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「『少女革命ウテナ』 プライヴァシー・ファイル 最終回」 榎戸洋司
- 2009/02/20(Fri) -
「『少女革命ウテナ』 プライヴァシー・ファイル 最終回
“鳳暁生”の場合。あるいは王子様の欠落」

マガジン・マガジン「小説JUNE」 99年9月号より
 
さて、いよいよ映画ウテナの公開日が近づいてきた。すでに劇場で予告を観たという方もいることだろう。今回はクライマックスについて触れる約束だった。

ウテナとアンシーが王子様と戦う。
二人の少女が、王子様システムを破壊する。その構図は、基本的に同じである。

王子様。

そう、この作品には、鳳暁生という“王子様”が登場する。

ところで“王子様”とはなんだろう?
タイトルの『少女革命』とは、少女が、少女を支配するものから、自由になる物語であることを示している。そしてこの作品の王子様とは、少女を支配する敵として設定してあるのだ。というか、王子様、という言葉こそ、少女がとらわれやすい最大の罠ではないかと考えたのだ。

作中の暁生には、具体的に何処かの国の王子という設定があるわけではない。出自や身分は(おそらくは)平民だ。しかし、だからこそ、王子様と名乗り、呼ばれていることに意味がある。最近、世間でよく使われる王子様という言葉に近い。

では、僕たちはどのような王子様像を暁生にもたせたのか?


鳳暁生は鳳学園・大学部に籍を置く学生である。鳳の姓は、代々学園の理事をつとめている鳳家に養子に入って手にしたものだ。容姿端麗、ひとあたりのいい性格と自然に備わった気品、そして恵まれた才能。

理事長は彼という才能にすっかり籠絡され、一人娘である香苗の将来の婿にと望む。理事長は暁生という美しい青年の危険を最後まで見抜けなかった。長年にわたって理事長職に安穏とおさまり、博愛の理想という美辞麗句を本気で学生に説いていたような彼には、自分には想像もできない邪悪と欲望を孕んだ暁生の毒牙が理解できなかった。

もともと父親を崇拝していたお嬢さま育ちの香苗が、その父から与えられた婚約者に心酔するのに、さして時間はかからなかった。彼女はすぐに身も心も暁生のとりこになった。

そして理事長の妻、つまり暁生の義母にあたる原夫人は、そのときすでに暁生と肉体関係にあった。性的奴隷と化していた彼女は、夫の食事に、暁生から指示された毒物を混ぜてすらいたのだ。

香苗は、もちろんそんな暁生と自分の母親の関係は知らずに、病に倒れた父親を気づかっていた。やがて暁生は理事長から代行役を頼まれ、学園支配を確実なものにしていく……。


と、書き綴ってみると、これはこれで危険な男性像として、ひとつの王子様でありえたと思える。ピカレスクなキャラクターとして成立しただろう。

だが、暁生は、そうした危険な王子様ですらなかった。

香苗やその母親と関係するのはいいとして(いいのか?)、ひとつだけ決定的な弱みをもっているからだ。
それは実の妹、アンシーと、夜ごとに禁じられた関係を続けていることだ。

この一点において、暁生は、本物の王子様ではなくなる。もちろん、世間で言うところの王子様、という意味でだ。王子様ではなく、王子様を演じているやつ、になってしまう。
甘える妹とは母親の代替品でしかないからだ。そしてその弱点は、今回の映画では決定的に協調されている。

もちろん、僕たちスタッフは王子様を否定したいわけではない。結果的には王子様へのかかわり方を問うような作品になってしまったが、そんなものは、そもそものモチベーションではなかった。最初は快楽を描こうとしたのだ、素直に。ただ今日的な快楽とはなにかを考えているうちに、暁生のような王子様像になってしまった。まさに“結果的”にだ。

なぜだろう。

あたりまえの価値、とされているものに、つい苛立ってしまったのかもしれない。

カッコイイ王子様が現れて、主人公の女の子が結ばれて幸せになる。
そこに説得力がない、と思ってしまった。

だって、王子様の条件って、みんな楽そうなんだもん。(もちろん依存の快楽は大きい。生後数年間を母体の外で依存して育ててもらわなければ生きてられない生物に与えられた、それは大いなる課題だ)
そしてまさにその“楽そうな依存”をセールスポイントにして、人を支配しようとしたのが暁生である。

だからこそ対するウテナは、とにかく潔くカッコいいのだ。

その魅力は“本気”ってことかなあ。王子様やお姫様って言葉の快楽には、なにか“本気さ”が欠落しているように思えるんだけど……そう、今いちばん必要なのは、本気ってことじゃないでしょうか?

ここしばらく周囲に見る不幸の多くは、その本気であることの欠如に根ざしているような気がするのです。
憎しみとかですら、本気でないように思える。
(ま、どこまで自分が本気であるのかなんて、僕にもあまり自信がないけど)

本気であること、というのは、とにかく疲れるし、めんどくさいし、なによりリスクが大きい。エネルギーが必要だ。

けれど、だからこそ本気であることの価値が問われているのではないか、そしてみんながいま求めているのはまさにそういうことではないのか、とか思って描いています。

とりあえず本気で恋愛する人は、王子様なんて求めないんじゃないでしょうか。



「『少女革命ウテナ』 プライヴァシー・ファイル ① “桐生冬芽”の場合。あるいは映画で青春を描くということ。」
「『少女革命ウテナ』 プライヴァシー・ファイル ② “有栖川樹璃”の場合。あるいは革命の起こらない王国」
 
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