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「監督日記 未来への動機」 幾原邦彦
- 2007/04/02(Mon) -
徳間書店「アニメージュ」連載
「監督日記」最終回(97年3月号掲載)より



唐突だけど、この連載は、今回で最終回という事になった。本業――つまり監督の仕事の方が忙しくなってきたからだ。こうして話をしている間にも、セルやらフィルム缶やらが僕の回りに散乱していて、けっこう大変な状況なんだ。
というわけで、今回は最後だから、どうして僕が監督になろうと思ったかという経緯について話そう。

さかのぼれば、十数年も前になってしまう。
僕は、まだ高校生だった。その頃の僕は勉強もできない、スポーツが得意なわけでもない、いわゆる落ちこぼれだった。監督になろうとか、将来メディアの世界で身を立てようなんて考えてもいなかった。そんな僕が、ある時友人に誘われて、芝居を見に行く事になった。
まわってきたチケットだったし、その友人も特に芝居が好きというわけではなかったから、僕は大した期待もせずに見に行った。それが「天井桟敷」だった。

知らない人のために説明すると、天井桟敷というのは、寺山修司が創設した劇団で、いわゆる70年代のカルチャーの最先端として、カリスマ的に支持されていたグループだった。
僕は、その天井桟敷の公演を見て、かなりのカルチャーショックを受けた。虚構と現実の曖昧さを暴き立てるような芝居で、僕は舞台上で行われている世界が自分のいる世界に侵食してくるような錯覚に陥った。驚いたのは、そうした事が作品を通して、とても分かりやすく語られていたこと。そして、芝居の内容自体より、寺山修司という人のディレクションの仕方に衝撃を受けた。

天井桟敷の芝居は、高校生の僕にも、はっきりと作り手(=寺山修司)の作為が感じられた。それまでは、ディレクター(監督)や演出という言葉は知っていても、具体的にそれがどんなものか分かっていなかった。
せいぜい、メガホン握ってディレクターズチェアに坐って「はいカットぉ」と言ってるくらいの漠然としたイメージ。でも、天井桟敷の芝居を見て、初めて監督という職業、演出するという事を明確に理解できた。

それ以来、テレビにしても芝居にしても、僕は全ての作品を、作り手の作為を意識して見るようになった。それまでは、ほとんど自分の感性だけで面白い面白くないと作品を判断していたけど、そうして作り手の作為を意識するようになってから、作品の向こうに作り手の存在が見えるようになった。僕が、自分でも作為あるクリエイターの側にまわりたいと思うようになったのは、それからだ。

今にして思えば、天井桟敷の芝居は僕にとって未来へのモチベーション――未来へ進むのか。どういう未来を目指すのか。そんな原動力になるものだったと思う。だから僕は、それから写真を撮ったり、8ミリをまわしたり、ビデオ作品を作ったりと、クリエイターの側にまわるべく、いろいろと試行錯誤したし、東京にも出てきた。考えてみると、あの頃の自分と今の自分って、本質的には変わっていないのかもしれないな。

ところが、そうしたモチベーションを失ってしまう時間もある。特に作品を作っているときには。作品を作るという事は、実はたくさんの可能性の中から一つの可能性を選び、他を捨てるという事だ。
つまり、作品を完成させるという事は可能性を捨てていく作業でもあるわけだ。だから、作品が収束していくにつれて、どんどん想像力が失われていく。
すると、単純に作品を作る創造力だけでなく、自分の未来を作るという創造力まで失われてしまう事がある。
実際『少女革命ウテナ』の企画を始めたときも、そうした創造力――未来へのモチベーションを失いかけていた事があった。作品を作る事自体が目的になっていた。
僕にとって幸運だったのは、そのとき、さいとうちほさんに出会えたこと。彼女の絵に会えたときに、僕は忘れかけていたモチベーションを思い出す事ができた。この人の絵で作品を作れれば、自分がこの業界に入った動機、原点を取り戻せる事が直感的に分かったんだろうな。それは、今一緒に仕事をしている榎戸や長谷川らにしても同じ事が言える。
単純に仕事ができるから付き合ってるのではなく、その人に多少なりとも未来の芽を感じられるから一緒に仕事をしているんだ。

ただ、残念な事に、あの天井桟敷を見たとき以上のカルチャーショックを、僕は未だ味わっていない。もちろん、今でも近いものを感じる事はあるけど、あの時ほどではない。
それはたぶん、もう一度同じもの――あの天井桟敷の公演をを見ても味わえないのだろう。
あれは、僕がまだ何も知らない高校生だったから味わえた感動なのだろうから。

僕は、今でもあのときのような感動を味わいたいと思っている。それは単純に、いい映画を見たいとか、いい話を聞いて感動したいという事ではなくて、新しい未来のビジョン、自分の未来はここにあると感じられるようなモチベーションを与えてくれる感動を、絶えず求めているという事。
そういう意味では、今作っている『少女革命ウテナ』も、そうした手段の一つなのだろう。もちろん、ウテナは一生懸命作ってるし、必ず面白いものになるだろうという確信もあるけど、僕にとって重要なのは、ウテナという作品を作るという過程で、どれくらい自分が未来へのモチベーションを得られるかという事なんだ。

大事なのは、絶えず自分がオンザウェイ、未来に繋がる道に立っているのを実感できること。一番大切なのは、いつだって、オンザウェイってことだからね。
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