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「カルトの魔力」 幾原邦彦×榎戸洋司対談
- 2007/03/19(Mon) -
幾原邦彦(監督) VS 榎戸洋司(シリーズ構成)
徳間書店「アニメージュ」 97年7月号より

──『ウテナ』って、ものすごく不思議なアニメですね。物語も、台詞も、描写も。カルトな感じがしますよ。

榎戸:始めた頃には、ポピュラリティのある作品を目指そうって言ってたのにね。

幾原:あれはね、俺の中ではポピュラーなんだよ。

一同:(笑)。

幾原:あれが俺のポピュラーなの。わかんない奴が駄目なんだよ。

榎戸:「俺のポピュラー」っていう言葉自体が、すでにポピュラーじゃないよ。

一同:(笑)。

幾原:「俺の宇宙」には「俺の世界」があって、そこの住人がみんな好きだって言ってんだから、ポピュラーなんだよ。

──幾原さん、今日はいきなりトバしてますねえ(笑)。

榎戸:幾原、それを世間ではカルトと言うんだよ。

幾原:うーむ、そうか(笑)。

──影絵少女の言ってる事って作品とどのぐらいシンクロしてるんですか?

榎戸:むしろね、影絵少女が作品のメインで、それ以外の部分は付け足しみたいなものかなと思ってる(笑)。

──え?それは、テーマ的な事で、ですか。

榎戸:いや、ストーリー的にも。やがてそれは明らかになっていくかも(笑)。

──影絵少女が主役なんですか。

榎戸:影絵少女が『ウテナ』全体を表している、とは言えるかも知れないね。

──そんな、読者が動揺するような事を……。

榎戸:ああいう見せ方がね。影絵少女って登場人物を茶化したような事やテーマみたいな事をいつも言ってるけど、実は、影絵少女という表現自体が作品全体を集約したようなものではあるかもしれない。

幾原:『ウテナ』は「世界そのものが、作り物と見える」ようにしているつもりなんだ。影絵少女の表現によって、それが明確になっているんじゃないの。

榎戸:アニメを見ていて、設定的な整合性を気にする人がいるよね。だけど、そんな人でも、影絵少女のシーンの中でバカな事が起こっても、おかしいと思わない。それは「作り物」だってわかっているからだよね。だけど本当は、アニメ自体が「作り物」なわけだよね。
『少女革命ウテナ』という作品自体が影絵少女みたいなモノで、「あのアニメっていうのは、何かの影絵みたいなものなんだよね」と思えるようなものになればいいと思っているけれど。

──全部、作り物なんですか?

幾原:俺から見たら、日常生活だって作り物っぽいと思うよ。見た目と中身がチグハグなものっていくらでもあるじゃない。『ウテナ』もそういうものじゃないかな。

榎戸:フィクションの在り方を否定しようと思ってやってるわけじゃないんだけどね。どうせ作り物だったら、作り物である事を自覚して作りましょうという事だね。

──全部が作り物だとしたら、『ウテナ』という作品の「大事な物」はどこにあるの?

榎戸:大事な物は……僕の心の中にあります(笑)。

幾原:いや、俺の宇宙にある(笑)。

一同:(笑)。

榎戸:むしろ『ウテナ』って、見ている人達の、心の中にある「大事な物」が何なのかが問題なのかも知れない。

──なるほどね。『ウテナ』って普遍的な「大事な物」について考える作品だよね。違う?

榎戸:まあ、価値の話だよね。

──9話の最後で「本当の友達がいると思っている奴はバカですよ」と冬芽が言って終わるけど、アレはどうなの?作品としては肯定してるの?

榎戸:物語の中では一種のアイロニーとして扱っているけれど、別に冬芽の考え方が間違ってるとは思ってはいない。

幾原:今の世の中って、みんな、「人は平等だ」と思っているよね。でも、それは表面的な事に過ぎなくてさ、本当は平等なんかじゃなくて、その事実は隠されている。
その気持ち悪さを知っている奴というのが、例えば、冬芽なんだよね。「人間が平等なわけねーだろ、バカ」と思っている。そういう意味では、一回裏返そうとは思ってるんだけどね。

──裏返す?そういう事を。

幾原:実はこの社会というのは残酷なもので、それを知ってる奴だけが世渡りできるのさ、という現実を描く。それを描いた上で、世界が残酷ならどうすればいいか、という話に持っていければと思っているんだ。

榎戸:西園寺なんかは、冬芽の事を嫌っているような態度をとっているけど、それは冬芽が裏で何をやっているかを、直感的にわかっているからなんだろうね。

──でも、冬芽に対して感情的なるのは「本当は友情が大切」と思ってるからで……。

榎戸:だって、前提条件はそうでしょ。例え、実際に本当の友達なんていないと思ってる人がいたとしても、本当の友達が、いればいいだろうなとは思っているんじゃないかな。
上の世代の事はわからないけど、僕らの世代って子供の頃に学校教育やテレビ番組に「仲がいい事が大事」という事を刷り込まれて育ってきてるから。でも、本当の世の中はそうじゃない。

幾原:やっぱりね、「平等だから友達だ」という思想があると思うんだよね。特に俺達の世代や、俺達より歳下のティーンエイジャーなんかには。その事に対して「本当に平等でいいの?」とかさ、「平等で友情が保てるの?」とか疑問を投げつける。
『ウテナ』では、そういう事をやっているつもりなんだよね。勿論、アイロニーとしてだけどね。

榎戸:世の中のそういう事を、一番わかってないのはウテナだよね。

幾原:ウテナは無自覚だね。

──アンシーに「友達を作りたまえ」とか言うしね。

幾原:ウテナが一番表面的なんだよ。

榎戸:ウテナは、まだ、卵の殻の外がある、という事に気付いてない。それに気がついた時に、ウテナの本当のドラマが始まるんだけどね。平等なんて基本的にないからこそ、ルールとしての平等の部分を作るというのが理想的な人間関係のはずだよね。
今の世の中って「本来は平等ではない」という部分を教えずに「最初から平等である」という事にしちゃってる。そこから、全ての混乱が始まってるんじゃないかな。

──男女平等だって、本当は平等じゃないという現実があるから、わざわざ主張されているわけだからね。

幾原:そういう事だね。

榎戸:世の中の人間関係って、全て力関係が支配してるわけじゃない。

──お金持ちかどうか、とか、勉強が出来るかどうかとか。

榎戸:普通はそういう事には目をそらすわけだけど、それに気がついてしまったら、デュエリストにならざるをえないんじゃないかな。

──世界を革命しなくてはならない。

榎戸:今の世の中って、子供に「世の中は平等、友情が大切」と教える一方で、受験戦争をやらせるわけでしょ。

幾原:痛みを感じないように、他人と差をつけようとしているよね。勉強して良い点数取ったり、いい学校へ入ったりするのは他人と差をつけようとする行為なんだけど、その行為って、そんなに痛みがないでしょ。だから、実感がないんだよね。

榎戸:戦う痛みを知っているだけ、デュエリスト同士の関係の方が美しいよね。

幾原:間違いなく、この現実社会には力を持っている人間がいるわけだから。そして、力を持つという事は残酷な事だからね。

──力を持っている人と持っていない人がいるという事が残酷なワケね。

榎戸:それを残酷という風にとらえちゃうのは、そもそも「世の中は残酷ではない」という事を刷り込まれた人の側から見て、残酷というだけで……。

幾原:そうだね。この世界が平等だ、と思ってる人にだけ残酷なんだよ。

榎戸:実際に強い力を持っている人にとっては、そこには自然の法則みたいなものしかないわけだから。

──「お前は弱いから、ダメだ」みたいな感覚ね。

榎戸:逆に、そういう人たちから見ると平等意識を持っている人が気持ち悪く思えるんじゃないかな。だから、デュエリストの人達ってデュエリスト以外の人とは友達にはなれないだろうな、と思う。

──この場合の、デュエリストって何なの?

榎戸:この場合のデュエリストというのは、現実が残酷だと知ってる人。ただ、どこかで世界が残酷なのは嫌だと思っているんだよね。この世界が残酷なものだという事に気付いたから、残酷な掟に従って決闘ゲームをやっているけれど、本当は残酷でない世界の方がよかったと思っている。
みんな、どこかで妹や、幼なじみとか、競争しなくてもよかった子供の頃の人間関係にすがりついてるのは、そのためなんだよね。逆にそれが弱点で、残酷になりきれないために負けちゃってる、というパターンなんだね。

──その辺り、9話は顕著だったよね。

幾原:この社会が本来残酷なものであるという事は、9話でかなり言っているよね。世界がさ、残酷なものであるとしたら卵の殻の外に出た時に、その世界を新しいルールで平等にしなくちゃいけないよね。

──デュエリストは、そんな世界を変えるために、革命を起こそうとしているわけだ。

幾原:そうかもしれないね。世界や社会のかたちを決めているのは、実はルールに過ぎないんだ。現実の世界でも、力のあるヤツには、世界や社会のルールを変えてしまう事が可能なんだけどね。

榎戸:そのために最低限必要なのは、本人がルールはルールでしかない、という事に気付く事なんだよね。社会のルールだって、誰かの作ったものだから。

──なるほど。

榎戸:人間って自分達の作ったルールというのはわりと守るけど、人から押しつけられたルールというのには一応反発したり、否定しようとしたりするものだから。そういう意味では、作品中で語られている「革命」というのは、自分たちのルールを作ろうという意味なんだろうね。
まあ、若者というのは、ルールがすでに出来ている社会に参加するわけだから。自分たちのルールを作ろうとするのは当然の事だよね。

幾原:基本的に世界を変えたいとか革命したいという感情は健全なものなんだよ。一連の宗教事件なんかでさ、わりとそういう事が気分の悪い事だみたいに喧伝されてるけど、実はそうじゃない。生まれた時から、他人に決められたルールを無自覚に受け入れる方がどうかしてるよね。

──監督と世界のルールの関係はどうなんですか?

幾原:間違いなく、デュエリストの気分というのは、今の僕の気分だね。そういう意味では、割と作品とリンクしている。

──榎戸さんはどうなんですか?世界との関係は?

榎戸:僕は、今のところ、結構調和しています(笑)。

──監督と違うんですね。

榎戸:いや、調和してると自分に言い聞かせているだけなのかもしれない(笑)。
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