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第39話「いつか一緒に輝いて」 解説
- 2013/08/03(Sat) -
第39話「いつか一緒に輝いて」 解説
放送年月日 1997年12月24日放映

スタッフ
脚本:榎戸洋司   絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨    作画監督:長谷川眞也
そして、最終回。最終回はオープニングはなく、冒頭からドラマが始まるというスタイル。エンディングも新作で、サブタイトルがラストに出されるという凝った構成。
幻影を映し出すプラネタリュウム=決闘場を舞台にして、シュールともいえる「表現」を全面に出しつつも、むしろ、どこかストイックだった居間までのエピソードとは違い、しっとりとそして感動的に、ウテナとアンシーのドラマを描く。

人の憎悪に光る「百万本の剣」とは、この世界の「残酷」の結晶なのか、王子様が女性に与えるものは「お姫様」のポジションでしかないのか。「ひたむき」であることに価値はないのか。
ここで語られるのは、世界であり、ジェンダーであり、自分の殻を破ること、すわなち革命である。

キャラクタードラマ的には、暁生を一方的に悪役として描かず、むしろ、彼の立場もある程度肯定的に描いていることが面白い。彼は、むしろ、ごく普通の「大人」だったのかもしれない。
最終回放映当時に幾原監督は「自分が信じることをやりとげようとして消えてしまったウテナも、居心地のいい世界に留まろうとした暁生も、大変なリスクを背負うことを承知で新しい世界に旅立ったアンシーも、どれもみんな、今の僕であり、僕の気持ちだよ」と語っている。
『ウテナ』は「大人」と「これから大人になる者」の物語であったのかもしれない。

メタフィクション的にも、この最終回は興味深い。
決闘場も、そこに出現する様々な現象も、全てがプラネタリュウムが映し出していた幻影だったことが第38話で判明しているにも関わらず、その決闘場に現れた「百万本の剣」が、決闘場もプラネタリュウムも破壊してしまい、そのために現実世界でウテナは行方不明となってしまう。
何が現実で、何が幻影なのか。どこまでが物語で、どこまでが表現なのか。
その虚実一体となったところがまた、『少女革命ウテナ』の醍醐味なのだろう。

最終回は、歌に関しても話題が多い。合唱曲「ミッシングリンク」は特に最終回のためにJ・A・シーザーが新作した曲。
最終回の内容に合わせて作られているため、他のエピソードの合唱曲よりも作品のないようにあったものとして仕上がっている。
この回のみのエンディング曲「rose&release」は、オープニングテーマ「輪舞 ―revolution」の元になった曲である。この曲に変更が加わり、詞がついたのが「輪舞 ―revolution」なのだ。
オープニングテーマ制作中にこの曲を聞いた段階で、幾原監督は最終回で使おうと決めていたそうだ。
勿論、ここで使われているのは元曲そのものではなく、あらためて作曲し直し、録音し直された曲である。

以下、些末なことについて説明しておこう。
エピローグで、廊下で若葉に抱きついた女学生は、第1話冒頭に登場して若葉に「ハハア~ン、あんた、フラレたわね」と言った女の子と同一人物だ。
七実がお茶を淹れるのに使っている魔法瓶は、第20話「若葉繁れる」で、若葉が使っていたのと同じカッパのかたちをしたもの。
アンシーは学園を去る前に、暁生の部屋に眼鏡を置いていったが、チュチュは同じようにネクタイとピアスを置いていった。
彼は、アンシーへの好意から、彼女が愛する暁生のコスプレをしていたのだ。

(LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 11」封入特典・解説書より)
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