第39話 「いつか一緒に輝いて」 オーディオコメンタリー
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- 2013/01/14(Mon) -
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「少女革命ウテナ」北米正規版DVD<最終巻>特典
幾原邦彦監督・さいとうちほ オーディオコメンタリー 文字起こし
――いよいよ最終回なんですが、この物語をどのように締めくくる意図で臨まれたんでしょうか?
幾原:……えー、覚えてない(笑)。 さいとう:(笑)。 ――あっと驚かせてやろう、とかそういうのはありました? 幾原:ありましたね。ひとつ思ったのは、OPのビジュアルっていうのは日本のアニメーションの場合定石があるんですよ。 どういうものかっていうと、OPの映像は作品の結末を表現していることが多いんですよ。 最後、たとえば“何かが出てくる!”とか、 さいとう:ああ。 幾原:“巨大な敵が!”とか、“こんなものが!”っていうのがOPで表されていて、その作品のラストシーンのイメージだったりするんですよね。 さいとう:うんうん。 幾原:この作品も当然そういうことをしてて、最後ウテナとアンシーがお城に行って…みたいな絵があるわけですよ。 そして、“すごいことが起こって!”みたいな さいとう:そして城が崩壊する 幾原:“崩壊して!”みたいな。最初はね、本当は最初はそういう風にしようと思ってたんですよ!(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:どんどん気が変わって。そうしても面白くないと思って。 さいとう:確か、OPでは鎧着てたんだよね。 幾原:そうそうそう。あれ最初は着せるつもりだったんだよ(笑)。 一同:(笑)。 幾原:あの鎧気に入ってんだよ。あれ、かっこいいよね。 さいとう:そうだね。 幾原:だからジャケットでは使ってるんだよね。 さいとう:そうでしたっけ? 幾原:DVDとかのジャケットでは使ってるのよ。このDVDのジャケットも確かその甲冑。(※DVD版では日本版北米版共に未使用、 LD版とVHS版の最終巻に使用 ) さいとう:そして城が崩壊して……最後はなんだったっけ? 幾原:最後はだから、城が崩壊して、アンシーがいなくなるって画だったのよ。 さいとう:そうだっけ……ああそうだ、一人だけになっちゃうんだ。 幾原:最後、逆にしたのよ。「あ、ウテナがいなくなるほうが面白い!」って思ったのよ。( 画像 ) さいとう:それは逆転なのね。 幾原:それは、アンシーがいなくなることは視聴者も予測するだろうと思ったんで、ウテナがいなくなることを予測するやつはあんまいねーだろうと。 さいとう:たしかに。主人公ですからね。 幾原:そうそうそうそう。どっちかっていうとね……これ日本じゃ言えないんだけど(笑) 一同:(爆笑)。 幾原:あの、おどかしから先に考えてるのね。「驚いたか!」って(笑)。身も蓋もねーなそれじゃ。 さいとう:でも、一応、ウテナが勝って…勝つってことは決めたんだよね、一応ね。 幾原:勝つっていうか、負けてるよ、これ、最終回。 さいとう:負けてるけど… 幾原:まあ、アンシーの心を開いたという表現ではね、勝つということにはなってる。 さいとう:これ、日本だとクリスマスに最終回だったんだよね。 幾原:そうそう。クリスマスだったね。 さいとう:みんなで集まって最終回を観て、なんだか薔薇の花束とか貰って。 幾原:これね、最終回はがっくりしたんだよね。放送で。 さいとう:ええ!?そうなの?(笑) 幾原:そうそう(笑)。 さいとう:なんで?(笑)。凝ってたじゃん。画も綺麗で。 幾原:凝ってたんだけど、どこだったかな。本編が終わって、EDロールが全部終わった後にね、ウテナとアンシーの写真が出るんですよ。 その写真も「10年後のシーンなの?」って思わせるような出方をするんだけど、そこでパッとCMになったところで終わり!っていうつもりだったのよ。そのつもりだったのよ。 でも、放送観てたら、写真が出てきて終わった!と思ったら、『ウテナ』のゲームのCMが始まって、どこまでが本編かわからない(笑)。 一同:(笑)。 幾原:ウテナの顔がまたすぐ出てくるのよ。それで、「『ウテナ』のゲーム新発売!」って出て、どこまで本編でどこからCMだー!って感じで(笑)。 せっかくのラストシーンがぶち壊しだー!って。 さいとう:しみじみした感じにしたかったのに、コマーシャリズムに汚されてしまったわけね。 幾原:いや、どこで終わってるかよくわからないっての(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:俺が、作った俺がよくわからないのに、視聴者はもっとわからないんじゃないかって(笑)。 さいとう:(笑)。わたしは、ちゃんとわかりましたよ。 幾原:いやー、ものすごいショックだったよ、俺。 さいとう:ちゃんとした視聴者は、毎週CM観てるから大丈夫。こっからここまでがCMだってわかる。 幾原:いや、そういう問題じゃない。俺の中では、そのときはもう広告代理店のプロデューサーに腸わたが煮えくり返ってて(笑)。 さいとう:そうなの?(笑)。 幾原:捕まえて、すごい文句言ったの。「お前、どういうことだ!」って(笑)。 ――CMまではなかなかね 幾原:いやー、「そういえばそうでしたね」とか言っててね。余計腹が立った(笑)。 「変えればよかったですね」とか。気づいてたなら変えろ! さいとう:そんなに大切に作ったんですねえ。 幾原:いや、ショックだったよ、俺は。 さいとう:そうだねえ。 ――劇場版の方はどのあたりで企画が出たんですか? 幾原:この頃には、話が漠然とあったんじゃないかな?そういうことがあるんじゃないかって話を。 ――劇場版の方はTVシリーズとどう変えていこうといった意図がありましたか? 幾原:別に何も考えてなかった。 さいとう:(笑)。 幾原:TV終わって、次の次くらいには雑誌で(劇場版を)発表したんじゃない? さいとう:そう……だったかもしれない。 幾原:TV終わって、翌月くらいに「映画やります」って雑誌で発表したような気がしますよ。 さいとう:それで最初、企画をじゃあどうしようか?って集まったときに、なーんにも出てこなくって(笑)。 みんなでとんかつ食べながらどうしようかって言ってたんだけど、そのときに車のアイディアが出てきたんだよね? 幾原:ええ?違うよ。まだまだ全然そんなの出てないよ。 さいとう:そうだっけ?わりと最初の頃に車の話が出て。幾原さんがひとりで「ふふふ、いいこと思いついた」って笑い始めて。 幾原:いやいや、まだまだ全然そのときは。車の話が出るまで相当時間かかってるよ。 さいとう:そう? ――すごい質問がありまして。「最後の車になるのはどういう意図があるんだ?どういうシンボリズムがあるんだ?是非聞いてくれ」という要望があって。 幾原:それ、映画の話でしょ。 ――そうですね。 幾原:たんに俺が車欲しかったから。それだけ(笑)。 ――意図するシンボリズムは? 幾原:いや、男の子って買った新車に女の子の名前付けるじゃない。 さいとう:そうなの!? 幾原:アメリカでは買った車になんて付けるの?リンダとか? ――それは人によりますけど。私は昔、スヴェンという名前を付けました。 幾原:なんでスヴェン? ――スウェーデンのサーブってところの車だったんで。スウェーデンの名前で、スヴェン。 幾原:彼女の名前でしょ? ――いや、スヴェンは男ですから。 幾原:なんで!?男に乗って楽しいの、君? ――そのときはスヴェンに決まったんです。 幾原:ゲイ?うん、まあ、ゲイもいいよ。 ――いえ、奥さんいるんで。 幾原:両方いけるってこと?……まあ、そんなことはどうでもいいんだよ。 一同:(爆笑)。 さいとう:それで? 幾原:俺の場合は車に女の子の名前付けるのよ。 さいとう:じゃあ、幾原さんのロスでの赤い車には名前付いてたの? 幾原:付いてたよ。 さいとう:なんて名前?リンダ? 幾原:クリスティーナとか… さいとう:クリスティーナ?(笑) 幾原:違う違う……なんだっけかなあー。なんだっけかなー、名前………付けてないなあ。 一同:(爆笑)。 さいとう:なによぅ。でたらめな人ですね(笑)。 幾原:でも付けるって気持ちわかるでしょ? ――わかります。 幾原:付けますよ、普通。 さいとう:ふーん。まあいいや。それで? 幾原:だからさ、ウテナが車になるとさ、欲しいなって思うじゃない? さいとう:ええ?(笑) ――ファンが? 幾原:いや、俺が。俺が欲しいなって思うことが重要なんですよ。俺が作ってるんだから。 さいとう:ふーん。じゃあ、あのウテナって名前のピンクの車に乗りたいと。 幾原:そうそうそう。 さいとう:ふーん。 ―― EDにそれを持ってこようと決めてたわけですね。 一同:(笑)。 幾原:なに呆れてんの(笑)。 さいとう:それで、それにアンシーが乗るのね。 幾原:そのときは、だってもう2人でラブゴーだから。 さいとう:そうだったの? 幾原:それはそうでしょう。 一同:(笑)。 さいとう:わたしも、映画のラストシーンを観たときは唖然としましたけど。 ――乗るってことで一体感を表してるんですよね。 幾原:まあ、そうかね。よく覚えてない(笑)。 さいとう:(笑)。とにかく『ウテナ』では車に乗るというのがいつもいつも重要な意味を持ってたんですよね。 なに?やっぱり、力と一体化したいってのがすごく強かったんですかね。 幾原:なんだろうね。よく覚えてないね。なんだろうね。 あ、車の名前思い出したよ。レイチェルだな。 さいとう:ええ!?そうなの?(笑) 幾原:声優だっつの。ウテナのな(笑)。(※北米版キャスト) ――演劇になったり、ミュージカルになったりしてますけど。 幾原:なってるね。舞台には2度なってる。 あれね、辛かったと思うよ。そもそもさ、演劇みたいなアニメーションじゃない。それをまた舞台にするってのは辛いよね。 ――ご覧になられて? さいとう:ええ。結構面白かった。宝塚の方がやってくださって。 幾原:宝塚の人が何人かキャストに入って。良かったよね。暁生とか良かったよね。 さいとう:良かったね。 ――世界観なんかも忠実に再現されて? さいとう:いや、そうでもなかった(笑)。 幾原:こんな世界、忠実に再現できないよ(笑)。 できないというよりは、むしろ、アニメーションは舞台的じゃない。演劇っぽい表現をいっぱいやってるじゃない。 だから、なんて言うんだろ。舞台でそれをやると、ものすごくちゃちくなるっていうのかな。アニメに勝てないのよ、絶対に。 普通、舞台ってイマジネーションの世界じゃない。でも、アニメがイマジネーションやってるから。 舞台の方はねえ、なんかこう、どうしても、イマジネーションでやろうとしててもアニメに負けてるなあって感じかな。 競っちゃうんだよね、どうしても。舞台の方は。 普通、ドラマとか舞台は別のベクトルを持ってるジャンルなんで、イメージと少々違っても「これは舞台だから」って許容されるんだけど、『ウテナ』の場合は結構キツかったんじゃないかなあ…。 まあ、他人ごとだからね。観てる方は愉しいんだけどね。 さいとう:チュチュがすごく大きくってね。巨大チュチュなんですよ(笑)。 幾原:最初のね、舞台はそうだったね。 さいとう:あれはすごかったなあ…。 この回のチュチュは可愛かったよね。 幾原:ジュース飲んでるね、これ。 一同:(笑)。 幾原:面白いね、これ(笑)。 さいとう:これ、「チュー」っていう音が重要なんでしょ?(笑) 幾原:そうそう。思い出したよ。ものすごい「チュー」って音にこだわったんだよね。吸い上げる音。 さいとう:そうなの?なぜなんですか?(笑) 幾原:なんか、おかしいから(笑)。 さいとう:ええ?(笑) そうなの?ここはおかしさを狙ったんですか? こんなシリアスなことをやってる最中に、この人は「チュー」ってジュースを吸っている… 幾原:ジュースを吸ってるのは、アンシーやウテナの、なんていうかな、生命力を吸ってるって意味なのよ。そういう表現だったのよ。 さいとう:そうだったの?ぜんっぜんわからない(笑)。全然知らなかったよ。 幾原:全然わからない?(笑) どう見てもそうでしょこれ。 さいとう:そう!?わたし、何度もこの最終回観てるけど、全然わからなかった。 「なんてひどい奴なんだろうなあ、暁生は」って思ったんだけど、ここの「チュー」ってところは。 幾原:いやいや、たんにくつろいでるだけ……うん、そういう意味だったんですよ。 さいとう:愉しみながら「チュー」って吸ってることが大事だったのね。ふふふ(笑)。 ――空間的広がりってのは大事にされてるんですか? 幾原:空間的広がり? ――宇宙とか、天文台とか色々出るし。上の方にある空間とか、壮大な感じがします。 さいとう:幾原さんね、上が好きなんですよ。 ――上が好き?(笑) さいとう:(笑)。昔、レストラン行ったとき、ビルの一番上の階のレストランが好きで予約してもらって、 「自分がこうやって高いところにいて、夜景を観るのがすごく好きだ」っていう話をしてて。多分、それが投影されてると思うんですけど。 それもあれですよね。成功願望。 幾原:えぇ~…どうだったかな。そのとき貧乏だったんじゃない? さいとう:確かに(笑)。 幾原:確かにって(笑)。 さいとう:わたし、この間、幾原さんにテレビあげたんですよ。えらいでしょ(笑)。 幾原さんが「テレビ無い」って言うから、じゃあウチのを差し上げますよって。 幾原:(笑)。これさあ、何も知らない人が聞いたら、余程俺が金に困ってると(笑)。 さいとう:そうですね(笑)。成功したんですからいいんですよね。 幾原:そうですよ、成功したんですよ。 さいとう:でもウチのテレビ、すごくいいテレビなんですよ。 一同:(笑)。 さいとう:愉しんでくださいね(笑)。 幾原:ええ、ようやくテレビが観れますよ(笑)。 ――このDVD、アメリカでも出るわけですけど。海外のオーディエンスのことは作ってる時に意識してるもんなんですか? 幾原:全然これはしてなかったね。 ――『セーラームーン』なんか、海外の反響がすごかったじゃないですか。 幾原:ああ、でも、多少はしたかな?もしかすると。最初のころはちょっとしたかもしれない。 銃を持つのを反対したのも(第38話オーディオコメンタリー参照)、そういうのがちょっとあったからかもしれないなあ。 さいとう:アンシーの肌の色がダークなのも、それが入ってるの? 幾原:それはあんまり入ってないなあ。 さいとう:ただ、「素敵!」って? 幾原:うん、「素敵!」って。 さいとう:(笑)。ほくろが額の真ん中にあるのは「素敵!」って感じですね。 幾原:うん、「素敵!」って。さいとうさんの漫画が最初だからさ。 さいとう:ああ、そうでしたね。 幾原:さいとうさんの漫画にアンシーみたいなキャラが出てくるのがいくつかあって。それが「素敵!」って思ったの。 さいとう:ああ、ありがとうございます。……………あ~あ。(ウテナとアンシーの手が触れ合うシーン) 幾原:何? さいとう:かわいそうにね、って思って。 幾原:俺、随分久しぶりだな。これ観るの。 さいとう:これ、最後のアフレコを観に行ったら――日本では川上とも子さんが演ってくれたんだけど、ボロボロ泣きながらやってた。 幾原:そうだっけ?全然覚えてない。 一同:(笑)。 さいとう:ひどいやつだね(笑)。わたしは、それにすごく感動しましたよ。 幾原:最終回のアフレコ見たの? さいとう:見たと思う。違ったかしら?あれは映画版だったかもしれない。 幾原:いや、見たかもしれないよ。最後だからってんで。 でもTVのときってアフレコのときあんまり画が入ってないんだよね。間に合わなくて。画無しでアフレコやってくれてことがよくあって。 ――声優さんの人選はどういうコンセプトでやられるんですか? 幾原:オーディションですよ。これもオーディションでしたね。 ――ひとりひとり、「こんな感じ」ってのは決まってるんですか? 幾原:いやいや。そんなはっきりとしたイメージはなかったですね。 ――そうすると、声を聞いて? 幾原:そうですね。主役決まってから、「じゃあこの主役だったら、周りのキャラクターはこうだな」って考え方ですね。 だから、主役決まらないと周りも決まらないし、見えないですよ。周りから入るってことはあんまり無いですね。 さいとう:そのときは顔も見ないで決めるんでしょ? 幾原:基本的にはね。 さいとう:顔を見ると左右されちゃうんでしょ。 幾原:いや、そうでもないけど。みんな綺麗で、美しい殿方ですよ。 さいとう:なに、美しい殿方って(笑)。 一同:(笑)。 幾原:いや、男性を綺麗って言うのは変かなあって思って。 この、バレーの先生は誰だろうね。( 画像 ) さいとう:え、何?(笑) 幾原:……あ!そうか。 さいとう:何ですか? 幾原:あのバレーの先生、意味あったよね。 さいとう:何、バレーの先生って。 幾原:今、チラって映ったバレーの先生がいるのよ。バレーボール持った先生が。 あれ、石蕗か誰かが追いかけてた先生?あ、石蕗を好きだった先生かな? さいとう:そうなの?……あー!いたねー(笑)。 幾原:ドラマでは殆ど表現されてないのよ(笑)。 一同:(笑)。 幾原:ずっと後ろ姿しか出てなくて、本当にわかる人にはわかるってくらいで出てて。それが遂に画面に映った!っていう(笑)。 さいとう:そうなの?(笑) 幾原:そうなのそうなの。この最後の大事なシーンギリギリまで、ギャグで遊びやってるっていう(笑)。 さいとう:そんなことがあったとはねえ…。 これ、幹くんがストップウォッチ持ってるのはなぜなんですか? 幾原:これはね、前の人の台詞の秒数を計ってるのよ。 さいとう:なるほどね。それは監督としての何かこう、あれですね。 幾原:何かねえ…。 さいとう:そうでしょ(笑)。 幾原:俺、いつも計るときは、人の台詞の秒数で計るから。「じゃあ、彼もそうだろうな」と思ってそうしたの。 さいとう:じゃあ、彼は将来監督になるんですね。 幾原:どうかねえ…。 さいとう:ああ……終わってしまうわ。 ――さっきも急須にお茶を入れてるとか、和の部分がちょろちょろ入ったりするんですけど、それは「これ入れたら面白い」とかそういう意図があったんでしょうか? 幾原:まあ、あったんじゃない? ――ちゃぶ台とか出たりしましたよね。 幾原:それはねえ、コンテ描いたやつの趣味だね。あ、でもちゃぶ台って脚本にあったかもしれない。 さいとう:ここのチュチュがかわいくって。何回も巻き戻して見ちゃった。 幾原:巻き戻して見たの? さいとう:ここの、最後のお別れ。 幾原:ああ、スっと出すところ。スっとネクタイ出すところ(笑)。 さいとう:そうそう(笑)。その後のカエルとの場面もすっごく… 幾原:泣けるよね、あれ。 一同:(笑)。 幾原:そこで泣けてどうするっていう(笑)。 さいとう:広いなあ、この部屋!( 画像 ) 幾原:広いよね。 さいとう:(笑)。 幾原:広い部屋に住みたいという欲望がさ、 さいとう:それ、広すぎる(笑)。 ――このベルもよく出るんですけど、ベルのシンボリズムっていうのは? 幾原:鐘ね。うん。これノートルダムの鐘ですよ。 さいとう:ええっ、そう?(笑) 幾原:あ、これね、カエル。チュチュのライバルだったからね。 さいとう:そうだね。 幾原:そんなこと誰も覚えてないっつーの(笑)。 一同:(笑)。 幾原:あのカエル、2回ぐらいしか出てないのに(笑)。突然、最後に。 さいとう:この風呂敷は、日本の文化で。家を出るときは、必ずこれに荷物をまとめて行くんです。 幾原:昔、日本には借金を返せなくて、夜逃げをするという文化があったんですよ(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:その夜逃げをするときに、風呂敷に手元に置いておきたい家財道具をまとめて、担いで逃げるっていうね。そういう文化があったんですよ。どういう文化だ(笑)。 一同:(爆笑)。 ――『夜逃げ屋本舗』っていう日本の映画ありますね。 さいとう:あー、自分の名前のところ見逃しちゃったー。 一同:(笑)。 さいとう:いつもそこ感動して観てたんだけど。 幾原:そうなの?そんなに何度も観てるの? さいとう:最後の、チュチュに続いて自分の名前が出てくるところは何回も見たんです。 幾原:最終回だけ、この(『輪舞-revolution』の)スキャットバージョンじゃない。これもわざわざ、こうしたくってね。録ってもらったんだよね。 これなんでこうしたかっていうとね、最初この作品が始まるときに、聴かされたデモテープがスキャットだったのよ。 だから、そのときのイメージがずっと強くて。最初に聴いたときのイメージで『ウテナ』を締めくくりたいっていうね。それをもう1回ちゃんと録ってもらったんだよね。 ……あ!俺の名前出た?出てない? さいとう:(笑)。 幾原:俺の名前は? さいとう:一番最初に出たんじゃない?(笑) 幾原:そうなの?あ、これね。( 画像 ) それじゃ、みなさんありがとうございました。幾原でした。 さいとう:どうもありがとうございました。さいとうちほでした。 ――どうもありがとうございました。 スポンサーサイト
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第38話 「世界の果て」 オーディオコメンタリー
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- 2007/12/19(Wed) -
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「少女革命ウテナ」北米正規版DVD<最終巻>特典
幾原邦彦監督・さいとうちほ オーディオコメンタリー 文字起こし
――前回は、出会いとか企画の最初の段階とか、色々裏話を聞かせていただきましたが、今度は色々シンボリズムとか、これは何を意図しているとか、ファンが不思議に思うような事なんかを解説していただこうと思います。
例えばですね、チュウチュウとかはどのように? さいとう:チュチュじゃなくて、チュウチュウですか?(笑) 幾原:どっちでもいいんじゃないの? さいとう:(笑)。いやいや、チュウチュウとチュチュは違うんじゃないですか? 幾原:ああ、チュチュですね。 さいとう:チュチュ?チュウチュウの話? 幾原:チュウチュウってキャラもいた? さいとう:いや、なんか「チュウチュウ」って台詞がなかったですか?(※第15話「その梢が指す風景」) 幾原:ありましたよ、それは。「チュウチュウ、ねずみです」みたいな(笑)。それ、影絵少女か何かの台詞じゃなかった? さいとう:ああ、そうだったかもしれないね。まあ、シンボリズムについては監督が全てを仕切っていらっしゃったので。私はただ鑑賞するだけで精一杯だったので(笑)。 幾原:(笑)。とにかくそういう事がやりたかったんですよ。最近はそういう欲はないけど、この時はとにかくそういう事をやりたかったんですよね。 さいとう:ああ……。 ――チュチュは映像の遊びというか息抜きみたいなものなんですか? 幾原:いや、あんまり何も考えてない。 一同:(笑)。 幾原:アニメだからそういう事をやるだろっていう。 ――例えば螺旋階段とか何回も使われているんですけど、それは何を意味するんでしょうか。 幾原:あんま意味ないですね(笑)。いやいや意味あるんだろうけど、忘れたなあ、何だっけかなあ……。 さいとう:(笑)。 幾原:よく出来てるよね。 さいとう:ああ、これね。 ――出てきましたね、螺旋階段。 さいとう:これって最初は出てこなかったのよね。 幾原:え、出てきたよ。 さいとう:え、そうだっけ。 幾原:見せ方が違うの。エレベーターになってるから。最初エレベーターじゃなかったのよ。 さいとう:登ってたよね。 幾原:最初は階段を登ってて、途中からエレベーターになったのよ。 さいとう:それはやっぱり登るのが大変だからとか 幾原:いやいや、そろそろ絵を変えたほうがいいだろうと思って(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:ずっと登ってたら、見てる人が飽きるだろうと思って。じゃ、エレベーターにしましょうって。 ――絵的にすごくかっこいいなとかそういう部分があって、(アイデアが)浮かぶわけですか。 幾原:うーん、まあそうだね。 ――で、薔薇の花がよく出ますが、薔薇の花の意図するところは。 幾原:うーん、あんま考えてないなあ。何だっけ。 さいとう:薔薇……やっぱり『ベルサイユのばら』ですか? 幾原:そうじゃないの?(笑) いいの?そんないい加減な事言っていいの?「『ベルサイユのばら』じゃないの?」って、どういうことよそれ(笑)。 さいとう:わかんない(笑)。 幾原:そんなわけないじゃん(笑)。 さいとう:とにかくもう「シンボルは薔薇」って決めたんですよね。いつだったか忘れたけど。 幾原:薔薇園が出てたから? さいとう:うーん、何でだったかなあ。とにかく薔薇に拘ることにしたんですよね。 幾原:うーん、そうかなあ。 さいとう:(笑)。そうでなければこんなに、四つ角に薔薇が回ってるはずないじゃないですか。 幾原:うーん、そうかもね。 さいとう:まあ、大変な見せ場に来てしまいました。私この絵が好きだなあ。 幾原:この回の絵? さいとう:いや、このずり落ちそうになってるディオスの絵が。( 画像 ) 幾原:あー。 ――この制服なんかはどのようなコンセプトで。 幾原:これさいとうさんに任せてたんじゃないかなあ。 さいとう:いや、任されなかったですけどね。 一同:(笑)。 さいとう:すごく、しつこく、デザインを何度も何度もさせられまして。最初私はへんてこなSFっぽいようなものを描いていたらしくて、描くたびに「SFっぽくて良くない」って言われて。「もっとスタンダードなもの」っていう要求をされて。 とにかく「SFにするな」って事はしつこくしつこく…。「ファンタジーにもするな」っていう事も。 幾原:SF禁止。ファンタジー禁止。 さいとう:そうそうそう。だから割と普通の軍服とか参考にして作りましたけどね。あとは胸の位置… 幾原:もうええってそれは。 さいとう・幾原:(笑)。 ――なんですか、それは。 さいとう:胸の位置がちゃんと分かるようにデザインしろとかですね、お尻のラインが見えるようにデザインしろとかね…。 幾原:(笑)。 さいとう:腋が見えるようにとか、こう男の子的な発注を色々されまして。大変勉強になりましたけど。特にボタンの位置とかしつこくしつこく言われて。 幾原:ああ……。 さいとう:ちょうどバストのトップの位置にこないといけないんだ!って教えを受けました。 幾原:なるほどね(笑)。勉強になるよね。 さいとう:そうですね(笑)。 ――ちょっと匂わせる、エロティックな所は狙ってるわけですね。 幾原:まあそういうのがないとね、あんまり面白くないでしょ。 さいとう:(笑)。 幾原:(笑)。まあ面白くないからやっているのか、自分が見たいからやっているのかっていうのはね。 ――決闘の意味というのは。 幾原:意味?意味はね、TVじゃないですか。「あと10分で放映終わるから、そろそろ見せ場かな?→決闘!」とか、そんな感じ? さいとう:うーん、でも最初は『三銃士』の話をしてて、そういう風になったんですよね。 幾原:ああ、そんな話あったね。 さいとう:私、『三銃士』マニアだったので、『三銃士』の説明をしていて。 主人公のダルタニャンがパリに出てきて三銃士と次々決闘をするっていうのが、『三銃士』で一番有名な最初のくだりなんですけど。多分そこからきたと思うんですけどね。 幾原:ああ……。 さいとう:(笑) 覚えてないでしょ、幾原さん転がってたからね。 一同:(笑)。 さいとう:私と榎戸さんでその話をしてたんですよ。それでいつの間にかそれでいいっちゅーことになって、決闘するって事になったんだと思いますけどね。 幾原:決闘、大変だったよね。 さいとう:うん。 幾原:なんか絵的なバリエーションっていうのがね。やっぱり限界があるからね。毎回剣で闘うとか斬りあうとか。まあそれは銃でも同じなんだけど。それが辛かったなあ……。 ――アクションの見せ場という所で、どうしたらもっと面白くなるかとか。 幾原:最初ね、銃っていうアイディアもあったのよ。銃で決闘するという話もあったんだけどね。それはやめたんだよね。「それは駄目だろ」っていう話にして。 何で駄目かというと、その時アメリカとかで起こった銃の事件が日本で報道されてて、でそれが結構気になってたのかな。 主人公が銃を持ってて、それを人に向けるっていうのはあまり良くないんじゃないかと思って、銃はやめたんだよね。 榎戸は「絶対、銃だ」って言ってたんじゃないかな、最初は。 さいとう:そうだったかもしれない。結構銃でデザインしたような気がする。 幾原:最初はね「銃だ」って言ってて。で、俺は「銃は駄目だ」ってずっと言ってて。で、結局剣にしたんだけどね。本当は銃の方が楽だったんだけどね。色々バリエーションは銃の方が出たかもしれないんだけど。剣だとバリエーション出すのが大変だったね。 今、もう1回やれって言われたら、絶対銃にするね。だって、剣大変だもん。振り回さなきゃいけないじゃない。 さいとう:たしかに。 幾原:描くの大変なんだもん(笑)。巧い奴じゃないと描けないんだもん。銃って構えてるだけでいいから、描けそうって思うけど。剣はね……今は描けないとか思っちゃうもん。今だったら絶対剣にしないね。今は銃。 さいとう:(笑)。 幾原:次は銃にするか(笑)。 ――世界的な部分で宝塚的世界があるんですけど、何か影響はあるんでしょうか。 さいとう:ね、あるよね。 幾原:なんかあるの?俺はないよ。 さいとう:だってこれは元々『ベルばら』からきてる… 幾原:きてる?俺はきてないよ。 さいとう:あ、そうですか?一緒に宝塚見に行ったじゃないですか。 幾原:それは『ベルばら』見たわけじゃないでしょ(笑)。 さいとう:まあ『ベルばら』じゃないけど、宝塚……日本の少女漫画的な文化の根底部分にあるものがあるから。 手塚治虫さんからやっぱり漫画の文化はきてるんで。手塚治虫さんが少女漫画を描くときに、多分宝塚テイストというものから発想をした所があるんで、その系譜で『ウテナ』もあるんじゃないかしら。少女向けアニメっていう範疇にこれが入るとしたら。 幾原:日本でこういう作品で有名なのは手塚治虫さんの『リボンの騎士』とか、あとはまあ『ベルサイユのばら』、この2本だと思うんだけど。 要するに女の子が男の子みたいな格好をして剣を手に取るっていうので、『リボンの騎士』と『ベルサイユのばら』というものから引用してるんだろと言われるのは避けられないだろうと思ってたのね。 俺が作る時に一番気にしてたのは、パロディだって言われたらどうしようっていう恐怖がすごくあったのよ。絶対にパロディだと言われてはならないと思ってたんで。でも考えても考えても、ストーリーだけ考えてもどうしてもパロディみたいになっちゃうのよ。 なんていうのかな、例えば『ベルサイユのばら』がね、現実のフランス革命という題材を扱ってて、この『ウテナ』という作品が現実の題材を扱っていないとかそういう問題ではなくて、やっぱり少女漫画っていうジャンルで……そういうジャンルが日本にあるんですよ。アメリカの人には分かんないだろうけど(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:少女漫画とか少女が主人公のアニメーションというもので、剣を取って男の子みたいに闘うっていう内容をやったら、日本では誰だって「『ベルばら』みたいだ」とかね「『リボンの騎士』みたいだ」って絶対言うんですよ。 だからそれで随分悩んだね。絶対にパロディだって言われないようにしようって。 でね、周りからも色んなオーダーがあったのよ。「どうして『ベルばら』みたいにしないんだ」とかね、散々言われたんだけど、それはもうしたくないのだ、という話を散々したんですよ。周りの人になかなか分かってもらえなかったけどね。 ストーリーは色々あるんだから『ベルばら』みたいなストーリーじゃなくて、もっと普通の作品作れよって言われたんだけど、普通の作品にしたらね、この作品はパロディになってしまうと。俺はとにかくパロディにするのには抵抗があったね。 だから表現主義のような部分が多いってよく言われるんだけど、多分そうなったのはパロディだって言われる事を避けたいっていう気持ちが強くあったからだと思うんだよね。 さいとう:でもこのビジュアルは完全にパロディな感じがするんですけど(笑)。 幾原:だからもうね、ビジュアルはパロディ……そこからは抗えないなって思ったから。 さいとう:外見はパロディみたいで、みんなから『ベルばら』的なものとして扱われて。「ぱっと見はそうなんだけど、見ると全然違うでしょ」っていうものにしたかったんでしょ。 幾原:そういうものにしたかったわけじゃなくて、最初は抗おうと思ったのよ。ビジュアル的にもパロディみたいな所から抗おうと思ったんだけど、さいとうさんがさっき言ってたけど「SFにはするな」とか、あと「ファンタジーみたいなものにはするな」って散々言ったのは、要するに見たこと無いものは描けないっていうのが途中で分かったっていうのかな。見たこと無いものは、結局……なんていうのかな。 さいとう:それは幾原さんの中で?だってファンタジーとかSF書いてる作家とか漫画家とかいっぱいいるじゃない。アニメでも。 幾原:いるね、いる。 さいとう:で、幾原さんは違うのね。 幾原:うん、俺の中では違ったんだね。最初はね完全な架空の世界でいこうと思ってたこともあったんだけど。 さいとう:そうでしょ。最初コンセプトはそうでしたよね。私が聞いた説明ではね(笑)。 幾原:そうそうそう(笑)。でもやっていくうちに、どうしてもイメージと違ってくるんだよね。 さいとう:自分のものにしようとしたんでしょ。 幾原:そういうわけでもなくてね。 さいとう:私はもう完全に幾原さんが途中で強引に、この『ウテナ』というのを自分のものにしようとしているという感じがしましたけど。 幾原:それはまあもちろんそうなんですけど。 一同:(笑)。 幾原:いや、そういうことじゃなくてね。途中でね、少女漫画を、ちょっとかっこよく言うとね、総括したような作品にしたくなったのよ。あ、総括っていう英語訳せます? ――全部含むような感じですかね。 幾原:そうです。全部含む、そして……何だろう、その少女漫画の、少女が主人公のアニメーションの意味を定義する。意味分かります?英語に訳せます?(笑) さいとう:少女の夢とか憧れとか…… 幾原:そうそう。これまで作られた、女の子が主人公のアニメを総括する、全てを含んだような内容にする。これまでの少女漫画で表現しようとしていたことの全ての意味は、この作品に込められていると。 そういう作品にしようと思って、頭の中で一大転機があったわけですよ。つまりそこでチャンネルが変わって、ビジュアルはパロディでいいと。いや、むしろパロディであるべきだと。 つまりこれまでの作品を総括するんだから、むしろビジュアルはパロディでなきゃ駄目だと思って(笑)、一挙に『ベルばら』のような流れにいったわけ。 さいとう:なるほどね。 幾原:それまでは『ベルばら』に対してはものすごく拒絶反応があったのよ。絶対嫌だと思ってたわけ、そんなのは。何故かというとその時はもっとSFのような話とかファンタジーのような話を考えていたんで、そう思ってたんだけど。 でもそれがどうしても気持ちよくなくて、やっていくうちに、自分がやりたい事は女の子が主人公のアニメーションの総括なんだなと思ったのね。 で、女の子が主人公のアニメーションが表現しようとしている事って、これは僕の主観だけど、『ベルサイユのばら』とか『リボンの騎士』に限らず、基本的なテーマの核になっているものは大体が「自分革命」であったりするんですよ。 さいとう:うんうん。 幾原:で、女の子が主人公っていうのはつまり自分革命で、どうして自分革命をしなきゃいけないかというと、世界との関わりが意味をもってくるっていうのかな。 それで恋愛を題材にしたりして間接的に語ってるんだけど、まあこの作品でも恋愛は大きく関わっているんだけど、それを更にスケールアップしたような形で表現してみたいなという風に思ったんですよ。 さいとう:なるほど……そんなすごいものだったんですね。 幾原:そんなすごいものだったんですよ。 さいとう:そんな少女文化を総括する意味で作ったとは知りませんでした。 幾原:いや、僕も最初は知りませんでした。 一同:(笑)。 幾原:作ってる過程でね、「そうだ、見えた!」っていう風に思ってきたのよ。もうここらへんの話に来ると確信犯的だから。 さいとう:ああ、たしかに。 ――どの辺からその、「見えた!」っていうのはあったんですか? 幾原:やっぱり、フィルムが最初に出来た時にそう思いましたよ。あのね準備期間中は分からなかったんですよ。で、作ってて、フィルムが出来てくる辺りにはもう思ってましたね。 最初のフィルムが出来るまで結構時間がかかってるんですよ。準備から始めて、最初のフィルムが出来るまで1年ぐらいかかってるんです。その間グダグダグダグダ揉めてたんだけど、1話目のフィルムが出来た時にもうこれしかないって思いましたね。 さいとう:『ウテナ』を嫌いな人って結構いて…… 幾原:そんな大胆なことを(笑) さいとう:(笑) その人たちがなんで嫌いかっていうと日本の少女文化に浸っているんだけど、『ウテナ』の中にはそれを否定するような感覚があって、多分その少女文化を総括したいっていう幾原さんの思いがこのアニメを見ていると感じられて、「総括なんかされたくない」っていうところで多分拒否感覚が出てくるんじゃないかな。 幾原:(笑) それはあるだろうね、うん。 さいとう:「せっかく私たちが浸っているのに、夢から醒まさないで。総括なんかしないで。」っていう、そういう感じがあるんじゃないかな。 幾原:そうそうそう。そういうニュアンスで表現した部分もありますよ。 さいとう:それで「そんな所にいちゃいけないから、早く自分を革命して出て行け!」っていう(爆笑)、そんなメッセージまで最後に来るから「余計なお世話じゃー!」っていう拒否反応が来る場合もありましたよね。結構ありますよ。 幾原:ああ……。 さいとう:だからこれを受け入れる人って……コアなアニメファンの中にもこれを支持してくれる人はいっぱいいたけど、普通の人が見たほうが分かるかもしれないなって感じがするんだけど。 幾原:演劇好きな人とかは、結構好きだって言うよ。 さいとう:そうだね。 幾原:元々僕がそこからインスパイアされてる部分が多いからね。 ――寺山修司さんとか 幾原:そうそう、寺山修司さん。アメリカでいうとオフブロードウェイの代表みたいな(笑)、そういうカリスマ的舞台演出家がね。ヨーロッパでは結構有名なんですよ、寺山さんっていう舞台演出家はね。 アメリカではそんなに有名じゃないんだろうけど、フランスとかイギリスとかでは有名な舞台演出家さんがいて、その人が僕の心の師匠だったんですよ。で、この『ウテナ』で歌がかかってるんですけど、それを演奏・作曲してるのはJ.A.シーザーという人で、この人は寺山さんの一番弟子ですね。ずっと寺山さんの舞台の音楽を担当していた人で、「天井棧敷」という劇団で寺山さんと一緒に共同演出とそれから音楽を担当していた人で。この人に『ウテナ』の音楽を作ってもらったんです。そこで決まりましたね、この作品の運命は。 一同:(笑)。 幾原:大反対されたんだよ、俺。「やめてくれ」と。 ――音楽のJ.A.シーザーさんに? 幾原:いや、J.A.シーザーさんには僕が頼んだからいいんですよ。周りのスポンサーとかに「絶対やめてくれ」って言われましたよ。「無理だ!はまらない」って。僕は絶対にはまるって言ったんだけど。 さいとう:最初に決闘シーンを見て、あの曲がかかった時は衝撃がありましたね。私はかっこいいと思いましたけど。でも確かに、今までこんなもの見たことも聞いたこともないアニメだなあと思って見てたんだけど、それだけに本当に受けるんだろうかという事だけが私の頭の中をぐるぐる回ってしまいましたね。 幾原:受けてよかったよね(笑)。あの頃、俺も気持ちが入ってたから「絶対みんなに受け入れられるよ!」と思ってたけど、今考えると俺はすごい勇気あったよね。 さいとう:私もそれだけは認めてます。幾原さんはすごく勇気があって、こんな企画よく通したなあって。 一同:(笑)。 幾原:いやあ、周りが偉かったよね。周りもごく一部の人以外は唖然としてたから(笑)。 ――それでは、最終回の方にいきたいと思います。 <第39話「いつか一緒に輝いて…」オーディオコメンタリーに続く> |
第37話 「世界を革命する者」 オーディオコメンタリー
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- 2007/07/16(Mon) -
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「少女革命ウテナ」北米正規版DVD<最終巻>特典
幾原邦彦監督・さいとうちほ オーディオコメンタリー 文字起こし
――最初に幾原さんとさいとうさんが会われた経緯とか、どのようにこの企画が始まったかとか、お話いただければと思います。
幾原:えー、とね…… さいとう:覚えてない? 幾原:いやいや、覚えてますよ(笑)。 さいとう:(笑)。 幾原:『セーラームーン』やってる頃ですね。『セーラームーン』の何年目かな?3年目か。 3年目で、『セーラームーン』をやりつつ、ちょっと他の事がやりたいなと思ったんで、次の企画を考えてた時期があったんです。で、その時期に、さいとうさんが表紙を描いた雑誌を偶然書店で見かけたんですね。それに一目惚れしてしまったと。 さいとう:ありがとうございます。 幾原:それでまぁ『セーラームーン』やってたんで、もう女の子が主役の作品は続けてやりたくないなと思ってたんですけど、さいとうさんの絵を見てちょっと気が変わって、この絵をどうしても動かしてみたいなと思ったのが始まりですね。それで何とかこの人に次の企画のキャラクターを頼めないのかなと思って、さいとうさんの家に押しかけた、という事ですよね? さいとう:ええ、まあ、そんな感じですよね。 最初にお会いしたとき、うちの仕事場の隣にあるファミリーレストランに幾原さんが小黒さんと一緒にいらっしゃって。『セーラームーン』のディレクターだと言うので、結構キャリアのある素敵なおじさまかと思って(笑)来てみたら、金髪のロック少年みたいな人がちょこんと座ってて、あまりにも若いのでびっくりしてしまって。 ビーパパスの1人・小黒さんと一緒に2人でいらしたんですけど、小黒さんは結構体格がよかったんで、なんかすごい凹凸コンビで(笑)ビジュアル的にも面白くて、お話も野心的な事をバンバン私に吹き込んでくださって。『ウテナ』っていうのが世界を革命するのだ!っていう話に結局なってしまったんだけど。 その時に私に話してくれたこともやっぱり、世界を革命しよう的な(爆笑)そういう話だったので、私はつい「面白そうな人だなあ」と思って、乗せられて、まんまと訳のわからない世界に、鳳学園のような、こう、魅力があるんだけど、ちょっとイケないような世界に引きずり込まれてしまったという、そんな感じでしたかね。 幾原:なんかこう「革命しよう」っていう言葉が、作品の話なのか、これから自分たちが作る作品が世の中を変えるんだって言ってるのか、というのが混ざってるんだよね。 自分のモチベーションとキャラクターのモチベーションが混ざっちゃってるのね(笑)、その時は。準備中は熱くなってて。 さいとう:すごく熱かったですよね。 ――どういう部分が、こんな新しいことやってやろうっていう風に野心的だったんですか? 幾原:いや、全くなにもプランがなかったんですよ(笑)。 さいとう:最初聞いたときは全然野心的な話じゃなくて、『セーラームーン』みたいに、みんなに受ける、お金の儲かるものをやろうって話だったんです(笑)。 幾原:そんな事言ったら儲からなかったみたいじゃない、この作品が(爆笑)。 いやいや儲かったんですよ、これも。 さいとう:だからすごくメジャーなものをやるつもりで、最初は。 幾原:それメジャーじゃないみたいじゃない。これもメジャーなんだって(笑)。 さいとう:そう?(笑) でもものすごく最初のプランと違っちゃって。最初は子供向けというか、小学生の女の子たちが憧れるような話にするはずで。最初の半年ぐらいはそのために、みんなで色んなアイディアを出しながらやっていたのに、ある日突然「いや、そうじゃないんだ」っていう話になり始めて、私はちょっと置いていかれてしまって。いつの間にか話がそっちの方に転換されていって、突然 革命が私の知らない所で始まっちゃって(爆笑)。 私には事後承諾で「さいとうさん、すいません。今まで黙ってたんですけど、実はこれはこんな風になってしまいました」っていうことが幾原さんから何回も何回も私にされて、その都度「えー?なにこれ、こんな風になっちゃったの?」っていうようなことが、いっぱいいっぱいいっぱい積み重なって、それで出来上がったアニメ見てみたら「えー!なになになにこれ!これで本当に人気が取れて、お金が儲かるんでしょうか?」っていうすごいものになっていって(笑) だからこういう風になってしまったのはちょっと、私もビーパパスの一員として、企画に関わって、すごい深い所まで一緒にやったはずだったのに、この作品の方向性は全く私の与り知れない所で、幾原監督の頭の中で勝手に革命が完成してしまって(爆笑)、それでこういう風になったんじゃないかな、と今となっては思ってるんですけど。 幾原:俺、その話初めて聞いたよ。 さいとう:そうですか?(笑) 幾原:騙されたと思ってたのね(笑)。 さいとう:いや、騙されたという認識は私の中にはないんだけど、なんかあれよあれよという間に突っ走っていくので、本当に大丈夫なのかな?ていうか、本当にお金儲ける気があるのかな?っていう(笑)、そこがすごく不思議でした。 幾原:いやいや、でもね、そうやって方向転換して、ちょっと変わった作品になったから、今でもこの作品のことを、強くしつこく好きだというファンがいっぱいいるわけでしょ(笑)。 さいとう:そうですよね。だから結果としては私はよかったと思うし、商業主義的でないことに非常に危惧を覚えていたんですが、でも監督は多分正しい選択をするだろうとちょっと盲目的に信じてた所があったので、信じてよかったなって今は思ってるんですけど。 まぁでも、私はプロの漫画家として長いキャリアやってきたので、こんな話を成立させてしまってプロとしていいんだろうかって事がずーっとずーっと気にはなってたんですけど(爆笑)。 幾原:やっぱり騙されたと思ってるんでしょ?(笑) さいとう:私の周りの偉い編集者の方たちはみなさんそのように、私に言ってましたけど(爆笑)。 幾原:「さいとうさん、幾原に騙されてるから落ち着け」とかって?酷いなあ(笑)。 さいとう:言われましたけど(笑)。でも、まぁ、これでよかったんですよね、きっとね。 幾原:うん、よかったんですよ。 さいとう:私も編集者を説得するのに毎回毎回・・・この『ウテナ』を描いている1年半くらいの間に5人も担当が変わるという私としては前代未聞の事が起こって(笑)。 幾原:あれ?俺のせいじゃないでしょ、別に(笑)。 さいとう:その度にその人たちに「『ウテナ』ってどういうものなんですか?」って最初から初歩的な質問を山ほどされながら、これをどうやって説明していいのかわからない状態に置かれて、それは結構大変でしたね。 幾原:それ、俺のせいだったの?編集があんなに変わったのは(笑)。 俺、今日始めて知る話がいっぱいあるよ。 さいとう:あ、そうですか?(笑) 今だったら笑って許せるっていうそういう感じですかね。 幾原:そうだったのか……。 ――ここはこう変えようとかって、まぁ革命的な部分ですよね。世界を変えてやろうとか。 そういう部分っていうのは、例えばどういう所とかってあります?覚えてる所とか。 幾原:え?革命? ――革命とか、野心的な、映像的にこういうのが新しいのを開拓したぞ、とかそういう部分ってあります? さいとう:あ、野心だらけだよね。 幾原:まぁ、野心の塊みたいな作品だよね(笑)。 さいとう:私、最初になんかアキオカーが出てきて、暁生さんが 幾原:ボンネットに(笑)。 さいとう:そう、ボンネットに乗ったりする時に、いったいどういうことなんですか?って監督に真面目に聞いたんですけど「これは大人ということを表現してみました」と言われて(爆笑)、「はい?」って思ったんですけど。 幾原:大人は上半身裸になってボンネットに乗るっていう説明をね。 さいとう:そう、それで「彼はとてもお金持ちなので赤い車を持ってるんだ」って言われて「はい?」って思ったんですけど(笑)。 幾原:よく、そんなこと覚えてるね さいとう:ええ、すごく衝撃的だったのでよく覚えてる(笑)。 幾原:俺、全然覚えてないよ。そんなこと言ったんだね。 さいとう:そういう色んなよく解らない表現が出てくるたびに監督に「いったいこれはどういうことなんでしょうか?」ってことを聞いたんですけど、そのたびに面白い答えが返ってきて、やっぱり革命的なことをしてる人は違うなって(笑)。 幾原:もう一回同じことをやれって言われても、俺も多分出来ないね(笑)。 さいとう:あと、ここには出てこないんですけど、途中の黒薔薇編か何かで指差しマークが出てきたんですけど(笑)、 幾原:そうそうそう(笑)。 さいとう:やっぱりわかりません(笑)。 幾原:出てきたね、そういえば。 さいとう:「これは革命的なことをやってるんだよ」って言われて、「今まで誰もこんな手法でやったことない」って言われて、 幾原:(笑) そうそうそう!人が部屋に入ってくると、指が出てくるんですよ。 で、何で出てくるかっていうと、人が入ってきたのを教えるために指のマークが出て、視聴者に教えてるんだっていう(笑)。 さいとう:そんなことするから、余計わからなくなる(笑)。 あと1匹だった猫が突然2匹になってみたりして、「これは時間の経過というのを表しているんだ」って言われて、 幾原:(笑) そうそうそう。そん時は指のマークが出てきて、ここに注目ってことを視聴者に教えるんだよ。 さいとう:私もそれは監督がアニメ雑誌か何かに解説されているのを読んで、「え、そうだったのか」って思うことが随分ありましたね。 幾原:さいそうさんは何でそんな面白いことをいっぱい話せるの?ネタ仕込んできたの、今日は(笑)。 さいとう:違います(笑)。 幾原:俺、なんか今日驚いたよ。そんな事あったよね、そういえばね。俺、全部忘れてるね。 ――やっぱりそうやって、シンボリズムとして、これはこういう意図なんだよっていうのは常にあるわけですか。 幾原:やっぱりそれは思ってないと出来ないですからね。 ――で、やっぱり大人がボンネットに乗っているっていうのは、どうやって浮かぶんですか? 幾原:うーん、なんかほら、雑誌とかグラビア誌を見ると、雑誌のグラビアとかに載ってる人って成功した人ってイメージがある人ばかりじゃないですか。例えば有名なタレントとか、成功したスポーツマンとか、今だったら……アメリカの人は知らないかな?サッカーだったら中田とか、イチローとか、そういう人たちは赤いジャガーとか乗ってて写真撮ってたりするじゃないですか。で、たまにちょっとやりすぎて、ボンネットに足乗せてみたりするじゃないですか。 で、「これが成功ということだ!」とか「これが大人ってことだ!」っていう風に思ってて、究極の大人はやっぱり(ボンネットに)乗るだろうと。 さいとう:そう?(笑) 幾原:そう。「俺とジャガーを一体化するんだ」っていうんで、服も脱ぐだろう!とか。 さいとう:どうしてそこで、服を脱ぐのが一体感なの?(笑) 幾原:いやいや、やっぱり愛し合うためにこう、 さいとう:ええ!?(笑) 幾原:赤い車と。 さいとう:あ、なるほど。赤い車と愛し合うんですか?車と一体化するっていうことですか? 幾原:一体化するんじゃないですか。 さいとう:そういう成功のシンボルが、車と一体化するってことですか? 幾原:そうそう。 さいとう:そういえば監督はロスにいらした時に……ロスに住んでたんですよね、ついこの間まで。 幾原:はい、ついこの間まで住んでました。 さいとう:で、その時に赤いスポーツカーを購入したんですよね。 幾原:赤いスポーツカー購入したんですよ、ようやく夢が叶って。 さいとう:じゃあ、大人になったんですね、アメリカに行って。その時裸になったんですか? 幾原:いや、それやったらさすがに捕まるんで(笑) やらないですよ、危なくて。 さいとう:そうですね(笑)。 ――ボンネットには乗られました? 幾原:誰も見てないところでこっそりと。 一同:(笑)。 幾原:一応、やっておかないと。 さいとう:えー、でも、ボンネットに乗ると痛むんじゃないですか?車が。 幾原:だからちゃんと後で拭きましたよ。 さいとう:あ、そうですか(笑)。 ≪影絵少女のシーン≫ さいとう:そういえばこれも解らないことがいっぱいありましたよね。 えーとこの、A子とB子。ちなみにA子とB子ってアメリカではなんて名前になってるんですか? 幾原:いや、A子・B子ですよ。 さいとう:A子・B子なんですか? 幾原:A子・B子です。訳しようがないじゃないですか(笑)。 さいとう:そうですか?(笑) 幾原:だってAは英語のAなんだから。 さいとう:これのネタは大体誰が考えるんですか? 幾原:色々ですね。大体基本はね、脚本家なんだけど。まぁみんなでディスカッションしながら考えたり、あと脚本を現場で変えちゃったりしたのも結構あるね。 さいとう:ふーん。 ――影絵はよく、こう、繰り返し使われるって感じですよね。 幾原:そうですね。この作品のひとつのシンボルですよね。 ――なにを表そうとしてるんですか? 幾原:うーん、本編中で語られている1エピソードのドラマを影絵少女のシーンで凝縮してるっていう感じですかね。 さいとう:してないときもありますよね。 幾原:してないときもある。それはまぁフェイントで(笑)。たまにしないんだよ、とか。 さいとう:今日は深いことを言ってる回とか、 幾原:言ってる回とかね。全然深くない回とかね(笑)。 今考えると、これ楽しかったよね。 さいとう:そうね。 幾原:癖になるよね、これね。 さいとう:(笑)。 幾原:ならない? さいとう:なるね、なる。あと、経費削減の意味はなかったんですか? 幾原:それはないね。 さいとう:本当?これは経費削減になる作画だったんですか? 幾原:いや、そんなこともないんだけど。 さいとう:結構、手間かかってたの? 幾原:手間はかかってないけど。でも結構やりたいって言う奴は多かったよ。 さいとう:そうなの?(笑) 幾原:描かせてくれって言う奴は結構いたね。好きだって言う奴が結構いて、「あれをやりたいから『ウテナ』をやりに来た」って言う奴が結構いたよ。いや、そんな簡単なところやってくれなくてもと思って。 さいとう:アクションで全てを表すことが楽しかったんですかね。 幾原:いや、あのキャラが好きみたいだよ。 さいとう:あ、そう(笑)。 ≪アキオカーのシーン≫ さいとう:ほら、出てきましたよ。 幾原:ああ、これいいよね。 さいとう:うん。 幾原:ほら、ちゃんと胸はだけてるよね。 一同:(笑)。 ――胸はだけてるのもそうなのかもしれないんですけど、同性愛者の方々に支持があるということなんですけど。 幾原:ああ、あるね。 ――それについてはどのようにお考えで。 幾原:世界中の同性愛の人が好きだよね、これね。 さいとう:そうなの!?そんな言い切っちゃっていいの? まぁ確かに色んな組み合わせがあるといえばあるし、ないといえばないし・・・色々読み取れることは読み取れますよね。 幾原:あとまぁ、この作品しかないでしょ。こういうのって。あの、なんていうんだろ、ちょっとエロちっくなものはいっぱいあるけど、これだけピュアにドラマをやっている女の子2人の話っていうのは他にないでしょ、多分。 そういう意味では唯一だから、支持されてるんだろうなって思いますけどね。 ――それは、元々意図としてあったわけですか? 幾原:さいとうさんには内緒で、僕の中にはあったんですけど(笑)。 さいとう:(笑) 私、最初全然そんな話聞いてなかったんですけど、2人(ウテナとアンシー)が絡んでる絵を頼まれて、ちょっと2人が仲良さそうに寄り添っている絵を描くと、異常に喜んでいたので、どういうことなのか最初全然わからなかったんですけど。実はそういう、2人がとても仲良さそうなもの描くのが目的だったのね、って最後の方で解りましたけど。 幾原:最初打ち合わせの時に軽く言ったらね、ものすごく怒って「じゃあもう降りる!」って言い出したんで、それは言ってはならんことだったんだ!って、これは俺の胸の内にだけ秘めておこうと思って。 さいとう:いや違うんですよ。確か、女の子の快楽をどこに置くかって事で合宿した時に論争して、喧嘩になったんですよね(笑)。 幾原:(笑)。 さいとう:それで幾原さんは女の子の快楽ということに対して全然考慮してくれてないけど、私はプロの漫画家として、ターゲットにしてる女の子たちに対して、こんなに快楽のない話は提供できない!って見解の相違がバーンっとぶつかっちゃって(笑)、それで結構仲違いしましたよね。 幾原:そう、だからあの時1回ね、『ウテナ』の企画がなくなりそうになったのよ(笑)。 それぐらい危機的な大喧嘩になって、俺あまりにも辛い喧嘩でね、その次の日に病院に運ばれたのよ(笑)。 正月で、俺、急性……なんだっけ? さいとう:あれって喧嘩した後だった?喧嘩する前に倒れたんじゃないの? 幾原:違うよ、あれ後だよ。 さいとう:そう?前だったよ。合宿に入った途端倒れたんだよ。どうしようって。 幾原:違うよ、だってあれ元旦だったもん。さいとうさんに追いつめられて、あまりのプレッシャーで、 ――胃が? 幾原:胃がね。急性胃腸炎か何かになって、元旦に救急病院に連れて行かれたのよ。 さいとう:ええ。私と脚本の榎戸さんで付き添って行って、「正月からこれじゃ、一体この企画はどうなるんだろうね」って(笑)。 幾原:で、病室から出てきたら、車椅子に乗ってるの。俺が(笑)。で、さいとうさんビビっちゃって。 さいとう:だって(笑)。そんな大変なことだとは、ね。 幾原:いや、あの時、本当にすごい緊張してたから。 さいとう:そうですか? 幾原:してましたよ。 さいとう:初めてスタッフで合宿して、ホテルに缶詰になってたんですけど、缶詰になった途端、幾原さんが寝てばっかりいるので(笑)、「仕事する気あるんですか!」って、幾原さんのことを睨み続けてたんですよね。 幾原:あれはね、最初のアンシーとウテナがラブラブだって案をさいとうさんに却下されたんで、ショックで仕事が出来なくなった(笑)。 さいとう:そうなんですか(笑)。 幾原:「そのネタやるんだったら、私やめる!」って言うから、それは黙ってなくちゃいかんと思って。俺はもうやることに決めてたから(笑)。 さいとう:そうなの?そんな葛藤の末だったの? 幾原:葛藤の末だったんですよ。 さいとう:私、忙しいスケジュールをやっと捻出した3日間くらいだったのに、幾原さんその間中寝てるって一体どういうこと?って(笑)。それで仕方ないんで、幾原さんが寝っ転がってるのを横目にしながら、他のスタッフと一緒に他の所を詰めたりしてて、結構悲しい合宿でしたよ。 幾原:いやー、俺大変だったよね。 ――これでまず企画の初めのころが聞けたので、一旦締めくくらせていただきます。 <第38話「世界の果て」オーディオコメンタリーに続く> |
劇場版 「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」 オーディオコメンタリー
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- 2007/04/11(Wed) -
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劇場版「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」北米正規版DVD特典
幾原邦彦監督 オーディオコメンタリー 文字起こし
※以下、( )内はコメンタリー該当部分の日本正規版DVDのチャプター名を記載。
こんにちは、『少女革命ウテナ』の監督・幾原邦彦です。 今回はみなさんにこの映画の制作の裏話をお聞かせしようと思います。 (01:Be-Papas) まず、トップシーンですけど、このシーン少し大変だったという思い出があります。 というのは、このカット、デジタルで合成されているカットなんですけど、非常にカメラワークが複雑です。このカットを任せていたアニメーターがですね、スケジュールアップ間際になっても、まだ実はこのカットを作成していないということが発覚しまして、急遽僕がカメラワークの指示を自らやったという思い出がありますね。 非常に複雑なカメラワークだったので、大変だったという記憶が今でも残っていますね。 (02:Rose is rain) OPのタイトルなんですけど、このOPのタイトルも制作がすごく大変だったという思い出がありますね。 これ単なるサブタイトルではなく、実はこれもデジタルで、コンピュータグラフィックスなんですね。 で、これをですね、ノンリニアの編集機能を持っているスーパーコンピューターっていうのが日本にありまして、それを使用して、ノンリニア合成っていうのを、まぁやったんですけど、非常に大変でしたね。 ノンリニア合成っていうのは要するにデータをですね、デジタルで、ビデオを編集するのと同じような速度で、パソコンの中で、デジタル合成するっていう技術なんですけど。 オペレーターの能力というのが非常に要求されるのと同時にマシンの能力というのが非常に必要とされる技術で、そういう意味で非常に……このシーン(最後に幾原監督の名が出る部分)も非常に大変だった記憶がありますね。 (03:天上ウテナ) トップシーンですけど、ここ教室の中ですね。 メインスタッフとの打ち合わせでは、とにかく一番最初のシーンなんで、観客を、何ていうのかな、不思議な世界に誘う(いざなう)方法はないかという事で、黒板を縦横無尽な方向に動かすのがいいんじゃないのかというアイデアを採用しましたね。 (04:校内放送) このシーンもそうですね。さっき冒頭のシーンで使ったテクニックと同じテクニックなんですけど、このシーンの存在で、随分この映画のムードっていうのは決定されたと思うんですよね。このシーンの存在で、この映画は不思議なムードになってると思いますね。 影絵少女が冒頭から出てるんですけど。この影絵少女も、そうですね、随分その、なんていうか、TVシリーズと違った出し方っていうのを随分考えまして。それで、もっとこうドラマを解説するっていう事に必然的な解説の仕方(笑)がないもんだろうかと考えて。それで、いっその事、実況中継だ、っていう事なんだったら、放送部にしたらどうかっていう事で、彼女達はいつもこうマイクの傍で実況してるっていう風な画にしました。 (05:スカーレットたちの舞踏) これは樹璃と幹がフェンシングをしてるってシーンですね。 TVシリーズでは結構その、こういうシーンが多く登場したんで、まぁ映画でもやっぱりあった方がいいだろう、っていう事もあって、まぁこれはちょっとファンサービスではありますね。 ここまでずっと見てくださって分かると思うんですけど、この作品っていうのは美術に力を入れてますね。ここまで見たところでも、美術的には印象に残るビジュアルがいっぱい登場していると思います。 (06:再開) 実際映画のこのシーンあたりまではその背景、美術を見せるっていうのに注意を払いましたね。 今回の作品では数多くの美術ボードというものを作りました。美術ボードというのは、そうですね、美術の設計図ですね。数多くの美術の設計図を作りました。 その美術の設計図を元に各シーンのイメージカラー、イメージトーンというのを決めていくんですけど。 たとえばこのシーンなんかでは、全体的にはその、モノトーン調で行こうという話だったんですけど、全部モノトーンだとつまらないので、例えば、柱にピンクを感じさせよう、赤を感じさせたらどうか、とかってアイデアを出したりしましたね。 そういうディスカッションを美術のスタッフとやるんですけど。そうやって、作り出されるのが、まあ美術ボードという美術の設計図なんですね。 このシーンっていうのは、冬芽が初めて画面に登場するシーンなんですけど。後にこの彼が登場するっていう事と、雨が降っていることには、意味があるという事は分かります? つまりクライマックスで冬芽との別れのシーンで、川の音がするわけですよね。 その事と雨の音っていうのは実は関係があるっていう風なことを考えていくようにはしてますね。 (07:空中庭園) この薔薇もそうですね、数多くの薔薇の中にひとつだけ白い薔薇がある。このひとつだけある白い薔薇というのが、王子様の象徴であると。 その王子様の象徴である白い薔薇から、ウテナが指輪を手渡されると。 つまり、冬芽というのは元々ウテナにとって王子様の象徴で、そして彼が画面から消えた時に同じように王子様の象徴である白い薔薇が現れ、そしてその白い薔薇から指輪が渡されると。 そして渡された時に、上空にある薔薇園からアンシーにウテナは呼ばれる、という風な展開になってますね。 非常に象徴的なドラマ展開になってますけど、まあそれも考えてやった事ですね。 この薔薇園のシーンも非常に画にするのは難しいシーンでしたね。 何故かっていうと、薔薇しかないんで。 (08:薔薇の花嫁) 画にすると単調になってしまうっていうか、薔薇のひとつは凄く派手なんですけど、数多くの薔薇っていうのは言葉にすると凄く豪華なイメージがあるんですけど、やってみると結構、単調なものになってしまうんですね。 だから、画面の中で、変化をつけるっていう事に非常に苦労しましたね。 (09:その花を摘む者) このシーンでは、ウテナとアンシーの出会いってのを描いてるわけですけど、TVシリーズの時の初めての出会いっていうのとはちょっと違うので、そういう意味ではこう、いかに、違う印象を与える出会い方をすればいいのかなっていうのは、随分考えましたね。 そもそもTV(シリーズ)の時は、自発的に最初は決闘に参加しなかったんですけど、そういう意味では映画というのは、ちょっとその部分を変えてやって、自発的に彼女は決闘に参加するようなシチュエーションにしていますね。 もちろん、彼女の目の前でアンシーが、女の子が、暴力を振るわれたというのを見て、彼女は闘う決意をするという事もあるんですが、それよりも、彼女が王子様になりたいと、元々思っているという事が非常に、彼女が決闘をするという行為の中では重要な意味を持っていますね。 その部分はそういう意味では、TVシリーズよりは大きくクローズアップされているんじゃないかな。 (10:蘇れ!無窮の歴史「中世」よ) TVシリーズと違って、映画っていうのは1回だけのものなんで、その中で表現される決闘シーンっていうのも限られるわけですよね。 TVシリーズっていうのは、ある意味では、毎回決闘するっていうのがひとつの、見る人に対する『ウテナ』のシンボルになってたんですけど、今回の映画でも、どういう形の決闘をするのかっていうのが、映画が公開される前から随分ファンの間でも話題になってたんで、こっちも随分その事については考えましたね。 どういうバリエーションの決闘をすればいいんだろうか、って事を随分考えましたね。 やっぱりこのシーンでも非常にその、画面を作るのが難しくって(笑)、薔薇園なんてとにかく、なかなか画面に映せるものがないんでね。アニメーター、画を描く人に対して「何も映らないんだけど、画面をカメラの中にカッコよく収めてくれ」っていう要求を随分したんで。そういう意味では、逆に何も画面に映ってなくて、ただ単にアクションが存在するというシーンなんで、アニメーターは大変だったんじゃないかと思います。 (11:デュエリスト・ウテナ) ここでまあ、キスをするんですけど、これをしていいかどうかっていうのはスタッフの間でも賛否両論になって、するべきじゃないだろうって意見も結構あったんですけど。っていうのは、TVシリーズの時には、散々しそうでしなかったんですよね。ずっと(笑) それで「それは、しそうでしない、というところが良いんだろう!」っていう意見が(笑)随分あって。ところが映画ではするわけですよね。で、せっかくTV(シリーズ)でずっとしなかったのに、どうして映画ではするんだっていうので、スタッフの間でも「これは映画でもすべきではないんじゃないのか」っていう意見もあったんですけど。 あの、やっぱりね、映画なんで…………なんでしたのかな?僕が見たかったのかもしれないんだけど(笑) (12:寮) このシーン、学生寮なんですけど、学生寮のデザインはもちろんTVシリーズの学生寮っていうのが、最初のモチーフになってますね。 そもそも最初のコンセプトっていうのが、TVシリーズというものを、更にグレードアップしたようなビジュアルを見せようということなんで、元にしているのがTVシリーズの設計図だっていうものが、結構ありますね。 (13:ブルートーン) このシーンで、注意したのはですね、とにかくその、画をですね、なんとかラブシーンのように見せる事は出来ないかっていう事で随分スタッフと話し合いましたね。 彼女たちが話している会話の内容は、昼間あった決闘のことや、この不思議な学園の秘密だったりするんですけど、彼女達の関係の距離感っていうのを、なんとか映像として、恋人同士を撮っているようなムードにしたかったんですよね。 あそこでファスナーの音が聞こえるんですけど、ファスナーを開ける音っていうのはですね、こっちの指示ではなくて、効果の人が独自の判断でつけたんですけど、それがあまりにおかしかったんで、そのまま活かして、残してありますね。 (14:Ghost room) このシーンっていうのは一転して、フレームの中に何もなく、色を感じさせるような世界じゃないように表現してますね。もちろん冬芽が最初被っているシーツっていうのは、死者に被せている白い布なんですね。 この枝織と冬芽がいる空間っていうのは、ここは死者が存在する世界、死の世界の入り口として表現しようということを、最初から意識していますね。 室内の効果音(SE)も、意図的に病院のロビーの音とかを持ってきて、付けたりしてますね。 つまり、枝織が冬芽と一緒にいるっていう行為は、枝織がかなり死者の想いに捕らわれた人であるという風なのを表現しようとしたっていうのがありますね。 (15:プールサイド) このシーンなんですけど、とにかく水を感じさせるような映像を作ろうという事で、まず、プールはあるんだけど、水が無いと。でも、このプールのある場所そのものは、鏡で出来ている柱で構成されていて、プールには水は無いんだけど、いかにもその、なんていうのかな、非常に涼しげな場所であるというのを考えて、それを効果的に見せる方法にしてみました。 (16:ハイ・ハ~イ!) 日本ではですね、ハイスクールやジュニアハイスクールで、スポーツのサークルっていうのがあって、そのスポーツのサークルで、スポーツの練習する時には、みんな一緒になって、みんな同じ掛け声をしながら同時に動いたり、アクロバットするって習慣があるんですけど(笑)、それのパロディですね、このシーンは。 (17:イリュージョン) このシーンもやはり枝織と冬芽の世界なんですけど、やっぱりこのシーンも死者の世界というのを表現しようとしてますね。つまりこの死者の世界に、暁生から電話がかかってきているという事が非常に面白いのではないのかな、と思ったんですけどね。 もちろん、暁生というキャラクターも実は随分昔に死んでいるキャラクターなんですよね。だからその、冬芽と暁生の会話というのは、言ってしまうと幽霊同士の会話という事なんですが、その幽霊同士の会話の隣に、枝織がいたりする事が、面白いんじゃないのかなと。 (18:失われた庭) このシーンはですね、猫足のバス(タブ)っていうのが出ているんですけど、猫足のバスっていうのはですね、バスタブに猫の足がついてるんですけど、これはその、漫画家のさいとうちほの家に猫足のバスっていうのがあって(笑)、それをモデルにしてますね。さいとうさんの家のお風呂にすごく似ています。 (19:悪意の蛹) このシーンっていうのは、結構、枝織と冬芽のパートでは重大なシーンですね。 ここでは2つの事が表現されています。まず枝織と冬芽がいる場所っていうのは死者の場所なんですけど、そこで語られる冬芽の子供時代の話。冬芽の子供時代の話っていうのは一種の悪夢なんですが、その冬芽から語られる悪夢の昔話と、それから枝織が持っている自分が暮らしている世界に対する悪意っていうのが、クロスオーバーするって表現ですね。 ここで死者の世界である枝織と冬芽のいる空間というのが、枝織の持っている悪意のイメージと、冬芽が昔体験した悪夢のイメージと一体化するっていう表現が、映像的に成されていますね。 で、そこで、キャベツ畑にある蛹から美しい蝶が孵化するんですけど、その事の意味というのは、枝織の悪夢と冬芽の持っていた過去の悪夢というものが、一緒になって孵化したっていうのかな、ひとつの悪意の形になるっていうのかな。 映像的にとにかくこのシーンは美しくしたかったんで、非常に力を入れたシーンではありますね。 『ウテナ』という作品にはポジティブな美の表現と、ネガティブな美の表現というのを非常に際立たそうという試みを数多くしてるんで、そういう意味ではこのシーンっていうのは、ネガティブな美しさっていうのを際立たせようと非常に苦心したシーンですね。 (20:地下駐車場) このシーン、地下室です。地下の駐車場なんですけど。 ここにたくさんの車が置かれていますね。このたくさんの車の意味っていうのはもちろん後半に登場する車が置かれている場所なんですね。 ここでよくファンとか観客に「あのKOZUEっていう車は、あの梢が車になったのか?」っていう風に、よく聞かれるんですけど、まあそう聞かれると、もちろんそうなんですけど、何故車になったのかっていう事については、えーとですね、えー……(笑)、それはあの、ウテナが車になるのと同じ理由なんですね。 そのこと自身はちょっと、僕が話すと、こう、作品の世界を狭くしちゃうんで、まあ話せないんですが。 (21:ベラドンナの蜜) 枝織っていうキャラクターは、樹璃というキャラクターにとって非常に重大な意味があるわけですよね。 枝織というキャラクターは樹璃の過去のトラウマの象徴なわけですよね。 元々、樹璃というのは、実は自分が子供の頃、川に溺れた事によって、とある男性を死なせてしまったという、トラウマが樹璃にはあるわけですよね。 で、その死んだ男性を好きだった女の子が枝織なんですけど、 だから樹璃がああいう風に勇ましく生きている理由っていうのは、ひとつには自分が死なせてしまった男の子に対する贖罪なんですよね。 だから枝織というキャラクターの前で、勇ましく振舞うということで、自分の罪を償おうとしているっていう事なんですよね。 (22:夜の空中庭園) このシーンも、非常に難しかったです。とにかくその、真っ黒の中に赤い薔薇だけを描くんですが、なかなか美しく撮影出来なくって、非常に苦心しましたね。 また星の話をしているんで、星を一緒に見ようという話をしていて、そして今、冬芽がいないってことで、星のない夜空を描くっていう事が非常に面白いと思ったんで、このシーンでは一切星は、空に何も無いっていう風な事を真っ黒で表現してますね。 (23:プラネタリュウム) このカットからなんですけど、実はフルデジタルで制作されていますね。 一見、普通のアニメーションに見えると思うんですけど、実はこのカットからダンスシーンに至るまで実は全てフルデジタルで制作されています。このシーンも全て3Dワークスのコンピューターグラフィックスと、2Dのキャラクターをデジタルデータ上で作成してますね。非常に大変だったシーンですね。 宇宙空間の後の密度も随分細かく作成されていますね。 ビデオだとその細かさをなかなか見てもらえないのがちょっと残念ですけど、スクリーンでこのシーンを見ると、このシーンの美しさっていうのを分かってもらえると思いますね。 (24:時に愛は…) このダンスのシーンっていうのは、多分この映画のハイライトのひとつだと思うんですけど、最も美しく表現されているシーンだと思いますし、実際スタッフも最もこのシーンを美しく表現しようとして、苦労したシーンですね。 このシーン、実は3Dのコンピューターグラフィックスっていうのを随所に使っているんですけど、もちろんデジタル画面で。このシーンをコンピューターグラフィックスだときついって言う人が殆どいなかったんで、そういう意味では温かみのある画面になっていて、コンピューターグラフィックスを使うと冷たくなりがちなんですけど、その部分は随分成功してるんではないでしょうか。 僕自身、このダンスのシーンっていうのは非常に好きなシーンですね。 こういうダンスシーンっていうと、結構自分のキャリアで言うと『セーラームーン』なんかの時でもよくやったんですけど、そういう意味では、自分で言うのもなんですけど、僕はこういうシーンが得意なんだなって思いましたね。 (25:野外授業) この若葉と話している彼っていうのはですね、一切画面には顔を見せないんですけど(笑) 彼っていうのも結構象徴的な存在であって、元々若葉っていうのは、ウテナっていうものを、自分の王子様だって言ってたんですけど、別の男の子が現れると、なんていうのかな、彼をボーイフレンドにしちゃうっていうのかな、やっぱりウテナっていうのは非常にその、なんていうのかな、特別な世界で暮らしている人って描いて、やっぱり若葉っていうキャラクターは、普通の暮らしをしている女の子っていう描き分けをしようという事で、ある意味、もう一人のウテナみたいな男の子として、彼を登場させたんですね。 (26:クロッキー) 今回、美術のスタッフと打ち合わせしたのが、いかにその、赤い色を、シンボリックに画面上に表現させようかということで、赤というのをどういう風に見せようかという事に、随分力を注いでいますね。このシーンなんかも、その一つですね。 この理事長室っていうのは、赤い絨毯で、赤いカーテンで埋められていますし、元々理事長がいたというこの展望室なんですけど、このビジュアルの影なんかも、赤い影がついていたりしますね。 このシーンっていうのは、ダンスの後に、ウテナとアンシーの二人の距離感っていうのが近づいていくシーンとして作られていますね。 そもそも出会いから、ウテナとアンシーってキャラクターは、お互い心を閉ざした関係なんですね。 ウテナはウテナで冬芽との過去があり、アンシーはアンシーで理事長である兄との過去があり、という風に、お互いその事をを打ち明けずに、同じ部屋で暮らしていて。 このシーンでは、その二人がお互いの心を近づけ合うというシーンとして作られていますね。 このシーンっていうのは、当初シナリオの段階ではアンシーの胸に、兄に切られた怪我の痕があるって表現されていたんですけど、僕自身がその画として胸の怪我っていうのを表現するのがすごく嫌で、何とか別の表現がないんだろうかと考えたんですね。 つまり、アニメーションならではの表現、画ならではの表現っていうのがないんだろうかと考えて、今みたいに影で表現するっていう事を思いつきました。 影で表現するっていう事自身が、非常に『ウテナ』らしいと思ったし、しかもその影で表現されている事によって、彼女の肉体的な部分、怪我の部分だけではなく、心に負っている傷の部分も表現出来ているだろうという事で、非常にいいアイデアだと思っていますね。 (27:チュチュとケロポン) この牛はですね、TVシリーズに出てきた牛ですね(笑) これは、まぁ分かる人にはファンサービスって事で、分からない人にはまあ、ブレイクタイムとして楽しんでいただけたらな、という事で(笑) 確かこれはTVシリーズの16話に出てきた「ナナミウシ」という牛ですね。 今回、七実ってキャラクターが映画に登場しないんで、その代わりといってはなんですが、このキャラクターが登場してますね。 この左側のキャラクターは「ケロポン(発音は「ケロッポン」)」というキャラクターです。設定上、チュチュっていうキャラクターのライバルって事になってますね。 TV(シリーズ)の時に、チュチュにライバルがいなかったんで、一人じゃ可哀想だろっていう事で、もう一匹出したらどうだっていうんで出したんですけど、ライバルというより天敵っていうか、いつもそのチュチュが食べられるっていう、色んなエピソードを考えたんですけど、必ず毎回のエピソードの最後にチュチュが齧られて終わるっていうお話をいっぱい考えましたね。 (28:AKIO円舞曲) この暁生の声を担当しているのは、日本では及川光博というミュージシャンなんですね。 彼は日本では人気があって、彼自身王子様のようなビジュアルでロックをやっているんで、この役に非常に合ってると思いオファーしましたね。 その王子様である彼がタクシーに乗ったりするっていうギャップが非常に面白いと自分では思ってますね。 (29:肉体星座αψζ星雲) ここから樹璃とウテナの決闘なんですけど、ウテナっていうのはアンシーとの関係があり決闘してるんですけど、樹璃っていうのは枝織の想いを受けてるわけですよね。 それで枝織の思いっていうのは何かって言うと、冬芽との密室で作られた思いなんですよね。 つまり枝織の考えている想いっていうのは、死者の想いでもあるという、言ってしまえば、枝織っていうのはですね、ゴーストに取り憑かれているキャラクターなわけなんですね。 枝織っていうのは、非常にネガティブなキャラとして描いていて、自分がゴーストに取り憑かれているという事に対して、彼女自身非常に自覚的なんですけど、そこから自分の意志では逃れようとはしないキャラクターとして描いたんですね。 もちろんアンシーもそうなんですけど。自分がゴーストに取り憑かれているという事に、非常に自覚的なんですけど。 枝織っていうキャラクターの場合はその事を非常にネガティブに表面化させようとするキャラとして描いてますね。 だから間接的に、その枝織に翻弄されている樹璃っていうのは結局、樹璃そのものもゴーストに取り憑かれている、かつて死んだ冬芽に縛られているキャラクターとして描けるんじゃないかと思って、その事自身、僕も面白いアイデアなんじゃないかとは思ってましたね。 樹璃っていうキャラクターは非常に日本では、ウテナファンの中では人気があって、僕も非常に好きなキャラクターなんですけど、ある意味では、ウテナと非常に似ている部分があって、よくウテナと対比されますし、もちろんその僕らもウテナと対比させるために作ったキャラクターです。 (30:花壇の秘密) 今回、影絵少女はE子とF子っていうのが出ていて、このE子とF子っていうのは劇場のみなんですけど、そこにC子っていうのは出てくるんですけど、実はC子っていうのはTVシリーズでも出てたんですね。 それを何故、C子だけを映画に出したかっていうとですね、C子の正体は、元々TVシリーズではサルだったっていう事が明らかになるっていうエピソードがありまして、まあそこが非常に自分でも気に入ってたんで、今回またサルが人間のフリをして解説するというのは面白いなと思って、もう一回出したんですね。 (31:エンゲージするものへ…) ここからのシーンは、非常にビジュアルを形而上学的なデザインにしていますね。 非常に迷宮的な画の世界。画は非常に迷宮的な表現にして、その核心部分にどんどん近づいていくんですけど。核心には何があるかというと、アンシーの秘密があるわけですね。 つまり、アンシーが過去、兄とどういう関係にあったか、そしてアンシーが隠していた秘密とはなんなのか、そしてアンシーが兄が死んだ後も隠して守ろうとしていたものは何なのか、というのがまあ、表現されていくんですけど。 それは観客にもちろん伝えられる事ではあるんですけど、それを観客が知るのと同時に、もちろんウテナも知っていくという風になってるんですけど、その果てに何があるかというと、ウテナ自身が忘れていた過去が明らかになるシーンでもあるんですね。 このシーンのビジュアルっていうのはですね、TVシリーズの2シリーズ目(黒薔薇編)にその、14話以降に登場する記念館っていうのがあるんですけど、その記念館のデザインが全面的にベースになっていますね。 この記念館のシリーズっていうのは、TVシリーズの中でも非常に人気があって、それでこの記念館のビジュアルも非常に人気があったんで、それで映画に登場させてますね。 (32:告白昇降室) このエレベーターのシーンもそうですね。元々TV(シリーズ)の2シーズン目に数多く登場したビジュアルイメージなんですけど、そのビジュアルイメージというのをこの映画でももう一度繰り返していますね。 そこで対話、描かれるのが、冬芽とウテナのシーンで、告白であるという事が非常に、映画ならではのシーンであって、非常に面白いと思いましたね。 ここに至るまで、これまで表現されたその、迷宮のビジュアルと、それと形而上学的な画の表現、そしてそこを通過することで、どんどんアンシーの隠していた過去が明らかになって、そして行き着く場所というのが、この告白のエレベーターなんですけど、ここで明らかにされるのが、ずっとこの映画の核心であった冬芽とウテナの関係なわけですね。 このシーンはよくファンから質問されます。「ここでボートに乗っていたのは、誰か?」という質問をよくされますね。 ベンチに座っているのが幼いウテナと幼い冬芽であるならば、あのボートに乗っていた女の子は一体誰なのか?と。あのボートに乗っていた女の子が川に落ちて溺れて、その女の子を救おうとして冬芽は死んだわけなので、実はあのボートに乗っていた女の子は樹璃なんですね。 ただ、幼い樹璃のクローズアップというのは出していないので、観客が色んな可能性について考えたらしいですね。実は枝織なのではないのか?とか、そういう詮索も随分されましたね。 今回の作品では、モチーフとして薔薇と、そしてもうひとつ水というのを非常に重要なモチーフとして描いていますね。冬芽とウテナが出会った時にまず雨が降っていて、そして水の無いプールでみんなが掃除をして、そして大きな空中にある薔薇園で二人が水の中でダンスを踊るというシーンがあり。 何故、その水と薔薇のイメージを繰り返して画面に登場させているのかという意味がこのシーンのためにあったわけですね。 (33:光さす庭) つまり冬芽というのは、実はもう子供時代に溺れ死んでいるキャラクターなんですね。実はゴーストで、ウテナと枝織とあと何人かが見ている夢のようなキャラクターなんですね。実はずっと昔に彼は死んでいて、ウテナや枝織のイメージの中にだけ存在しているキャラクターだったんですね。 そしてこのシーンでは、ウテナも、枝織がそうだったように、死者の世界に冬芽が誘おうとするんですけど、そこでウテナは自分はその世界には行かないという事をはっきりさせ、ここで冬芽と別れるというシーンですね。 そして冬芽自身もゴーストではあるんですけど、やはり今もウテナを愛していて、そして、ウテナと別れるという、非常にこのシーン観客からは支持が高いですね。 さいとうさんは今のシーンが一番好きだって言ってますね。 (34:ウォッシャー) ま、大抵の観客っていうのはこのカーウォッシャーが出たところで唖然としますよね。 実際スタッフの間でも、このシーン以降、まあこのシーンからもそうだけど、賛否両論で、うーん、「絶対これはするべきではない」っていうスタッフもかなり多くいたんですけど(笑)、とにかく自分としては、映画っていうのをとにかく特別なものにしたかったんで、映画ならではの特別な表現っていうのをやってみたかったんですよね。 (35:絶対運命黙示録) 普通に非常に派手な決闘があるとか、例えば通常こういう種類の映画だったら、クライマックスっていうのはものすごく悪い何かが出てきて、宇宙人なり、ものすごく強い決闘相手っていうのが出てきて、そいつが超人的な力を揮って、その事によって画面とかビジュアルも超常的な表現になるっていうのが通常なんでしょうけど、そういうのは実際これまでに色々あったし、僕自身あんまりそういう事には興味がなかったんで。 つまり、そういう作品っていうのは他にもいっぱいあるんで、この作品ならではのビジュアル表現、スペクタクルなビジュアル表現っていうのは何なんだろうと思って、こういう表現っていうのを考えましたね。 このシーンでですね、実はこれまで表向き、目に見えてたビジュアルの学園というのはですね、どんどん変化していって、このシーン以降、目に見えるビジュアルとしての学園っていうのは、一旦姿を消しますんで。クライマックスまで姿を消しますんで。 (36:ウテナカー・ロールアウト) よく「どうしてウテナが車にならなければならないんだ?」という質問を受けるんですけど、まあその都度、それについて僕は答えないようにしてるんですけど。何故かというと、ここでまた繰り返すんですけど、僕が言っちゃうと、意味っていうのがひとつに限定しちゃうんで、それはまあ、つまらないなと思うんですけど。 ひとつだけ、僕が考えていることを言うと、そうですね、『眠れる森の美女』ってお話があって、そこでお姫様ってずっと眠らされていて、クライマックスで王子様が怪獣を倒したときにお姫様が目覚めるっていうお話があるんですけど。 (37:ラジオ実況中継) ウテナっていうキャラクターはこの映画の中では登場した時からずっと、王子様として登場しているわけですよね。で、そのウテナってキャラクターが車になるという行為によって、言ってしまえば眠らされるわけですよね。だからここでウテナとアンシーというキャラクターの関係性が逆転するという事が面白いんじゃないのかなと思ったわけです。 つまり、ここでお姫様になっているのは、ビジュアル的にはウテナなわけですよね。ウテナというのは眠らされていて、その眠らされているウテナを解放する事が出来るのはアンシーだけであるという事に、クライマックス、なるわけですけど。 その立場の逆転が、僕は非常に面白いと思ったんですけどね。 (38:枝織カー) 当初、この映画をTVシリーズから支持してした人たちっていうのは、まさかクライマックスがこういう風にメカニックがいっぱい出てきて、メカニックアクションになるとは思ってなかったんで、映画公開時は相当驚いたみたいですね。 まあ実際、驚かそうと思ってこういうクライマックスにしたんですけど。 このシーンっていうのは、もちろん制作的にもヘビーだった、大変だったシーンですね。 (39:ベルゼブルの群) っていうのは、メカニックがいっぱい出るっていうのと、あとそれから画面がですね、絶えず流れているっていうんですかね。車に乗って、絶えず画面が同一方向に進行しているって事もあって、非常に制作的には苦労が多かったところですね。 特にこのオペレータールームが出るところからラストのクレジットまで、気付く人もいるかもしれませんけど、実は音楽がノンストップでかかっているんですね。で、このクライマックスっていうのは約20分間あるんですけど、実は20分間音楽っていうのは切れないで、ずーっとかかっているシーンでして、しかもその音楽っていうのを画面にシンクロさせているんで、音楽の収録も非常に大変だったですね。 (40:トンネル) 画的には非常にハードなメカニックアクションに見えるんですけど、音楽を20分間流すっていう事で、往年のハリウッドのミュージカル映画のように見せることが出来ないかなと思って、まあやってみたんですけどね。 (41:友情) とにかく、このクライマックスのシーンに関しては、メカニックを描くのが得意なスタッフっていうのが、たくさん集められているんですけど。 当初そういうのが得意なスタッフっていうのは、元々この作品では、声がかからないものだと思っていたらしくって、そういう意味では今回、この映画を製作するって発表した時に、随分そういう人たちに声をかけて、どうして自分たちが呼ばれたんだろうっていう風に驚いたんですけど、実際ストーリーボードを渡されて、説明されると、ようやくその理由が分かったという事で、こういうクライマックスっていうのが存在するって事に非常に彼らも驚いていましたね。 つまり通常ロボットが出たり、メカアクションだっていう事を売りにしている作品だと、自分達が活躍するポイントも、全体的なものになってしまって、非常に存在感が薄くなってしまうんだけど、この作品っていうのは、非常に、その、なんていうのかな、そういう意味では各アニメーターのエキスパートがそれぞれ見せ場があるんで、つまり非常に女性的な絵を得意とする人はダンスシーンなんかで非常にを発揮出来るし、こういう風にこう、メカアクションが得意な人ってのは、クライマックスで非常に力を発揮できるっていうんで、そういう意味ではその、各エキスパートがそれぞれに力が発揮できる場所っていうのが綺麗に分かれていて、結果としてよかったと思いますね。各エキスパートの仕事も非常に上手く表現できてると思いますね。 (42:罠) このシーンっていうのも、非常に気を遣ったシーンですね。 つまり、このシーンではとにかく登場するお城っていうのを、いかにビジュアル的に大きく見せて、しかも美しく見せるかっていうのを本当に苦心しましたね。単に大きいだけでなく、とにかく美しいっていう風なのを随分意識しましたんで。 (43:ベルゼブルの王城) そのために、このクライマックスのシーンで、延々他のビジュアルを見せていないっていう事が結構効果的に活かされていると思いますね。 つまり、一旦このレースシーンが始まった所でほとんど派手なビジュアルは登場させないように、意図的に10分以上暗い画面で引っ張っていたんで、このクライマックスでお城が出てきたときに、非常にこのお城の登場というものに対してインパクトが表現できたと思いますね。 (44:輪舞~revolution) で、このシーンからは車の形が変化しますね。音楽も、これはTVシリーズの時にシンボルと使われていた、TVシリーズのOPの歌ですね。 非常に状況としては、危険な状況なんですけど、それをそのTVゲームのように観察してる影絵少女達。そして影絵少女達のように観察をしているという事を観客自身も眺めている、というのが非常に面白いのではないかと思いまして。 この一連のシーンというのを、実は非常に分かりづらいんですけど、ここら辺もコンピュータグラフィックスを使っていますね。3DのCGですね。 (45:さよなら、私の王子様) ここで今回のもう一人のゴーストである暁生っていうのが出てきますね。 このシーンっていうのは非常に重大なシーンで、ウテナはこの作品中、自分を王子様だって言ってるわけですけど。 溺れた女の子を助けなきゃいけないという正義感を持ったピュアな心の持ち主である、本当の王子様である冬芽や、そしてアンシーにとって優しい兄であった暁生、彼も本当の王子様なんですけど、本当の王子様っていうのはこの世界ではもう死んでいるんですね。 そして、王子様が死んだ世界で、いないと云われている世界で、王子様のフリをしている女の子がいるファンタジーの世界っていうのが、僕は非常に面白いと思ったんですね。 その事の意味っていうのはまあ、一言では言えないんですけど、ひとつにはその、大人になることの意味っていうのを表現したかったのかな、と自分では考えています。 大人の世界には、ピュアな心な人も、自己犠牲精神を持った人もいないんだけど、その事を知ったときに、あなたはどうしますか?と (46:脱出) つまり、たとえば、大人の世界は非常に汚れていて、ピュアな人は生きられない世界だとしたら、自分は大人になるのをやめて、子供の世界で、子供の美しい夢が見られるだけの世界で生き続けようとするのか、それともやはり、大人の世界がピュアでないと知りつつも、大人の世界に挑む人生を選ぶのか、どっちなんだろう、という事で、この作品のクライマックスというのは表現されていますね。 (47:荒野へ~48:フィアンセになりたい) えー、ここでネームプレートで影絵少女の正体っていうのがはっきり分かるんですけど。 影絵少女っていうのは、ロボットでも人間でもなく、単なる人形だったという事なんですけど、その人形に「ウテナ」ってネームプレートと、それから「アンシー」っていうネームプレートがついてるんですけど、その事の意味っていうのは、影の女の子達っていうのは、ウテナとアンシーのもうひとつの心の声だったという事と、それから、まあ、観客の代表であるっていうか、観客の気持ちっていうのを代弁したという事であり、このお話っていうのはそもそも、この作品を見てくれているティーンエイジャーである観客の事を言っているんだよっていう意図で、ああいう風にしていますね。 このシーンっていうのは延々にスクラップの車が積まれているっていう荒涼たる荒野なんですけど、その荒涼たる荒野っていうのはもちろん僕たちが暮らしている現実世界っていうのを表現しようとしたものですね。 で、この学園世界っていうのは、ある意味その、夢の世界なんですけど、まるでその、ディズニーランドのような夢の世界なんですけど、その夢の世界と、その外の荒涼たる荒野の大人の世界っていうのを比較して描くように努めてますね。 荒野っていうのは非常に広いんですけど、非常に困難な場所であって、そこに挑む、服も何も着ない、裸で挑むっていう行為をまあ、描いてみたかったっていうんですかね。 よく「何でこういうラストシーンにしたんだ」っていう風に僕自身もよく聞かれるんですけど、 まあ僕自身、なんでこういうラストシーンにしたのかはっきり分からないんですけど、多分、僕が社会に出る前、10代の頃に、どのように社会の事を考えていたのかっていうのを、反映させたかったと思うんですよね。こういうビジュアルイメージっていうのを、多分、僕が10代の頃に非常に考えていたんではないのかと思うんですよね。 つまり、大人の社会っていうのは、ピュアじゃないと。ピュアな人は大人の社会では生きられないっていう風に思い込んでて、だとしたら自分は、大人なんかになりたくないなって思っていたんですけど、はたしてそれでいいんだろうかと、まあずっと思っていて、今に至ってるわけですけど。 そういう意味では、あの頃の、10代の頃の、自分の気分っていうのを、正直に表現しようとして、作ったラストシーンですね。 あのクライマックスのシーンっていうのは、本当の事を言うと僕は、これから社会に出ようとしているティーンエイジャーに見てもらいたいシーンですね。 そしてまあ、自分の事をちょっとカッコよく言うと、自分自身、まだ荒涼とした大人の世界で、生きているんだなっていう、自覚があるんですね。 だから、今の自分自身のためにも、あのラストシーンを作ったんだという想いがありますね。 たとえば、僕はアニメーションのディレクターですけど、アニメーションのディレクターという仕事は非常に困難な仕事だと自分では思うんですね。個人的な作業じゃないですから、非常にヘビーなスタッフワークもありますし、非常に大きなお金を集めて制作されるものですから、ビジネスとして非常にヘビーなもんですし、その困難な事を成し遂げるという行為が、いかに自分の気持ちに正直に、困難な行為を成し遂げるかということが非常に試される装置なんですけど、アニメーションを作るという行為が。 そういう状況にいる自分を励ますためにも、ああいうラストシーンにしているという事でもありますね。 今後も自分はこういう世界で生きていって、こういう困難な状況に、立ち向かっていくんだっていう、観客に対しても、もちろん僕はラストシーンでアプローチしていますし、ティーンエイジャーだった頃の僕自身にもあのラストシーンっていうのは、アプローチしていますし、そして今の僕にもあのラストシーンっていうのは、アプローチしてるんですよね。 そういう意味では、あのラストシーンっていうのは、あの時の僕の状況としては、あれ以外なかったなと、今でも思っていますね。 そしてやっぱりあのラストシーンが非常によかったと言われるのが、僕もやっぱり一番うれしいですね。 以上、このラストクレジットには非常に多くの方のお名前が出てますけど、このスタッフ、みんな一生懸命仕事をしてくれました。 『少女革命ウテナ』という作品を非常に大切にしてくれたスタッフばかりです。 この場を借りて、スタッフみんなにお礼をさせて下さい、みなさんどうもありがとうございました。 そしてこの音声解説を聞いてくださったファンの方々、どうもありがとうございました。 また次回作でお会い出来る日を楽しみにしています。では、ありがとうございました。 |
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