした。 自分の役だけじゃなくって、ウテナやアンシーは勿論、生徒会のみんなとか、それに関わっている人たちがどうなるのか気になりました。 若葉に関しては、ずっと楽しく演じられたんですけど、もう少しウテナと一緒に出られたらよかったなって思います。 ――最終回については。 今井:最終回の台本読んだとき、これ(廊下で後から女の子に抱きつかれること)って若葉がウテナにやっていたものだなって思って。 今度はやられる立場になるんだなって、ちょっと複雑な気持ちで演じました。 でも、終わり方がすごく明るい感じで良かったって思いました。 ● 川村万梨阿(影絵少女A子&千唾馬宮) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 川村:第1話と最終回の印象がこんなに違う作品は初めてです。 第1話で少女歌劇風、宝塚風の華麗な感じでいくのかなって思ってたら、こんなにも哲学的なラストを迎えたのでびっくりしました。 でも、哲学的ながらも華麗で少女チックで、最後になんだか美しく希望が見えたので、泣けてしまいました。はい。 ――馬宮も演じられましたが、馬宮については。 川村:馬宮に関しては、アンシーや暁生さんに似ているから、同じ一族なのかなって思っていたんです。 正体がアンシーだったのには「やられた!」って思いました。「私が今までたてていた演技プランはどこへ?」って(笑)。 でも、男の子役って今までは、ほとんどやったことがなかったので、すごく勉強になりましたし、楽しくやらせていただきました。 ――影絵少女に関してはいかがでしたか。 川村:影絵少女は、これはもう私の代表的なキャラクターになるであろう役だと思っています。 影絵少女のシーンって、すごく舞台っぽいじゃないですか。 要求される演技もアニメ風というよりはアングラ風芝居だったので、ノリにのって、こおろぎさとみちゃんと悪巧みしつつ……、悪巧みしすぎて「そこまでやらんでいい」と毎回のように言われてたんですけども(笑)。 このように舞台のテイストをアニメーションに取り入れるというのは、すごく意義のある、おもしろい試みだったと思います。 ホントに毎回毎回、次はどんな台詞、どんなシチュエーションが出るのかなと楽しみでした。 ● こおろぎさとみ(チュチュ&影絵少女B子) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 こおろぎ:不思議な話だったと思います。何だか不思議で、幻想的で一言では語り尽くせない。 でも、そういうことはおいといて、チュチュは全体の話の流れとあまり関係のない世界をもっていたので、楽しくやらせていただきました。 ――影絵少女についてはいかがですか。 こおろぎ:影絵少女は、幻想的なお話の水先案内人みたいで、ちょっと空回りしているような存在で、実はその話数ごとの真髄をついていたというところを、皆さんに見ていただけたらなって思います。 もし、作品の内容がわからなくなったら、影絵少女を見ればいいと、「分からなくなったら影絵を見ろ!」ですね。 それで、影絵を見て余計に分からなくなりましょう(笑)。というような、楽しい世界ですね。 ● 渡辺久美子(影絵少女C子) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 渡辺:途中からの参加で、しかもいきなりC子だったんで、わけ分かんないまま始めて、ずっと分かんなかったんですけど(笑)。 C子は1人で台本2ページ分を一気に喋ったりするんですよ。 しかも、1カット、1カットを違う役をやったりしたんで。 ――C子の1人芝居は、一度に録音してたんですか。 渡辺:最初は音響監督の田中さんが「別撮りにしようか」って親切に言ってくれたんですよ。 それを「いえ、大丈夫ですよ」って言っちゃったんです。 その次からは、別々にやらせてくださいとお願いしても、「だめ」って言われて(笑)。 ――それは大変でしたね。 渡辺:至らないところがあったかもしれませんが、こんな風に何役もできることは無いんで、勉強になりました。 それから、最終回の予告で「絶対運命黙示録」と言えたのが嬉しかったですね。 ずっと使われてきたこの言葉は重みがあるはずなのに、最後にあんな風に軽く「はいはい、絶対運命黙示録」と言ったので、気を悪くした人もいるかもしれませんが。 それは、幾原監督がそうやってくれと言ったことなんで、あたしにゃ、何の責任もないです(笑)。 ● 本多知恵子(薫梢) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 本多:第一印象は「変!」でしたね。 私はセミレギュラーなので数回しか出ていないんです。でも、放映日に家に居るときには観て、結構、ハマるなあって思っていました。 でも、分からない部分があるんですよね。私の梢って役にしても、自分でやっていても分からないことが一杯あるんです。 その分からないところは、人の奥底にある分からない部分じゃないかしらって思うんです。 確かに世の中って分からないことだらけだから、人間の奥底の分からない部分も分からないなりに素直に表現したら、ああいうふうになるんじゃないかと思います。 ――梢を演じるうえで気をつけたことは。 本多:梢のキャラクターをどう考えるかということよりも、梢って役がこの作品全体の中でどんな位置にいるのかっていうのを考えて演じましたね。 ● 西原久美子(高槻枝織) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 西原:枝織ちゃんという役をやらせていただきました。 ホントに不思議な世界で、くーちゃん(渡辺久美子)の言うように、最初は何が何だか分からなかったんですが、分からないなりに、一応、こうなのかなって考えてやらせていただきました。 今日の最終回で、樹璃さんと部活をやっていたじゃないですか。どうなったんでしょうね……。 友情が芽生えたのかしら?違う方面に芽生えたのかな? そのへん、よく分かんないんですけど。 ――謎ですね。 西原:謎ですね。じゃあご想像におまかせしますっていう感じですか? ああっ、ごめんなさい、分かってないんですぅ(笑)。 ――枝織を演じるにあたって、何か気をつけたことはありますか。 西原:私にしては珍しく、シリアスな役どころだったんですね。 アニメでシリアスな芝居をすることが、あまりなかったのですごく勉強になりました。 ● 中川玲(苑田茎子) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 中川:出番の無いときも、ずっと見学させていただいたので、だいたいのあらすじは、理解しているつもりなんですが、やっぱり分からない部分があって、 幾原監督にお聞きしても、「さあ…」とか「僕も知らないなぁ…」っていわれたりしたんですが、自分なりに「ああ、こういうことなのかな?」って、納得しているんです(笑)。 茎子さんは3人組のなかでも、少し冬芽さんとおいしい所があったりとか、ウテナと闘わせていただいたりとか、すごく勉強させていただきました。 ――他に何か印象に残ったことがありましたか。 中川:茎子さんがデュエリストになった21話の、30分喋りっぱなしっていうのはホント初めてで、メチャメチャ緊張しました。 でも、自分がやりたかったこと、やりたかったタイプのお芝居、言いたかったセリフがいっぱい入っていて、気持ちよくやらせていただきましたし、楽しんでやらせていただきました。はい。 ● 高野直子(脇谷愛子) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 高野:私は『ウテナ』のアフレコにきたのが、久しぶりなんですよ。 今日の最終回で久しぶりに来たら、お話が分からなくなってしまっていて、「うーん、この戦いは何?」という感じになってしまいました(笑)。 ――ご自分の役で印象に残ったことは。 高野:3人組の中のどれが自分の役か分からなくことがよくありました(笑)。 黒い髪で、外側くるりんの、ショートカットが愛子ちゃんなんですよね。 いつも3人で行動してたのに、21話で、急に茎子ちゃんを裏切ったみたいな展開がありましたよね。 それで、愛子ちゃんというのは性格が悪いんだなって思いました。 自分の意見を持っていない子なんでしょうか。そういう子はいけませんね(笑)、と思いました。 ● 本井えみ(大瀬優子) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 本井:最初に『ウテナ』に参加した時には、「まあ、なんて華やかなアニメかしら」って思ったんですよ。 その時は3人でアンシーをいじめる役だったので、「あっ、自分の役は上流階級のお嬢様っぽくて、ねちねちと意地悪するのかしら」って思っていたんです。 でも、途中から3人が出るお話がギャグっぽくなって、私達もすっかりギャグ担当になって、象に追っかけられたりして(笑)。 でも、『ウテナ』本編はどんどんシリアスになっていって、人間のイヤな部分を掘り下げていくようになっていって、「わあ、これ、こわいわねえ」と思っていました。 3人組が仲間割れした話とかも、女の子の恐い部分が出ていましたね。 どういうアニメなのか、つかみどころが無いとも思っていたんですけど、今回の最終回はすごい感動的で、アンシーが救われたっていう感じで、良かったと思いました。面白かったです。 ● 鈴木琢磨(鈴木) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 鈴木:僕たちは、七実さんと絡んだ話、シリーズの流れから外れた話のときにでてましたよね。 だから、『ウテナ』を今回の最終回のような作品としては、僕らはとらえていなかったんですよ(笑)。 ……で、印象ですが、まあ、楽しかったです。いつも歌わせていただいて……音程ずれてたんですけど(笑)。 ――歌というと、あの、「カレー、カレー、カレー」というやつですね。三人で練習したりしたんですか。 鈴木:やってるんですよ。スタジオの廊下で練習している時にはうまく合うんですけど、いざマイクの前に立つと、なかなか思うようにいかなくて。 ――カエルもやられていましたよね。 鈴木:今日の分はやりました。 ――今までのカエルは、鈴木さんがやっていたんじゃないんですか。 鈴木:違います(笑)。前のはりつけにされちゃう時(第28話)は、たぶん、吉野君がやっていたのかな。 僕はあの時ニワトリをやっていたんですけど。 ――じゃあ、カエルは今日が初めて。 鈴木:初めてです。難しかったです。チュチュと仲が良かったんですね、カエルって。 ――その前にも出てるんですよ。 鈴木:あっ、そうなんですか。なるほど、なんでチュチュとカエルが涙しているのか分かんなかったんですけど。 そうだったんですね。幾原監督から、もっと擬人化してくれって言われたんで、鳥獣戯画みたいなのかなって思ってやりました。 ● 石塚堅(山田) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 石塚:山田が出てくる回っていうのは、コミカルな時ばっかりなんで、最終回でやっとシリアスな話に参加できて、「あっ、これがウテナの本筋なのかな」っていうのが分かりました。 分かったっていっても、ちょっと分からないところもありましたけれどね。 最後に参加したので嬉しかったなって(笑)。 ――他にシリーズを通じて印象的だったことは。 石塚:そうですね。鈴木、山田、田中の話なんですけど、一人ずつ、どんどん音階が上がっていくようなセリフ回しがあって、それが印象に残りましたね。 ――先程、鈴木さんにもお聞きしたんですが、外で練習したんだけど、本番では上手くいかなかったとか。 石塚:そうですね(笑)。鈴木役の鈴木琢磨さんがリーダー格で、3人で練習を一生懸命やったんですけど、本番ではメロメロ(笑)になっちゃう。 ――他に何か印象的だったことありますか。動物で演じたとか。 石塚:ああー、一応、亀もやらしてもらったんですけど(笑)。 鳴き声が分からなかったんですね。他には野球の審判とか……、男子学生Bとかやらせてもらいました。 ● 吉野裕行(田中) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 吉野:シリーズとしての『ウテナ』という作品がとにかく不思議だったなって……。 普通じゃないところが面白かったですね。 ――自分のお仕事としては。 吉野:3人組の歌が、あまりうまくできなくて……。 でも、見てくれる人が音が外れるのが面白いっていってくれるのなら、それで良かったなって思いますね。 ――山田役以外に何か役はやられましたか。 吉野:僕もやっぱり、その他の生徒の役だとか、カエルとかをちょこっとやらせてもらいました。動物も難しいなって思いました。 『ウテナ』の世界観に合った動物というと変ですけど、そういう部分が難しかったですね。 ● 結城比呂(ディオス) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 結城:参加する前に、アニメ誌などで記事を見させていただいて、反響がものすごくある作品ということは前もって知っていました。 独特の雰囲気のある、監督の世界観といいましょうか、そういうことの上に成り立っている作品だということも聞いてました。 アフレコ現場にきても、やはり非常に難解な奥の深い作品だなって感じましたね。 ――演じたキャラクターについてはどう思いましたか。 結城:ディオスが、暁生の若い頃だということは聞いていたんですが、シチュエーションなどで分からないことがあって、いろんな人に聞いてみたんですが、みなさん「分からない」というのが結論なんです。 僕がディオスに関して抱いた役柄のイメージは、理想像みたいなものでした。 理想像というのは、ウテナたちの……偶像とまではいかないでしょうが、実在した人なんですから。 ただやっぱり、ソフトフォーカスのかかった世界といいますか、曖昧な世界にいる、きれいな、清潔なピュアな感じなんじゃないだろうかって勝手に思って演じさせてもらいました。 ● 小杉十郎太(鳳暁生) ● ――最終回のアフレコを終えて、この1年を振り返ってみていかがですか。 小杉:僕は途中から参加したんですが、ホントに摩訶不思議な番組で、摩訶不思議な役で、どういう風になっていくのかというのも全然分からなかったんです。 実際、今日の最終回でも「おお、こういう風になったわけ」と、やっている僕も全然展開が予想できなくて、そういった意味ではどうなっていくのかが、すごく楽しみでしたね。ええ。 ――最終回の終わり方についてはどう思いましたか。 川上さんは暁生が大人だったからああいうかたちで終わったのではと言っていましたが。 小杉:今日、革命できなかったわけですけど。 鳳学園に暁生はまだいるわけなんで、また、薔薇の花嫁が現れて、またウテナみたいな、この子なら革命できるんじゃないかっていう子が現れたりとかそういうことはあるかもしれませんよね(笑)。 シリーズは終わったんだけど、この先、暁生はどうしていくんだろうっていうことには興味ありますね。 ――暁生についてはどうお考えでしたか。 小杉:摩訶不思議な人ですよね。何を考えているのか良く分からなかったですしね。 最初の頃は本当につかめなかったけれど、まあ、だんだんやっていくうちに、僕なりにつかめてきました。 ――暁生をどういう人物だと考えていらしたんですか。 小杉:まあ、わがままな人ですよね。 (1997年12月2日) |
自身による収録作品解説:黙示録編
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- 2013/08/03(Sat) -
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徳間書店 アニメージュ文庫「少女革命ウテナ脚本集・下 薔薇の刻印」巻末収録
脚本集収録各話(34、37、38、39話)担当脚本家・榎戸洋司による解説
● 第34話「薔薇の刻印」 ●
――おもちゃと同じだよね。“やがていらなくなる為に”、それは必要なんだ。 天上ウテナの指を飾る薔薇の刻印は、彼女にとっての“王子様”を両義的なものにしている。 王子様に近づく、という動機は、その言葉の曖昧さそのままに、恋愛対象としての“彼”に接近する行為と、自身が王子様になろうとすることを混同させているのだ。 崇拝対象への模倣。形から目指すことが人の本質である。 この“少女によるミメシス”は、王子様というイデアを浮き彫りにするための仕掛けだ。 いまだ語られざる、それは薔薇の物語。 第34話から、第4部「黙示録編」がはじまる。物語は、以後、最初から定められた終局の一点を目指して進んでいくことになる。 すなわち、少女革命。 第34話「薔薇の刻印」では、ウテナと王子様の出会いが描かれる。 詳細をここで話すことは控えるが、あの第9話での回想(教会のシーンね)の続きだ。 それはしかし、ウテナの中で、すでに失われた物語なのかもしれない。 けれど、薔薇の刻印は、今もウテナの指にある。なにかを見失ったとき、彼女を支える力になっている。 それはおもちゃではない。 ところで、革命とは、支配されている者が、その支配のシステムを破壊することである。 少女革命とは、だから少女が、少女を支配するものから自由になる物語だ。 作中における“王子様”は、実は、少女を支配するものとして設定されていた。 王子様、というのは、女の子がお姫様になるために必要な装置である。 それは関係性の儀式でしかない。 けれど女の子が女の子であることも、実は儀式でしかないのだ。 最後の決闘の末に、ウテナは“世界の果て”になにを見出すのか……。 (アニメージュ97年12月号掲載『薔薇の刻印』一部改稿) ● 第37話「世界を革命する者」 ● 一度は薔薇の刻印をはずしたウテナ。 「暁生さんみたいなカッコイイ人とデートできるなんて、ホント、女の子冥利につきますよね」 ウテナは暁生への恋から“女”になってしまったようだが、実は、王子様の気高さを失ってはいなかった――あるいは取り戻す、という話。 後半の、幹、樹璃との会話シーン。初稿では、ただ会話をしているだけだったが、監督が、ウテナたちの気持ちのやりとりを、なにかキャッチボールのようなもので表現したいという要望があり、打合せた結果、バドミントンになった。 演出がいい。 愛されることより愛することの豊かさに気づいたウテナ、幹、樹璃、七実たちの、共感のアトモスフィアが見事に映像化されている、と感心した。いや、脚本家冥利につきます。 アンシーとの会話で、ボルジア家の毒、カンタレラが出てくるのは、暁生のキャラクターのモデルのひとつとしてチェーザレ・ボルジアを使っているからです。というわけで、暁生の誕生日の設定は、チェーザレ・ボルジアと同じ日になっています。 ● 第38話「世界の果て」 ● 作中でも言ってるけれど、暁生はデュエリストではない。 だから、薔薇の刻印もしていないし、名前に植物の器官名もついていない。 だから、自分に与えられるあらゆる肩書きが、“所詮は肩書きでしかない”ことを知っている。そして“世界の果て”を自称する。 主人公・天上ウテナの最終的な敵である“世界の果て”とは、いったい何者なのか? “世界の果て”の前身であるディオスについての、企画時の構想は以下の通りである。 [ディオス・プレストーリー] 見知らぬ都市で。 不幸な境遇にあって、孤独な生活を強いられているひとりの少女がいた。 その少女を薄汚れた街の底から救ってくれたのは、やさしく、力強く、美しいディオスという若者だった。 以後、少女は、ディオスに“妹”として育てられることになる。 「これから僕たちふたりは、ずっと一緒に、助け合って生きていこう」 少女にとって、ディオスは、世界の全てとなった。 その世界の中心には、“革命の塔”と呼ばれる塔があった。その、禁断の聖域である最上階。そこにたどりつければ、世界を救う力――都市に徘徊する魔物を一掃する力を得ることができるという。 しかし、いまだかつて、そこに足を踏み入れることができた者がいなかった。 かねてから世界を救うという大義のために生きていた彼は、ある朝、ついにその塔の高みへと挑んでいった。 そしてディオスは、ついに、不可能と言われていた塔の最上階、禁断の階層に足を踏み入れる。 それは彼がデュエリストであるにしても、どれほど並外れた者であるかの証でもあった。彼に無理であるなら、およそ他の誰にも、この最上階へのぼることは不可能だっただろう。 だが、ディオスであってすら、ただ無事に、そこにたどりついたわけではなかった。 最上階へ入るために、彼は彼自身の“理想を追う心”を捨てねばならなかった。それが、真理を知り、力を手に入れるための、絶対の条件だったのだ。 “理想を追う心”を捨てたディオスは、しかし、すでにもとのディオスではなくなっていた。力を手に入れ、この世界の王となった彼は、もはやそれまでの彼を知るものにとっては、まったくの別人と言ってもよかった。 だから―― 不安な思いで帰りを待つアンシーの前に、二度と再び、あのやさしいディオスがもどってくることはなかった。 塔の最上階で、いったいなにがあったのか。 どうしたわけか、そのときを境に、以後“その世界”は完全な闇に覆われることになる。魔物たちは消えるどころか、さらに勢いを増し跳梁するようになった。 魔物を払拭することを目的としていた彼は、しかしいまや、その魔物をあやつる、魔族の王となっていた。 そして残されていたはずの少女も、それから幾日もしないうちに“その世界”から姿を消した。 ……いま読み返してみると“世界の果て”は、つまり“普通の大人”ってことか。 暁生の車に乗ったデュエリストたちは、なにを見せられたのか? たぶん、たいしたものじゃないんだろうな(笑)。 理想だけで現実は渡っていけないことを認めるのに、ずいぶん時間のかかってしまう人はいる。現実を知らない(認めない)言葉だけで、世界を語りつくせるのではないかと。 大人は汚い、とかいうのは簡単だ。 けれど、手を汚すことを自覚する魂が、人間性を豊かさに深く関係しているのも確かだ。 そして描くべきもの――セクシャリティと人間性は、不可欠にしてひとつである。 だが―― 現実を越える理想が現れたとき、そこに革命が起こる。 だから僕たちは、天上ウテナという少女を描いた。 勝てるわけがないと知りつつ、彼女に戦い抜いてほしいと思った。 ウテナはアンシーのすべてを受け入れた。 おそらくこのキリストは、鶏が鳴く前に、アンシーが三度ウテナを知らないと言うことを知っていたのだろう。 大人の汚さを嫌う安易さに比べて自身がそれに染まらずにいるのは難しい。同様に、人を好きになるのは簡単だが、裏切った人を許すのは難しい。 主人公のウテナ以上に、世界の果て/暁生を描くことの子細にこだわった意味は、今日という日に、僕たちがすべき鏡像だからである。 ● 最終話「いつか一緒に輝いて」 ● ラストシーンは、シナリオでは雪が降っている。 実は打合せの段階から、アンシーが旅立つときは、できれば希望的なイメージの美術にしたいということだったが、結局そのシークエンスのヴィジュアルは絵コンテ、演出におまかせということで、シナリオ上は雪のままにしておいた。 この最終話は、みんなと一緒に、スタジオのTVで観た。 おりしもクリスマス・イブの放映で、聖夜にオンエアなんてサンタクロースの気分に浸れるかな、などと思っていたが、ラストシーンの音楽が流れる頃には、僕こそが一番のプレゼントの受け手の気分だった。 関係したすべてのスタッフの皆さん、そして応援してくれたファンの皆さんには、本当に感謝しています。 ありがとうございました。 多くの優秀なスタッフに恵まれて、脚本家としては、もう思い残すことはありません。 ――もちろん、情熱だけはまだ冷めないけれど(笑)。 |
第39話「いつか一緒に輝いて」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第39話「いつか一緒に輝いて」 解説
放送年月日 1997年12月24日放映 スタッフ 脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ 演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也
そして、最終回。最終回はオープニングはなく、冒頭からドラマが始まるというスタイル。エンディングも新作で、サブタイトルがラストに出されるという凝った構成。
幻影を映し出すプラネタリュウム=決闘場を舞台にして、シュールともいえる「表現」を全面に出しつつも、むしろ、どこかストイックだった居間までのエピソードとは違い、しっとりとそして感動的に、ウテナとアンシーのドラマを描く。 人の憎悪に光る「百万本の剣」とは、この世界の「残酷」の結晶なのか、王子様が女性に与えるものは「お姫様」のポジションでしかないのか。「ひたむき」であることに価値はないのか。 ここで語られるのは、世界であり、ジェンダーであり、自分の殻を破ること、すわなち革命である。 キャラクタードラマ的には、暁生を一方的に悪役として描かず、むしろ、彼の立場もある程度肯定的に描いていることが面白い。彼は、むしろ、ごく普通の「大人」だったのかもしれない。 最終回放映当時に幾原監督は「自分が信じることをやりとげようとして消えてしまったウテナも、居心地のいい世界に留まろうとした暁生も、大変なリスクを背負うことを承知で新しい世界に旅立ったアンシーも、どれもみんな、今の僕であり、僕の気持ちだよ」と語っている。 『ウテナ』は「大人」と「これから大人になる者」の物語であったのかもしれない。 メタフィクション的にも、この最終回は興味深い。 決闘場も、そこに出現する様々な現象も、全てがプラネタリュウムが映し出していた幻影だったことが第38話で判明しているにも関わらず、その決闘場に現れた「百万本の剣」が、決闘場もプラネタリュウムも破壊してしまい、そのために現実世界でウテナは行方不明となってしまう。 何が現実で、何が幻影なのか。どこまでが物語で、どこまでが表現なのか。 その虚実一体となったところがまた、『少女革命ウテナ』の醍醐味なのだろう。 最終回は、歌に関しても話題が多い。合唱曲「ミッシングリンク」は特に最終回のためにJ・A・シーザーが新作した曲。 最終回の内容に合わせて作られているため、他のエピソードの合唱曲よりも作品のないようにあったものとして仕上がっている。 この回のみのエンディング曲「rose&release」は、オープニングテーマ「輪舞 ―revolution」の元になった曲である。この曲に変更が加わり、詞がついたのが「輪舞 ―revolution」なのだ。 オープニングテーマ制作中にこの曲を聞いた段階で、幾原監督は最終回で使おうと決めていたそうだ。 勿論、ここで使われているのは元曲そのものではなく、あらためて作曲し直し、録音し直された曲である。 以下、些末なことについて説明しておこう。 エピローグで、廊下で若葉に抱きついた女学生は、第1話冒頭に登場して若葉に「ハハア~ン、あんた、フラレたわね」と言った女の子と同一人物だ。 七実がお茶を淹れるのに使っている魔法瓶は、第20話「若葉繁れる」で、若葉が使っていたのと同じカッパのかたちをしたもの。 アンシーは学園を去る前に、暁生の部屋に眼鏡を置いていったが、チュチュは同じようにネクタイとピアスを置いていった。 彼は、アンシーへの好意から、彼女が愛する暁生のコスプレをしていたのだ。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 11」封入特典・解説書より) |
第38話「世界の果て」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第38話「世界の果て」 解説
放送年月日 1997年12月17日放映 スタッフ 脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:金子伸吾 作画監督:林明美
全ての決着をつけるために決闘場へ向かったウテナとアンシーを待っていたのは、鳳暁生だった。彼こそが、ウテナが出逢った王子様であり、かつてのディオスであり、「世界の果て」だったのだ。
暁生は「現実」という名の「世界の果て」をウテナに見せる。 デュエリスト達が夢みていた天空の城も、決闘場も実在はせず、全てはプラネタリュウムが映し出していた幻だったのだ。そして、彼は、もはやウテナの魂が純粋ではないことを指摘する。 ウテナが現実に直面しつつも、王子様になることを改めて決意した瞬間に、ディオスの像は砕け、王子様がいると思われていた天空の城が崩壊し始める。 だが、彼女は自分が守ってるつもりだった薔薇の花嫁によって、その身を剣で貫かれてしまった。 それも「現実」であり、「世界の果て」なのだろうか。 「革命」という名の最後の決闘は、ウテナの気高さが試される決闘なのかもしれない。 これが最後となる次回予告は、今までのようなウテナとアンシーの掛け合いではなく、影絵少女A子、B子、C子によるものだった。 「どうせ、アニメでしょ」というクールなセリフは、むしろ、これは現実的な物語なんだよという意味なのだろう。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 11」封入特典・解説書より) |
第37話「世界を革命する者」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第37話「世界を革命する者」 解説
放送年月日 1997年12月10日放映 スタッフ 脚本:榎戸洋司 絵コンテ:風山十五 演出:桜美かつし 作画監督:たけうちのぶゆき
クライマックス直前。
ウテナ、樹璃、幹のバドミントン、冬芽と西園寺の自転車二人乗りと、それぞれのキャラクターの見せ場が用意されたオイシイ話である。 暁生とアンシーの間で、そして、「女の子」と「王子様」の間で揺れるウテナの心、彼女は、薔薇の刻印の指輪を外してしまう。それは、気高さを失ってしまったためなのか、それとも、自分にとっての大切なものを確認するためなのか。それをした結果、彼女は気負いなく「自分の生き方は王子様ごっこだ」と言えるようになったのかもしれない。 ウテナに対して気軽に「あなたが気になる」と言うことができるようになった幹。 「自分の気持ちは、どうして自由にならないのかな」と、冷静に自分を見ることができるようになった樹璃。 それぞれが少しだけ成長したということか。 ウテナとアンシーの濃密なドラマも、見所。互いに相手が口にするものに毒を入れたと言うシーンは圧巻。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 10」封入特典・解説書より) |
第36話「そして夜の扉が開く」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第36話「そして夜の扉が開く」 解説
放送年月日 1997年12月3日放映 スタッフ 脚本:月村了衛 絵コンテ:錦織博 高橋亨 演出:高橋亨 作画監督:田中孝弘
冬芽の前後編の後編。前半はしっとりした冬芽の告白シーンが見せ場。
何の駆け引きもなく、素直に気持ちを打ち明けてしまっているのは、プレイボーイの彼らしくない。それだけ、ウテナに本気だったということなのだろう。 デュエリスト同士の決闘が描かれるのは、このエピソードが最後。決闘場の車が走り出し、冬芽と西園寺がサイドカーに乗って切りかかったりと、最後に相応しい大仕掛けな決闘となった。 前半の冬芽と西園寺が、サイドカーでハイウェイを走るシーンは、アキオカーのパロディとなっており、なかなかオイシイ。 薔薇の花嫁と「世界を革命する力」をめぐる最後の決闘が終わり、ついにウテナがアンシーと暁生の関係を知り、物語はクライマックスへと向かう。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 10」封入特典・解説書より) |
第35話「冬のころ 芽ばえた愛」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第35話「冬のころ 芽ばえた愛」
放送年月日 1997年11月26日放映 スタッフ 脚本:月村了衛 絵コンテ:松本淳 演出:伊達勇澄 作画監督:相澤昌弘
冬芽との最後の決闘と、ウテナと冬芽と暁生の三人の関係を描く前後編の前編。
ウテナへの自分の気持ちに気づき、それを自覚したゆえに彼女へのアプローチが弱くなってしまう冬芽。そして、その冬芽の気持ちを利用して、ウテナの心をとらえる暁生。 冬芽の名前を入れ込んだサブタイトルは、他の話でも凝ったタイトルをつけている月村了衛によるもの。 裸になって写真を撮られる暁生、周囲にいくつものサボテンを並べて寝ころぶ暁生、記者会見さながらに沢山のマイクに囲まれフラッシュを浴びながら会話をする冬芽と西園寺と、この話もシュールな描写が続出。 ウテナを誘う冬芽が、さりげなくニンジンを持っているのも印象的。あのニンジンにはいったい何の意味があるのか。ウテナに対する餌の意味か、馬に乗ることへの伏線か、それとも何かの象徴か。 記者会見風に会話をする冬芽と西園寺が次第に脱いでいくのは絵コンテにはなく、実は、作画スタッフの大胆なアドリブ。 この話あたりから、西園寺がグングンかっこよくなっていくが、これは各話の彼の登場シーンのほとんどを長濱博史が描いているためでもある。 この前後のエピソードでは、毎回、登場人物が写真を撮る、あるいは写真に撮られるという描写がある。 シリーズが最終回に向かっているため、作品をノスタルジックなムードにしようという意図なのだろうか。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 10」封入特典・解説書より) |
第34話「薔薇の刻印」 解説
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- 2013/08/03(Sat) -
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第33話「薔薇の刻印」
放送年月日 1998年11月19日放映 スタッフ 脚本:榎戸洋司 絵コンテ:佐藤順一 演出:桜美かつし 作画監督:門上洋子 長谷川眞也
この話から最終章「黙示録編」へと突入。
アンシーと暁生の過去、ウテナと王子様の出逢い、そして、棺の中の少女が見た「永遠」が描かれるエピソードである。 前半で影絵少女の舞台劇として語られる「薔薇物語」。 そして、後半でウテナの夢の中の回想で、王子様によって語られる「薔薇の物語」。 「薔薇物語」では、自分だけ「お姫様」にしてもらえない妹が悪い魔女になり、光の王子を幽閉してしまったと語られ、「薔薇の物語」ではアンシーが兄であるディオスを助けるために、人々に兄を幽閉したと告げたことになっている。 似ているが微妙に違う二つの物語。 それは、ひとつの同じ事件を別の見方から語っているだけなのか。 アンシーは本当に罪深い少女なのか。それとも。 「世界中の女の子がお姫様だった頃」「お姫様になれない女の子は魔女になるしかない」「君は女の子だ。やがては女性になってしまうだろう」など、テーマに関連した台詞も多い。 影絵芝居の寓話性、全体のトリッキーな構成とともに、榎戸脚本の真骨頂ともいえる仕上がり。 舞台劇「薔薇物語」では、A子、B子、C子の三人がはじめて同時に登場。 これで彼女たちの正体が、鳳学園の演劇部の生徒であることが判明した? ちなみにキャスティングはお婆さんと妹がA子、王子様がB子、口上と怪獣とお姫様がC子。 ウテナがもらったチケットには「影絵集団カシラ 第34回公演」とあるが、このエピソードも34話。ひょっとして、第1話以来の影絵少女のシーンは全て、この劇団の公演だったのだろうか。 お姫様とキスをしそこなった王子様の「チュ」という台詞は『少女革命ウテナ』には珍しい声優ギャグ。 「薔薇の物語」で登場したアンシーとディオスがいた童話めいた世界は、ウテナたちが暮らしている世界とは別の異世界であるらしい。FAXが置かれている小屋や、背広を着て剣を持った村人など、相当にシュールである。 これは小さい頃のウテナが王子様から話を聞いて、想像した映像であるのかもしれない。 かつて、棺の中にいた少女とはウテナであり、彼女が王子様に見せられた「永遠のもの」とは、百万本の剣に貫かれ永遠の苦しみの中にいるアンシーであった。 ウテナが気高く生きようと思ったきっかけは、王子様ではなく、アンシーだったのか。 この話を絵コンテを担当したのは、『美少女戦士セーラームーン』シリーズや『夢のクレヨン王国』シリーズディレクターなどで知られる佐藤順一監督。 彼は幾原監督のアニメ界での師にあたる演出家である。今回は大事なエピソードということで、スペシャルゲスト的な参加であった。 (LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 10」封入特典・解説書より) |
第39話 「いつか一緒に輝いて」 オーディオコメンタリー
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- 2013/01/14(Mon) -
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「少女革命ウテナ」北米正規版DVD<最終巻>特典
幾原邦彦監督・さいとうちほ オーディオコメンタリー 文字起こし
――いよいよ最終回なんですが、この物語をどのように締めくくる意図で臨まれたんでしょうか?
幾原:……えー、覚えてない(笑)。 さいとう:(笑)。 ――あっと驚かせてやろう、とかそういうのはありました? 幾原:ありましたね。ひとつ思ったのは、OPのビジュアルっていうのは日本のアニメーションの場合定石があるんですよ。 どういうものかっていうと、OPの映像は作品の結末を表現していることが多いんですよ。 最後、たとえば“何かが出てくる!”とか、 さいとう:ああ。 幾原:“巨大な敵が!”とか、“こんなものが!”っていうのがOPで表されていて、その作品のラストシーンのイメージだったりするんですよね。 さいとう:うんうん。 幾原:この作品も当然そういうことをしてて、最後ウテナとアンシーがお城に行って…みたいな絵があるわけですよ。 そして、“すごいことが起こって!”みたいな さいとう:そして城が崩壊する 幾原:“崩壊して!”みたいな。最初はね、本当は最初はそういう風にしようと思ってたんですよ!(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:どんどん気が変わって。そうしても面白くないと思って。 さいとう:確か、OPでは鎧着てたんだよね。 幾原:そうそうそう。あれ最初は着せるつもりだったんだよ(笑)。 一同:(笑)。 幾原:あの鎧気に入ってんだよ。あれ、かっこいいよね。 さいとう:そうだね。 幾原:だからジャケットでは使ってるんだよね。 さいとう:そうでしたっけ? 幾原:DVDとかのジャケットでは使ってるのよ。このDVDのジャケットも確かその甲冑。(※DVD版では日本版北米版共に未使用、 LD版とVHS版の最終巻に使用 ) さいとう:そして城が崩壊して……最後はなんだったっけ? 幾原:最後はだから、城が崩壊して、アンシーがいなくなるって画だったのよ。 さいとう:そうだっけ……ああそうだ、一人だけになっちゃうんだ。 幾原:最後、逆にしたのよ。「あ、ウテナがいなくなるほうが面白い!」って思ったのよ。( 画像 ) さいとう:それは逆転なのね。 幾原:それは、アンシーがいなくなることは視聴者も予測するだろうと思ったんで、ウテナがいなくなることを予測するやつはあんまいねーだろうと。 さいとう:たしかに。主人公ですからね。 幾原:そうそうそうそう。どっちかっていうとね……これ日本じゃ言えないんだけど(笑) 一同:(爆笑)。 幾原:あの、おどかしから先に考えてるのね。「驚いたか!」って(笑)。身も蓋もねーなそれじゃ。 さいとう:でも、一応、ウテナが勝って…勝つってことは決めたんだよね、一応ね。 幾原:勝つっていうか、負けてるよ、これ、最終回。 さいとう:負けてるけど… 幾原:まあ、アンシーの心を開いたという表現ではね、勝つということにはなってる。 さいとう:これ、日本だとクリスマスに最終回だったんだよね。 幾原:そうそう。クリスマスだったね。 さいとう:みんなで集まって最終回を観て、なんだか薔薇の花束とか貰って。 幾原:これね、最終回はがっくりしたんだよね。放送で。 さいとう:ええ!?そうなの?(笑) 幾原:そうそう(笑)。 さいとう:なんで?(笑)。凝ってたじゃん。画も綺麗で。 幾原:凝ってたんだけど、どこだったかな。本編が終わって、EDロールが全部終わった後にね、ウテナとアンシーの写真が出るんですよ。 その写真も「10年後のシーンなの?」って思わせるような出方をするんだけど、そこでパッとCMになったところで終わり!っていうつもりだったのよ。そのつもりだったのよ。 でも、放送観てたら、写真が出てきて終わった!と思ったら、『ウテナ』のゲームのCMが始まって、どこまでが本編かわからない(笑)。 一同:(笑)。 幾原:ウテナの顔がまたすぐ出てくるのよ。それで、「『ウテナ』のゲーム新発売!」って出て、どこまで本編でどこからCMだー!って感じで(笑)。 せっかくのラストシーンがぶち壊しだー!って。 さいとう:しみじみした感じにしたかったのに、コマーシャリズムに汚されてしまったわけね。 幾原:いや、どこで終わってるかよくわからないっての(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:俺が、作った俺がよくわからないのに、視聴者はもっとわからないんじゃないかって(笑)。 さいとう:(笑)。わたしは、ちゃんとわかりましたよ。 幾原:いやー、ものすごいショックだったよ、俺。 さいとう:ちゃんとした視聴者は、毎週CM観てるから大丈夫。こっからここまでがCMだってわかる。 幾原:いや、そういう問題じゃない。俺の中では、そのときはもう広告代理店のプロデューサーに腸わたが煮えくり返ってて(笑)。 さいとう:そうなの?(笑)。 幾原:捕まえて、すごい文句言ったの。「お前、どういうことだ!」って(笑)。 ――CMまではなかなかね 幾原:いやー、「そういえばそうでしたね」とか言っててね。余計腹が立った(笑)。 「変えればよかったですね」とか。気づいてたなら変えろ! さいとう:そんなに大切に作ったんですねえ。 幾原:いや、ショックだったよ、俺は。 さいとう:そうだねえ。 ――劇場版の方はどのあたりで企画が出たんですか? 幾原:この頃には、話が漠然とあったんじゃないかな?そういうことがあるんじゃないかって話を。 ――劇場版の方はTVシリーズとどう変えていこうといった意図がありましたか? 幾原:別に何も考えてなかった。 さいとう:(笑)。 幾原:TV終わって、次の次くらいには雑誌で(劇場版を)発表したんじゃない? さいとう:そう……だったかもしれない。 幾原:TV終わって、翌月くらいに「映画やります」って雑誌で発表したような気がしますよ。 さいとう:それで最初、企画をじゃあどうしようか?って集まったときに、なーんにも出てこなくって(笑)。 みんなでとんかつ食べながらどうしようかって言ってたんだけど、そのときに車のアイディアが出てきたんだよね? 幾原:ええ?違うよ。まだまだ全然そんなの出てないよ。 さいとう:そうだっけ?わりと最初の頃に車の話が出て。幾原さんがひとりで「ふふふ、いいこと思いついた」って笑い始めて。 幾原:いやいや、まだまだ全然そのときは。車の話が出るまで相当時間かかってるよ。 さいとう:そう? ――すごい質問がありまして。「最後の車になるのはどういう意図があるんだ?どういうシンボリズムがあるんだ?是非聞いてくれ」という要望があって。 幾原:それ、映画の話でしょ。 ――そうですね。 幾原:たんに俺が車欲しかったから。それだけ(笑)。 ――意図するシンボリズムは? 幾原:いや、男の子って買った新車に女の子の名前付けるじゃない。 さいとう:そうなの!? 幾原:アメリカでは買った車になんて付けるの?リンダとか? ――それは人によりますけど。私は昔、スヴェンという名前を付けました。 幾原:なんでスヴェン? ――スウェーデンのサーブってところの車だったんで。スウェーデンの名前で、スヴェン。 幾原:彼女の名前でしょ? ――いや、スヴェンは男ですから。 幾原:なんで!?男に乗って楽しいの、君? ――そのときはスヴェンに決まったんです。 幾原:ゲイ?うん、まあ、ゲイもいいよ。 ――いえ、奥さんいるんで。 幾原:両方いけるってこと?……まあ、そんなことはどうでもいいんだよ。 一同:(爆笑)。 さいとう:それで? 幾原:俺の場合は車に女の子の名前付けるのよ。 さいとう:じゃあ、幾原さんのロスでの赤い車には名前付いてたの? 幾原:付いてたよ。 さいとう:なんて名前?リンダ? 幾原:クリスティーナとか… さいとう:クリスティーナ?(笑) 幾原:違う違う……なんだっけかなあー。なんだっけかなー、名前………付けてないなあ。 一同:(爆笑)。 さいとう:なによぅ。でたらめな人ですね(笑)。 幾原:でも付けるって気持ちわかるでしょ? ――わかります。 幾原:付けますよ、普通。 さいとう:ふーん。まあいいや。それで? 幾原:だからさ、ウテナが車になるとさ、欲しいなって思うじゃない? さいとう:ええ?(笑) ――ファンが? 幾原:いや、俺が。俺が欲しいなって思うことが重要なんですよ。俺が作ってるんだから。 さいとう:ふーん。じゃあ、あのウテナって名前のピンクの車に乗りたいと。 幾原:そうそうそう。 さいとう:ふーん。 ―― EDにそれを持ってこようと決めてたわけですね。 一同:(笑)。 幾原:なに呆れてんの(笑)。 さいとう:それで、それにアンシーが乗るのね。 幾原:そのときは、だってもう2人でラブゴーだから。 さいとう:そうだったの? 幾原:それはそうでしょう。 一同:(笑)。 さいとう:わたしも、映画のラストシーンを観たときは唖然としましたけど。 ――乗るってことで一体感を表してるんですよね。 幾原:まあ、そうかね。よく覚えてない(笑)。 さいとう:(笑)。とにかく『ウテナ』では車に乗るというのがいつもいつも重要な意味を持ってたんですよね。 なに?やっぱり、力と一体化したいってのがすごく強かったんですかね。 幾原:なんだろうね。よく覚えてないね。なんだろうね。 あ、車の名前思い出したよ。レイチェルだな。 さいとう:ええ!?そうなの?(笑) 幾原:声優だっつの。ウテナのな(笑)。(※北米版キャスト) ――演劇になったり、ミュージカルになったりしてますけど。 幾原:なってるね。舞台には2度なってる。 あれね、辛かったと思うよ。そもそもさ、演劇みたいなアニメーションじゃない。それをまた舞台にするってのは辛いよね。 ――ご覧になられて? さいとう:ええ。結構面白かった。宝塚の方がやってくださって。 幾原:宝塚の人が何人かキャストに入って。良かったよね。暁生とか良かったよね。 さいとう:良かったね。 ――世界観なんかも忠実に再現されて? さいとう:いや、そうでもなかった(笑)。 幾原:こんな世界、忠実に再現できないよ(笑)。 できないというよりは、むしろ、アニメーションは舞台的じゃない。演劇っぽい表現をいっぱいやってるじゃない。 だから、なんて言うんだろ。舞台でそれをやると、ものすごくちゃちくなるっていうのかな。アニメに勝てないのよ、絶対に。 普通、舞台ってイマジネーションの世界じゃない。でも、アニメがイマジネーションやってるから。 舞台の方はねえ、なんかこう、どうしても、イマジネーションでやろうとしててもアニメに負けてるなあって感じかな。 競っちゃうんだよね、どうしても。舞台の方は。 普通、ドラマとか舞台は別のベクトルを持ってるジャンルなんで、イメージと少々違っても「これは舞台だから」って許容されるんだけど、『ウテナ』の場合は結構キツかったんじゃないかなあ…。 まあ、他人ごとだからね。観てる方は愉しいんだけどね。 さいとう:チュチュがすごく大きくってね。巨大チュチュなんですよ(笑)。 幾原:最初のね、舞台はそうだったね。 さいとう:あれはすごかったなあ…。 この回のチュチュは可愛かったよね。 幾原:ジュース飲んでるね、これ。 一同:(笑)。 幾原:面白いね、これ(笑)。 さいとう:これ、「チュー」っていう音が重要なんでしょ?(笑) 幾原:そうそう。思い出したよ。ものすごい「チュー」って音にこだわったんだよね。吸い上げる音。 さいとう:そうなの?なぜなんですか?(笑) 幾原:なんか、おかしいから(笑)。 さいとう:ええ?(笑) そうなの?ここはおかしさを狙ったんですか? こんなシリアスなことをやってる最中に、この人は「チュー」ってジュースを吸っている… 幾原:ジュースを吸ってるのは、アンシーやウテナの、なんていうかな、生命力を吸ってるって意味なのよ。そういう表現だったのよ。 さいとう:そうだったの?ぜんっぜんわからない(笑)。全然知らなかったよ。 幾原:全然わからない?(笑) どう見てもそうでしょこれ。 さいとう:そう!?わたし、何度もこの最終回観てるけど、全然わからなかった。 「なんてひどい奴なんだろうなあ、暁生は」って思ったんだけど、ここの「チュー」ってところは。 幾原:いやいや、たんにくつろいでるだけ……うん、そういう意味だったんですよ。 さいとう:愉しみながら「チュー」って吸ってることが大事だったのね。ふふふ(笑)。 ――空間的広がりってのは大事にされてるんですか? 幾原:空間的広がり? ――宇宙とか、天文台とか色々出るし。上の方にある空間とか、壮大な感じがします。 さいとう:幾原さんね、上が好きなんですよ。 ――上が好き?(笑) さいとう:(笑)。昔、レストラン行ったとき、ビルの一番上の階のレストランが好きで予約してもらって、 「自分がこうやって高いところにいて、夜景を観るのがすごく好きだ」っていう話をしてて。多分、それが投影されてると思うんですけど。 それもあれですよね。成功願望。 幾原:えぇ~…どうだったかな。そのとき貧乏だったんじゃない? さいとう:確かに(笑)。 幾原:確かにって(笑)。 さいとう:わたし、この間、幾原さんにテレビあげたんですよ。えらいでしょ(笑)。 幾原さんが「テレビ無い」って言うから、じゃあウチのを差し上げますよって。 幾原:(笑)。これさあ、何も知らない人が聞いたら、余程俺が金に困ってると(笑)。 さいとう:そうですね(笑)。成功したんですからいいんですよね。 幾原:そうですよ、成功したんですよ。 さいとう:でもウチのテレビ、すごくいいテレビなんですよ。 一同:(笑)。 さいとう:愉しんでくださいね(笑)。 幾原:ええ、ようやくテレビが観れますよ(笑)。 ――このDVD、アメリカでも出るわけですけど。海外のオーディエンスのことは作ってる時に意識してるもんなんですか? 幾原:全然これはしてなかったね。 ――『セーラームーン』なんか、海外の反響がすごかったじゃないですか。 幾原:ああ、でも、多少はしたかな?もしかすると。最初のころはちょっとしたかもしれない。 銃を持つのを反対したのも(第38話オーディオコメンタリー参照)、そういうのがちょっとあったからかもしれないなあ。 さいとう:アンシーの肌の色がダークなのも、それが入ってるの? 幾原:それはあんまり入ってないなあ。 さいとう:ただ、「素敵!」って? 幾原:うん、「素敵!」って。 さいとう:(笑)。ほくろが額の真ん中にあるのは「素敵!」って感じですね。 幾原:うん、「素敵!」って。さいとうさんの漫画が最初だからさ。 さいとう:ああ、そうでしたね。 幾原:さいとうさんの漫画にアンシーみたいなキャラが出てくるのがいくつかあって。それが「素敵!」って思ったの。 さいとう:ああ、ありがとうございます。……………あ~あ。(ウテナとアンシーの手が触れ合うシーン) 幾原:何? さいとう:かわいそうにね、って思って。 幾原:俺、随分久しぶりだな。これ観るの。 さいとう:これ、最後のアフレコを観に行ったら――日本では川上とも子さんが演ってくれたんだけど、ボロボロ泣きながらやってた。 幾原:そうだっけ?全然覚えてない。 一同:(笑)。 さいとう:ひどいやつだね(笑)。わたしは、それにすごく感動しましたよ。 幾原:最終回のアフレコ見たの? さいとう:見たと思う。違ったかしら?あれは映画版だったかもしれない。 幾原:いや、見たかもしれないよ。最後だからってんで。 でもTVのときってアフレコのときあんまり画が入ってないんだよね。間に合わなくて。画無しでアフレコやってくれてことがよくあって。 ――声優さんの人選はどういうコンセプトでやられるんですか? 幾原:オーディションですよ。これもオーディションでしたね。 ――ひとりひとり、「こんな感じ」ってのは決まってるんですか? 幾原:いやいや。そんなはっきりとしたイメージはなかったですね。 ――そうすると、声を聞いて? 幾原:そうですね。主役決まってから、「じゃあこの主役だったら、周りのキャラクターはこうだな」って考え方ですね。 だから、主役決まらないと周りも決まらないし、見えないですよ。周りから入るってことはあんまり無いですね。 さいとう:そのときは顔も見ないで決めるんでしょ? 幾原:基本的にはね。 さいとう:顔を見ると左右されちゃうんでしょ。 幾原:いや、そうでもないけど。みんな綺麗で、美しい殿方ですよ。 さいとう:なに、美しい殿方って(笑)。 一同:(笑)。 幾原:いや、男性を綺麗って言うのは変かなあって思って。 この、バレーの先生は誰だろうね。( 画像 ) さいとう:え、何?(笑) 幾原:……あ!そうか。 さいとう:何ですか? 幾原:あのバレーの先生、意味あったよね。 さいとう:何、バレーの先生って。 幾原:今、チラって映ったバレーの先生がいるのよ。バレーボール持った先生が。 あれ、石蕗か誰かが追いかけてた先生?あ、石蕗を好きだった先生かな? さいとう:そうなの?……あー!いたねー(笑)。 幾原:ドラマでは殆ど表現されてないのよ(笑)。 一同:(笑)。 幾原:ずっと後ろ姿しか出てなくて、本当にわかる人にはわかるってくらいで出てて。それが遂に画面に映った!っていう(笑)。 さいとう:そうなの?(笑) 幾原:そうなのそうなの。この最後の大事なシーンギリギリまで、ギャグで遊びやってるっていう(笑)。 さいとう:そんなことがあったとはねえ…。 これ、幹くんがストップウォッチ持ってるのはなぜなんですか? 幾原:これはね、前の人の台詞の秒数を計ってるのよ。 さいとう:なるほどね。それは監督としての何かこう、あれですね。 幾原:何かねえ…。 さいとう:そうでしょ(笑)。 幾原:俺、いつも計るときは、人の台詞の秒数で計るから。「じゃあ、彼もそうだろうな」と思ってそうしたの。 さいとう:じゃあ、彼は将来監督になるんですね。 幾原:どうかねえ…。 さいとう:ああ……終わってしまうわ。 ――さっきも急須にお茶を入れてるとか、和の部分がちょろちょろ入ったりするんですけど、それは「これ入れたら面白い」とかそういう意図があったんでしょうか? 幾原:まあ、あったんじゃない? ――ちゃぶ台とか出たりしましたよね。 幾原:それはねえ、コンテ描いたやつの趣味だね。あ、でもちゃぶ台って脚本にあったかもしれない。 さいとう:ここのチュチュがかわいくって。何回も巻き戻して見ちゃった。 幾原:巻き戻して見たの? さいとう:ここの、最後のお別れ。 幾原:ああ、スっと出すところ。スっとネクタイ出すところ(笑)。 さいとう:そうそう(笑)。その後のカエルとの場面もすっごく… 幾原:泣けるよね、あれ。 一同:(笑)。 幾原:そこで泣けてどうするっていう(笑)。 さいとう:広いなあ、この部屋!( 画像 ) 幾原:広いよね。 さいとう:(笑)。 幾原:広い部屋に住みたいという欲望がさ、 さいとう:それ、広すぎる(笑)。 ――このベルもよく出るんですけど、ベルのシンボリズムっていうのは? 幾原:鐘ね。うん。これノートルダムの鐘ですよ。 さいとう:ええっ、そう?(笑) 幾原:あ、これね、カエル。チュチュのライバルだったからね。 さいとう:そうだね。 幾原:そんなこと誰も覚えてないっつーの(笑)。 一同:(笑)。 幾原:あのカエル、2回ぐらいしか出てないのに(笑)。突然、最後に。 さいとう:この風呂敷は、日本の文化で。家を出るときは、必ずこれに荷物をまとめて行くんです。 幾原:昔、日本には借金を返せなくて、夜逃げをするという文化があったんですよ(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:その夜逃げをするときに、風呂敷に手元に置いておきたい家財道具をまとめて、担いで逃げるっていうね。そういう文化があったんですよ。どういう文化だ(笑)。 一同:(爆笑)。 ――『夜逃げ屋本舗』っていう日本の映画ありますね。 さいとう:あー、自分の名前のところ見逃しちゃったー。 一同:(笑)。 さいとう:いつもそこ感動して観てたんだけど。 幾原:そうなの?そんなに何度も観てるの? さいとう:最後の、チュチュに続いて自分の名前が出てくるところは何回も見たんです。 幾原:最終回だけ、この(『輪舞-revolution』の)スキャットバージョンじゃない。これもわざわざ、こうしたくってね。録ってもらったんだよね。 これなんでこうしたかっていうとね、最初この作品が始まるときに、聴かされたデモテープがスキャットだったのよ。 だから、そのときのイメージがずっと強くて。最初に聴いたときのイメージで『ウテナ』を締めくくりたいっていうね。それをもう1回ちゃんと録ってもらったんだよね。 ……あ!俺の名前出た?出てない? さいとう:(笑)。 幾原:俺の名前は? さいとう:一番最初に出たんじゃない?(笑) 幾原:そうなの?あ、これね。( 画像 ) それじゃ、みなさんありがとうございました。幾原でした。 さいとう:どうもありがとうございました。さいとうちほでした。 ――どうもありがとうございました。 |