スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
劇場版 「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」 オーディオコメンタリー
- 2007/04/11(Wed) -
劇場版「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」北米正規版DVD特典
幾原邦彦監督 オーディオコメンタリー 文字起こし

※以下、(  )内はコメンタリー該当部分の日本正規版DVDのチャプター名を記載。


こんにちは、『少女革命ウテナ』の監督・幾原邦彦です。
今回はみなさんにこの映画の制作の裏話をお聞かせしようと思います。

(01:Be-Papas)
まず、トップシーンですけど、このシーン少し大変だったという思い出があります。
というのは、このカット、デジタルで合成されているカットなんですけど、非常にカメラワークが複雑です。このカットを任せていたアニメーターがですね、スケジュールアップ間際になっても、まだ実はこのカットを作成していないということが発覚しまして、急遽僕がカメラワークの指示を自らやったという思い出がありますね。
非常に複雑なカメラワークだったので、大変だったという記憶が今でも残っていますね。

(02:Rose is rain)
OPのタイトルなんですけど、このOPのタイトルも制作がすごく大変だったという思い出がありますね。
これ単なるサブタイトルではなく、実はこれもデジタルで、コンピュータグラフィックスなんですね。
で、これをですね、ノンリニアの編集機能を持っているスーパーコンピューターっていうのが日本にありまして、それを使用して、ノンリニア合成っていうのを、まぁやったんですけど、非常に大変でしたね。
ノンリニア合成っていうのは要するにデータをですね、デジタルで、ビデオを編集するのと同じような速度で、パソコンの中で、デジタル合成するっていう技術なんですけど。
オペレーターの能力というのが非常に要求されるのと同時にマシンの能力というのが非常に必要とされる技術で、そういう意味で非常に……このシーン(最後に幾原監督の名が出る部分)も非常に大変だった記憶がありますね。

(03:天上ウテナ)
トップシーンですけど、ここ教室の中ですね。
メインスタッフとの打ち合わせでは、とにかく一番最初のシーンなんで、観客を、何ていうのかな、不思議な世界に誘う(いざなう)方法はないかという事で、黒板を縦横無尽な方向に動かすのがいいんじゃないのかというアイデアを採用しましたね。

(04:校内放送)
このシーンもそうですね。さっき冒頭のシーンで使ったテクニックと同じテクニックなんですけど、このシーンの存在で、随分この映画のムードっていうのは決定されたと思うんですよね。このシーンの存在で、この映画は不思議なムードになってると思いますね。
影絵少女が冒頭から出てるんですけど。この影絵少女も、そうですね、随分その、なんていうか、TVシリーズと違った出し方っていうのを随分考えまして。それで、もっとこうドラマを解説するっていう事に必然的な解説の仕方(笑)がないもんだろうかと考えて。それで、いっその事、実況中継だ、っていう事なんだったら、放送部にしたらどうかっていう事で、彼女達はいつもこうマイクの傍で実況してるっていう風な画にしました。

(05:スカーレットたちの舞踏)
これは樹璃と幹がフェンシングをしてるってシーンですね。
TVシリーズでは結構その、こういうシーンが多く登場したんで、まぁ映画でもやっぱりあった方がいいだろう、っていう事もあって、まぁこれはちょっとファンサービスではありますね。
ここまでずっと見てくださって分かると思うんですけど、この作品っていうのは美術に力を入れてますね。ここまで見たところでも、美術的には印象に残るビジュアルがいっぱい登場していると思います。

(06:再開)
実際映画のこのシーンあたりまではその背景、美術を見せるっていうのに注意を払いましたね。
今回の作品では数多くの美術ボードというものを作りました。美術ボードというのは、そうですね、美術の設計図ですね。数多くの美術の設計図を作りました。
その美術の設計図を元に各シーンのイメージカラー、イメージトーンというのを決めていくんですけど。

たとえばこのシーンなんかでは、全体的にはその、モノトーン調で行こうという話だったんですけど、全部モノトーンだとつまらないので、例えば、柱にピンクを感じさせよう、赤を感じさせたらどうか、とかってアイデアを出したりしましたね。
そういうディスカッションを美術のスタッフとやるんですけど。そうやって、作り出されるのが、まあ美術ボードという美術の設計図なんですね。

このシーンっていうのは、冬芽が初めて画面に登場するシーンなんですけど。後にこの彼が登場するっていう事と、雨が降っていることには、意味があるという事は分かります?
つまりクライマックスで冬芽との別れのシーンで、川の音がするわけですよね。
その事と雨の音っていうのは実は関係があるっていう風なことを考えていくようにはしてますね。

(07:空中庭園)
この薔薇もそうですね、数多くの薔薇の中にひとつだけ白い薔薇がある。このひとつだけある白い薔薇というのが、王子様の象徴であると。
その王子様の象徴である白い薔薇から、ウテナが指輪を手渡されると。
つまり、冬芽というのは元々ウテナにとって王子様の象徴で、そして彼が画面から消えた時に同じように王子様の象徴である白い薔薇が現れ、そしてその白い薔薇から指輪が渡されると。
そして渡された時に、上空にある薔薇園からアンシーにウテナは呼ばれる、という風な展開になってますね。
非常に象徴的なドラマ展開になってますけど、まあそれも考えてやった事ですね。
この薔薇園のシーンも非常に画にするのは難しいシーンでしたね。
何故かっていうと、薔薇しかないんで。

(08:薔薇の花嫁)
画にすると単調になってしまうっていうか、薔薇のひとつは凄く派手なんですけど、数多くの薔薇っていうのは言葉にすると凄く豪華なイメージがあるんですけど、やってみると結構、単調なものになってしまうんですね。
だから、画面の中で、変化をつけるっていう事に非常に苦労しましたね。

(09:その花を摘む者)
このシーンでは、ウテナとアンシーの出会いってのを描いてるわけですけど、TVシリーズの時の初めての出会いっていうのとはちょっと違うので、そういう意味ではこう、いかに、違う印象を与える出会い方をすればいいのかなっていうのは、随分考えましたね。

そもそもTV(シリーズ)の時は、自発的に最初は決闘に参加しなかったんですけど、そういう意味では映画というのは、ちょっとその部分を変えてやって、自発的に彼女は決闘に参加するようなシチュエーションにしていますね。

もちろん、彼女の目の前でアンシーが、女の子が、暴力を振るわれたというのを見て、彼女は闘う決意をするという事もあるんですが、それよりも、彼女が王子様になりたいと、元々思っているという事が非常に、彼女が決闘をするという行為の中では重要な意味を持っていますね。
その部分はそういう意味では、TVシリーズよりは大きくクローズアップされているんじゃないかな。

(10:蘇れ!無窮の歴史「中世」よ)
TVシリーズと違って、映画っていうのは1回だけのものなんで、その中で表現される決闘シーンっていうのも限られるわけですよね。
TVシリーズっていうのは、ある意味では、毎回決闘するっていうのがひとつの、見る人に対する『ウテナ』のシンボルになってたんですけど、今回の映画でも、どういう形の決闘をするのかっていうのが、映画が公開される前から随分ファンの間でも話題になってたんで、こっちも随分その事については考えましたね。
どういうバリエーションの決闘をすればいいんだろうか、って事を随分考えましたね。

やっぱりこのシーンでも非常にその、画面を作るのが難しくって(笑)、薔薇園なんてとにかく、なかなか画面に映せるものがないんでね。アニメーター、画を描く人に対して「何も映らないんだけど、画面をカメラの中にカッコよく収めてくれ」っていう要求を随分したんで。そういう意味では、逆に何も画面に映ってなくて、ただ単にアクションが存在するというシーンなんで、アニメーターは大変だったんじゃないかと思います。

(11:デュエリスト・ウテナ)
ここでまあ、キスをするんですけど、これをしていいかどうかっていうのはスタッフの間でも賛否両論になって、するべきじゃないだろうって意見も結構あったんですけど。っていうのは、TVシリーズの時には、散々しそうでしなかったんですよね。ずっと(笑)
それで「それは、しそうでしない、というところが良いんだろう!」っていう意見が(笑)随分あって。ところが映画ではするわけですよね。で、せっかくTV(シリーズ)でずっとしなかったのに、どうして映画ではするんだっていうので、スタッフの間でも「これは映画でもすべきではないんじゃないのか」っていう意見もあったんですけど。
あの、やっぱりね、映画なんで…………なんでしたのかな?僕が見たかったのかもしれないんだけど(笑)

(12:寮)
このシーン、学生寮なんですけど、学生寮のデザインはもちろんTVシリーズの学生寮っていうのが、最初のモチーフになってますね。
そもそも最初のコンセプトっていうのが、TVシリーズというものを、更にグレードアップしたようなビジュアルを見せようということなんで、元にしているのがTVシリーズの設計図だっていうものが、結構ありますね。

(13:ブルートーン)
このシーンで、注意したのはですね、とにかくその、画をですね、なんとかラブシーンのように見せる事は出来ないかっていう事で随分スタッフと話し合いましたね。
彼女たちが話している会話の内容は、昼間あった決闘のことや、この不思議な学園の秘密だったりするんですけど、彼女達の関係の距離感っていうのを、なんとか映像として、恋人同士を撮っているようなムードにしたかったんですよね。

あそこでファスナーの音が聞こえるんですけど、ファスナーを開ける音っていうのはですね、こっちの指示ではなくて、効果の人が独自の判断でつけたんですけど、それがあまりにおかしかったんで、そのまま活かして、残してありますね。

(14:Ghost room)
このシーンっていうのは一転して、フレームの中に何もなく、色を感じさせるような世界じゃないように表現してますね。もちろん冬芽が最初被っているシーツっていうのは、死者に被せている白い布なんですね。
この枝織と冬芽がいる空間っていうのは、ここは死者が存在する世界、死の世界の入り口として表現しようということを、最初から意識していますね。
室内の効果音(SE)も、意図的に病院のロビーの音とかを持ってきて、付けたりしてますね。
つまり、枝織が冬芽と一緒にいるっていう行為は、枝織がかなり死者の想いに捕らわれた人であるという風なのを表現しようとしたっていうのがありますね。

(15:プールサイド)
このシーンなんですけど、とにかく水を感じさせるような映像を作ろうという事で、まず、プールはあるんだけど、水が無いと。でも、このプールのある場所そのものは、鏡で出来ている柱で構成されていて、プールには水は無いんだけど、いかにもその、なんていうのかな、非常に涼しげな場所であるというのを考えて、それを効果的に見せる方法にしてみました。

(16:ハイ・ハ~イ!)
日本ではですね、ハイスクールやジュニアハイスクールで、スポーツのサークルっていうのがあって、そのスポーツのサークルで、スポーツの練習する時には、みんな一緒になって、みんな同じ掛け声をしながら同時に動いたり、アクロバットするって習慣があるんですけど(笑)、それのパロディですね、このシーンは。

(17:イリュージョン)
このシーンもやはり枝織と冬芽の世界なんですけど、やっぱりこのシーンも死者の世界というのを表現しようとしてますね。つまりこの死者の世界に、暁生から電話がかかってきているという事が非常に面白いのではないのかな、と思ったんですけどね。
もちろん、暁生というキャラクターも実は随分昔に死んでいるキャラクターなんですよね。だからその、冬芽と暁生の会話というのは、言ってしまうと幽霊同士の会話という事なんですが、その幽霊同士の会話の隣に、枝織がいたりする事が、面白いんじゃないのかなと。

(18:失われた庭)
このシーンはですね、猫足のバス(タブ)っていうのが出ているんですけど、猫足のバスっていうのはですね、バスタブに猫の足がついてるんですけど、これはその、漫画家のさいとうちほの家に猫足のバスっていうのがあって(笑)、それをモデルにしてますね。さいとうさんの家のお風呂にすごく似ています。

(19:悪意の蛹)
このシーンっていうのは、結構、枝織と冬芽のパートでは重大なシーンですね。
ここでは2つの事が表現されています。まず枝織と冬芽がいる場所っていうのは死者の場所なんですけど、そこで語られる冬芽の子供時代の話。冬芽の子供時代の話っていうのは一種の悪夢なんですが、その冬芽から語られる悪夢の昔話と、それから枝織が持っている自分が暮らしている世界に対する悪意っていうのが、クロスオーバーするって表現ですね。
ここで死者の世界である枝織と冬芽のいる空間というのが、枝織の持っている悪意のイメージと、冬芽が昔体験した悪夢のイメージと一体化するっていう表現が、映像的に成されていますね。
で、そこで、キャベツ畑にある蛹から美しい蝶が孵化するんですけど、その事の意味というのは、枝織の悪夢と冬芽の持っていた過去の悪夢というものが、一緒になって孵化したっていうのかな、ひとつの悪意の形になるっていうのかな。

映像的にとにかくこのシーンは美しくしたかったんで、非常に力を入れたシーンではありますね。
『ウテナ』という作品にはポジティブな美の表現と、ネガティブな美の表現というのを非常に際立たそうという試みを数多くしてるんで、そういう意味ではこのシーンっていうのは、ネガティブな美しさっていうのを際立たせようと非常に苦心したシーンですね。

(20:地下駐車場)
このシーン、地下室です。地下の駐車場なんですけど。
ここにたくさんの車が置かれていますね。このたくさんの車の意味っていうのはもちろん後半に登場する車が置かれている場所なんですね。

ここでよくファンとか観客に「あのKOZUEっていう車は、あの梢が車になったのか?」っていう風に、よく聞かれるんですけど、まあそう聞かれると、もちろんそうなんですけど、何故車になったのかっていう事については、えーとですね、えー……(笑)、それはあの、ウテナが車になるのと同じ理由なんですね。
そのこと自身はちょっと、僕が話すと、こう、作品の世界を狭くしちゃうんで、まあ話せないんですが。

(21:ベラドンナの蜜)
枝織っていうキャラクターは、樹璃というキャラクターにとって非常に重大な意味があるわけですよね。
枝織というキャラクターは樹璃の過去のトラウマの象徴なわけですよね。
元々、樹璃というのは、実は自分が子供の頃、川に溺れた事によって、とある男性を死なせてしまったという、トラウマが樹璃にはあるわけですよね。
で、その死んだ男性を好きだった女の子が枝織なんですけど、
だから樹璃がああいう風に勇ましく生きている理由っていうのは、ひとつには自分が死なせてしまった男の子に対する贖罪なんですよね。
だから枝織というキャラクターの前で、勇ましく振舞うということで、自分の罪を償おうとしているっていう事なんですよね。

(22:夜の空中庭園)
このシーンも、非常に難しかったです。とにかくその、真っ黒の中に赤い薔薇だけを描くんですが、なかなか美しく撮影出来なくって、非常に苦心しましたね。
また星の話をしているんで、星を一緒に見ようという話をしていて、そして今、冬芽がいないってことで、星のない夜空を描くっていう事が非常に面白いと思ったんで、このシーンでは一切星は、空に何も無いっていう風な事を真っ黒で表現してますね。

(23:プラネタリュウム)
このカットからなんですけど、実はフルデジタルで制作されていますね。
一見、普通のアニメーションに見えると思うんですけど、実はこのカットからダンスシーンに至るまで実は全てフルデジタルで制作されています。このシーンも全て3Dワークスのコンピューターグラフィックスと、2Dのキャラクターをデジタルデータ上で作成してますね。非常に大変だったシーンですね。
宇宙空間の後の密度も随分細かく作成されていますね。
ビデオだとその細かさをなかなか見てもらえないのがちょっと残念ですけど、スクリーンでこのシーンを見ると、このシーンの美しさっていうのを分かってもらえると思いますね。

(24:時に愛は…)
このダンスのシーンっていうのは、多分この映画のハイライトのひとつだと思うんですけど、最も美しく表現されているシーンだと思いますし、実際スタッフも最もこのシーンを美しく表現しようとして、苦労したシーンですね。
このシーン、実は3Dのコンピューターグラフィックスっていうのを随所に使っているんですけど、もちろんデジタル画面で。このシーンをコンピューターグラフィックスだときついって言う人が殆どいなかったんで、そういう意味では温かみのある画面になっていて、コンピューターグラフィックスを使うと冷たくなりがちなんですけど、その部分は随分成功してるんではないでしょうか。

僕自身、このダンスのシーンっていうのは非常に好きなシーンですね。
こういうダンスシーンっていうと、結構自分のキャリアで言うと『セーラームーン』なんかの時でもよくやったんですけど、そういう意味では、自分で言うのもなんですけど、僕はこういうシーンが得意なんだなって思いましたね。

(25:野外授業)
この若葉と話している彼っていうのはですね、一切画面には顔を見せないんですけど(笑)
彼っていうのも結構象徴的な存在であって、元々若葉っていうのは、ウテナっていうものを、自分の王子様だって言ってたんですけど、別の男の子が現れると、なんていうのかな、彼をボーイフレンドにしちゃうっていうのかな、やっぱりウテナっていうのは非常にその、なんていうのかな、特別な世界で暮らしている人って描いて、やっぱり若葉っていうキャラクターは、普通の暮らしをしている女の子っていう描き分けをしようという事で、ある意味、もう一人のウテナみたいな男の子として、彼を登場させたんですね。

(26:クロッキー)
今回、美術のスタッフと打ち合わせしたのが、いかにその、赤い色を、シンボリックに画面上に表現させようかということで、赤というのをどういう風に見せようかという事に、随分力を注いでいますね。このシーンなんかも、その一つですね。
この理事長室っていうのは、赤い絨毯で、赤いカーテンで埋められていますし、元々理事長がいたというこの展望室なんですけど、このビジュアルの影なんかも、赤い影がついていたりしますね。

このシーンっていうのは、ダンスの後に、ウテナとアンシーの二人の距離感っていうのが近づいていくシーンとして作られていますね。
そもそも出会いから、ウテナとアンシーってキャラクターは、お互い心を閉ざした関係なんですね。
ウテナはウテナで冬芽との過去があり、アンシーはアンシーで理事長である兄との過去があり、という風に、お互いその事をを打ち明けずに、同じ部屋で暮らしていて。
このシーンでは、その二人がお互いの心を近づけ合うというシーンとして作られていますね。

このシーンっていうのは、当初シナリオの段階ではアンシーの胸に、兄に切られた怪我の痕があるって表現されていたんですけど、僕自身がその画として胸の怪我っていうのを表現するのがすごく嫌で、何とか別の表現がないんだろうかと考えたんですね。
つまり、アニメーションならではの表現、画ならではの表現っていうのがないんだろうかと考えて、今みたいに影で表現するっていう事を思いつきました。
影で表現するっていう事自身が、非常に『ウテナ』らしいと思ったし、しかもその影で表現されている事によって、彼女の肉体的な部分、怪我の部分だけではなく、心に負っている傷の部分も表現出来ているだろうという事で、非常にいいアイデアだと思っていますね。

(27:チュチュとケロポン)
この牛はですね、TVシリーズに出てきた牛ですね(笑)
これは、まぁ分かる人にはファンサービスって事で、分からない人にはまあ、ブレイクタイムとして楽しんでいただけたらな、という事で(笑)
確かこれはTVシリーズの16話に出てきた「ナナミウシ」という牛ですね。
今回、七実ってキャラクターが映画に登場しないんで、その代わりといってはなんですが、このキャラクターが登場してますね。
この左側のキャラクターは「ケロポン(発音は「ケロッポン」)」というキャラクターです。設定上、チュチュっていうキャラクターのライバルって事になってますね。
TV(シリーズ)の時に、チュチュにライバルがいなかったんで、一人じゃ可哀想だろっていう事で、もう一匹出したらどうだっていうんで出したんですけど、ライバルというより天敵っていうか、いつもそのチュチュが食べられるっていう、色んなエピソードを考えたんですけど、必ず毎回のエピソードの最後にチュチュが齧られて終わるっていうお話をいっぱい考えましたね。

(28:AKIO円舞曲)
この暁生の声を担当しているのは、日本では及川光博というミュージシャンなんですね。
彼は日本では人気があって、彼自身王子様のようなビジュアルでロックをやっているんで、この役に非常に合ってると思いオファーしましたね。
その王子様である彼がタクシーに乗ったりするっていうギャップが非常に面白いと自分では思ってますね。

(29:肉体星座αψζ星雲)
ここから樹璃とウテナの決闘なんですけど、ウテナっていうのはアンシーとの関係があり決闘してるんですけど、樹璃っていうのは枝織の想いを受けてるわけですよね。
それで枝織の思いっていうのは何かって言うと、冬芽との密室で作られた思いなんですよね。
つまり枝織の考えている想いっていうのは、死者の想いでもあるという、言ってしまえば、枝織っていうのはですね、ゴーストに取り憑かれているキャラクターなわけなんですね。
枝織っていうのは、非常にネガティブなキャラとして描いていて、自分がゴーストに取り憑かれているという事に対して、彼女自身非常に自覚的なんですけど、そこから自分の意志では逃れようとはしないキャラクターとして描いたんですね。
もちろんアンシーもそうなんですけど。自分がゴーストに取り憑かれているという事に、非常に自覚的なんですけど。
枝織っていうキャラクターの場合はその事を非常にネガティブに表面化させようとするキャラとして描いてますね。
だから間接的に、その枝織に翻弄されている樹璃っていうのは結局、樹璃そのものもゴーストに取り憑かれている、かつて死んだ冬芽に縛られているキャラクターとして描けるんじゃないかと思って、その事自身、僕も面白いアイデアなんじゃないかとは思ってましたね。

樹璃っていうキャラクターは非常に日本では、ウテナファンの中では人気があって、僕も非常に好きなキャラクターなんですけど、ある意味では、ウテナと非常に似ている部分があって、よくウテナと対比されますし、もちろんその僕らもウテナと対比させるために作ったキャラクターです。

(30:花壇の秘密)
今回、影絵少女はE子とF子っていうのが出ていて、このE子とF子っていうのは劇場のみなんですけど、そこにC子っていうのは出てくるんですけど、実はC子っていうのはTVシリーズでも出てたんですね。
それを何故、C子だけを映画に出したかっていうとですね、C子の正体は、元々TVシリーズではサルだったっていう事が明らかになるっていうエピソードがありまして、まあそこが非常に自分でも気に入ってたんで、今回またサルが人間のフリをして解説するというのは面白いなと思って、もう一回出したんですね。

(31:エンゲージするものへ…)
ここからのシーンは、非常にビジュアルを形而上学的なデザインにしていますね。
非常に迷宮的な画の世界。画は非常に迷宮的な表現にして、その核心部分にどんどん近づいていくんですけど。核心には何があるかというと、アンシーの秘密があるわけですね。
つまり、アンシーが過去、兄とどういう関係にあったか、そしてアンシーが隠していた秘密とはなんなのか、そしてアンシーが兄が死んだ後も隠して守ろうとしていたものは何なのか、というのがまあ、表現されていくんですけど。
それは観客にもちろん伝えられる事ではあるんですけど、それを観客が知るのと同時に、もちろんウテナも知っていくという風になってるんですけど、その果てに何があるかというと、ウテナ自身が忘れていた過去が明らかになるシーンでもあるんですね。

このシーンのビジュアルっていうのはですね、TVシリーズの2シリーズ目(黒薔薇編)にその、14話以降に登場する記念館っていうのがあるんですけど、その記念館のデザインが全面的にベースになっていますね。
この記念館のシリーズっていうのは、TVシリーズの中でも非常に人気があって、それでこの記念館のビジュアルも非常に人気があったんで、それで映画に登場させてますね。

(32:告白昇降室)
このエレベーターのシーンもそうですね。元々TV(シリーズ)の2シーズン目に数多く登場したビジュアルイメージなんですけど、そのビジュアルイメージというのをこの映画でももう一度繰り返していますね。
そこで対話、描かれるのが、冬芽とウテナのシーンで、告白であるという事が非常に、映画ならではのシーンであって、非常に面白いと思いましたね。

ここに至るまで、これまで表現されたその、迷宮のビジュアルと、それと形而上学的な画の表現、そしてそこを通過することで、どんどんアンシーの隠していた過去が明らかになって、そして行き着く場所というのが、この告白のエレベーターなんですけど、ここで明らかにされるのが、ずっとこの映画の核心であった冬芽とウテナの関係なわけですね。
このシーンはよくファンから質問されます。「ここでボートに乗っていたのは、誰か?」という質問をよくされますね。
ベンチに座っているのが幼いウテナと幼い冬芽であるならば、あのボートに乗っていた女の子は一体誰なのか?と。あのボートに乗っていた女の子が川に落ちて溺れて、その女の子を救おうとして冬芽は死んだわけなので、実はあのボートに乗っていた女の子は樹璃なんですね。
ただ、幼い樹璃のクローズアップというのは出していないので、観客が色んな可能性について考えたらしいですね。実は枝織なのではないのか?とか、そういう詮索も随分されましたね。

今回の作品では、モチーフとして薔薇と、そしてもうひとつ水というのを非常に重要なモチーフとして描いていますね。冬芽とウテナが出会った時にまず雨が降っていて、そして水の無いプールでみんなが掃除をして、そして大きな空中にある薔薇園で二人が水の中でダンスを踊るというシーンがあり。
何故、その水と薔薇のイメージを繰り返して画面に登場させているのかという意味がこのシーンのためにあったわけですね。

(33:光さす庭)
つまり冬芽というのは、実はもう子供時代に溺れ死んでいるキャラクターなんですね。実はゴーストで、ウテナと枝織とあと何人かが見ている夢のようなキャラクターなんですね。実はずっと昔に彼は死んでいて、ウテナや枝織のイメージの中にだけ存在しているキャラクターだったんですね。
そしてこのシーンでは、ウテナも、枝織がそうだったように、死者の世界に冬芽が誘おうとするんですけど、そこでウテナは自分はその世界には行かないという事をはっきりさせ、ここで冬芽と別れるというシーンですね。
そして冬芽自身もゴーストではあるんですけど、やはり今もウテナを愛していて、そして、ウテナと別れるという、非常にこのシーン観客からは支持が高いですね。
さいとうさんは今のシーンが一番好きだって言ってますね。

(34:ウォッシャー)
ま、大抵の観客っていうのはこのカーウォッシャーが出たところで唖然としますよね。
実際スタッフの間でも、このシーン以降、まあこのシーンからもそうだけど、賛否両論で、うーん、「絶対これはするべきではない」っていうスタッフもかなり多くいたんですけど(笑)、とにかく自分としては、映画っていうのをとにかく特別なものにしたかったんで、映画ならではの特別な表現っていうのをやってみたかったんですよね。

(35:絶対運命黙示録)
普通に非常に派手な決闘があるとか、例えば通常こういう種類の映画だったら、クライマックスっていうのはものすごく悪い何かが出てきて、宇宙人なり、ものすごく強い決闘相手っていうのが出てきて、そいつが超人的な力を揮って、その事によって画面とかビジュアルも超常的な表現になるっていうのが通常なんでしょうけど、そういうのは実際これまでに色々あったし、僕自身あんまりそういう事には興味がなかったんで。
つまり、そういう作品っていうのは他にもいっぱいあるんで、この作品ならではのビジュアル表現、スペクタクルなビジュアル表現っていうのは何なんだろうと思って、こういう表現っていうのを考えましたね。
このシーンでですね、実はこれまで表向き、目に見えてたビジュアルの学園というのはですね、どんどん変化していって、このシーン以降、目に見えるビジュアルとしての学園っていうのは、一旦姿を消しますんで。クライマックスまで姿を消しますんで。

(36:ウテナカー・ロールアウト)
よく「どうしてウテナが車にならなければならないんだ?」という質問を受けるんですけど、まあその都度、それについて僕は答えないようにしてるんですけど。何故かというと、ここでまた繰り返すんですけど、僕が言っちゃうと、意味っていうのがひとつに限定しちゃうんで、それはまあ、つまらないなと思うんですけど。
ひとつだけ、僕が考えていることを言うと、そうですね、『眠れる森の美女』ってお話があって、そこでお姫様ってずっと眠らされていて、クライマックスで王子様が怪獣を倒したときにお姫様が目覚めるっていうお話があるんですけど。

(37:ラジオ実況中継)
ウテナっていうキャラクターはこの映画の中では登場した時からずっと、王子様として登場しているわけですよね。で、そのウテナってキャラクターが車になるという行為によって、言ってしまえば眠らされるわけですよね。だからここでウテナとアンシーというキャラクターの関係性が逆転するという事が面白いんじゃないのかなと思ったわけです。
つまり、ここでお姫様になっているのは、ビジュアル的にはウテナなわけですよね。ウテナというのは眠らされていて、その眠らされているウテナを解放する事が出来るのはアンシーだけであるという事に、クライマックス、なるわけですけど。
その立場の逆転が、僕は非常に面白いと思ったんですけどね。

(38:枝織カー)
当初、この映画をTVシリーズから支持してした人たちっていうのは、まさかクライマックスがこういう風にメカニックがいっぱい出てきて、メカニックアクションになるとは思ってなかったんで、映画公開時は相当驚いたみたいですね。
まあ実際、驚かそうと思ってこういうクライマックスにしたんですけど。

このシーンっていうのは、もちろん制作的にもヘビーだった、大変だったシーンですね。

(39:ベルゼブルの群)
っていうのは、メカニックがいっぱい出るっていうのと、あとそれから画面がですね、絶えず流れているっていうんですかね。車に乗って、絶えず画面が同一方向に進行しているって事もあって、非常に制作的には苦労が多かったところですね。

特にこのオペレータールームが出るところからラストのクレジットまで、気付く人もいるかもしれませんけど、実は音楽がノンストップでかかっているんですね。で、このクライマックスっていうのは約20分間あるんですけど、実は20分間音楽っていうのは切れないで、ずーっとかかっているシーンでして、しかもその音楽っていうのを画面にシンクロさせているんで、音楽の収録も非常に大変だったですね。

(40:トンネル)
画的には非常にハードなメカニックアクションに見えるんですけど、音楽を20分間流すっていう事で、往年のハリウッドのミュージカル映画のように見せることが出来ないかなと思って、まあやってみたんですけどね。

(41:友情)
とにかく、このクライマックスのシーンに関しては、メカニックを描くのが得意なスタッフっていうのが、たくさん集められているんですけど。
当初そういうのが得意なスタッフっていうのは、元々この作品では、声がかからないものだと思っていたらしくって、そういう意味では今回、この映画を製作するって発表した時に、随分そういう人たちに声をかけて、どうして自分たちが呼ばれたんだろうっていう風に驚いたんですけど、実際ストーリーボードを渡されて、説明されると、ようやくその理由が分かったという事で、こういうクライマックスっていうのが存在するって事に非常に彼らも驚いていましたね。

つまり通常ロボットが出たり、メカアクションだっていう事を売りにしている作品だと、自分達が活躍するポイントも、全体的なものになってしまって、非常に存在感が薄くなってしまうんだけど、この作品っていうのは、非常に、その、なんていうのかな、そういう意味では各アニメーターのエキスパートがそれぞれ見せ場があるんで、つまり非常に女性的な絵を得意とする人はダンスシーンなんかで非常にを発揮出来るし、こういう風にこう、メカアクションが得意な人ってのは、クライマックスで非常に力を発揮できるっていうんで、そういう意味ではその、各エキスパートがそれぞれに力が発揮できる場所っていうのが綺麗に分かれていて、結果としてよかったと思いますね。各エキスパートの仕事も非常に上手く表現できてると思いますね。

(42:罠)
このシーンっていうのも、非常に気を遣ったシーンですね。
つまり、このシーンではとにかく登場するお城っていうのを、いかにビジュアル的に大きく見せて、しかも美しく見せるかっていうのを本当に苦心しましたね。単に大きいだけでなく、とにかく美しいっていう風なのを随分意識しましたんで。

(43:ベルゼブルの王城)
そのために、このクライマックスのシーンで、延々他のビジュアルを見せていないっていう事が結構効果的に活かされていると思いますね。
つまり、一旦このレースシーンが始まった所でほとんど派手なビジュアルは登場させないように、意図的に10分以上暗い画面で引っ張っていたんで、このクライマックスでお城が出てきたときに、非常にこのお城の登場というものに対してインパクトが表現できたと思いますね。

(44:輪舞~revolution)
で、このシーンからは車の形が変化しますね。音楽も、これはTVシリーズの時にシンボルと使われていた、TVシリーズのOPの歌ですね。
非常に状況としては、危険な状況なんですけど、それをそのTVゲームのように観察してる影絵少女達。そして影絵少女達のように観察をしているという事を観客自身も眺めている、というのが非常に面白いのではないかと思いまして。

この一連のシーンというのを、実は非常に分かりづらいんですけど、ここら辺もコンピュータグラフィックスを使っていますね。3DのCGですね。

(45:さよなら、私の王子様)
ここで今回のもう一人のゴーストである暁生っていうのが出てきますね。
このシーンっていうのは非常に重大なシーンで、ウテナはこの作品中、自分を王子様だって言ってるわけですけど。
溺れた女の子を助けなきゃいけないという正義感を持ったピュアな心の持ち主である、本当の王子様である冬芽や、そしてアンシーにとって優しい兄であった暁生、彼も本当の王子様なんですけど、本当の王子様っていうのはこの世界ではもう死んでいるんですね。
そして、王子様が死んだ世界で、いないと云われている世界で、王子様のフリをしている女の子がいるファンタジーの世界っていうのが、僕は非常に面白いと思ったんですね。

その事の意味っていうのはまあ、一言では言えないんですけど、ひとつにはその、大人になることの意味っていうのを表現したかったのかな、と自分では考えています。
大人の世界には、ピュアな心な人も、自己犠牲精神を持った人もいないんだけど、その事を知ったときに、あなたはどうしますか?と

(46:脱出)
つまり、たとえば、大人の世界は非常に汚れていて、ピュアな人は生きられない世界だとしたら、自分は大人になるのをやめて、子供の世界で、子供の美しい夢が見られるだけの世界で生き続けようとするのか、それともやはり、大人の世界がピュアでないと知りつつも、大人の世界に挑む人生を選ぶのか、どっちなんだろう、という事で、この作品のクライマックスというのは表現されていますね。

(47:荒野へ~48:フィアンセになりたい)
えー、ここでネームプレートで影絵少女の正体っていうのがはっきり分かるんですけど。
影絵少女っていうのは、ロボットでも人間でもなく、単なる人形だったという事なんですけど、その人形に「ウテナ」ってネームプレートと、それから「アンシー」っていうネームプレートがついてるんですけど、その事の意味っていうのは、影の女の子達っていうのは、ウテナとアンシーのもうひとつの心の声だったという事と、それから、まあ、観客の代表であるっていうか、観客の気持ちっていうのを代弁したという事であり、このお話っていうのはそもそも、この作品を見てくれているティーンエイジャーである観客の事を言っているんだよっていう意図で、ああいう風にしていますね。

このシーンっていうのは延々にスクラップの車が積まれているっていう荒涼たる荒野なんですけど、その荒涼たる荒野っていうのはもちろん僕たちが暮らしている現実世界っていうのを表現しようとしたものですね。
で、この学園世界っていうのは、ある意味その、夢の世界なんですけど、まるでその、ディズニーランドのような夢の世界なんですけど、その夢の世界と、その外の荒涼たる荒野の大人の世界っていうのを比較して描くように努めてますね。
荒野っていうのは非常に広いんですけど、非常に困難な場所であって、そこに挑む、服も何も着ない、裸で挑むっていう行為をまあ、描いてみたかったっていうんですかね。

よく「何でこういうラストシーンにしたんだ」っていう風に僕自身もよく聞かれるんですけど、
まあ僕自身、なんでこういうラストシーンにしたのかはっきり分からないんですけど、多分、僕が社会に出る前、10代の頃に、どのように社会の事を考えていたのかっていうのを、反映させたかったと思うんですよね。こういうビジュアルイメージっていうのを、多分、僕が10代の頃に非常に考えていたんではないのかと思うんですよね。
つまり、大人の社会っていうのは、ピュアじゃないと。ピュアな人は大人の社会では生きられないっていう風に思い込んでて、だとしたら自分は、大人なんかになりたくないなって思っていたんですけど、はたしてそれでいいんだろうかと、まあずっと思っていて、今に至ってるわけですけど。
そういう意味では、あの頃の、10代の頃の、自分の気分っていうのを、正直に表現しようとして、作ったラストシーンですね。
あのクライマックスのシーンっていうのは、本当の事を言うと僕は、これから社会に出ようとしているティーンエイジャーに見てもらいたいシーンですね。
そしてまあ、自分の事をちょっとカッコよく言うと、自分自身、まだ荒涼とした大人の世界で、生きているんだなっていう、自覚があるんですね。
だから、今の自分自身のためにも、あのラストシーンを作ったんだという想いがありますね。

たとえば、僕はアニメーションのディレクターですけど、アニメーションのディレクターという仕事は非常に困難な仕事だと自分では思うんですね。個人的な作業じゃないですから、非常にヘビーなスタッフワークもありますし、非常に大きなお金を集めて制作されるものですから、ビジネスとして非常にヘビーなもんですし、その困難な事を成し遂げるという行為が、いかに自分の気持ちに正直に、困難な行為を成し遂げるかということが非常に試される装置なんですけど、アニメーションを作るという行為が。
そういう状況にいる自分を励ますためにも、ああいうラストシーンにしているという事でもありますね。

今後も自分はこういう世界で生きていって、こういう困難な状況に、立ち向かっていくんだっていう、観客に対しても、もちろん僕はラストシーンでアプローチしていますし、ティーンエイジャーだった頃の僕自身にもあのラストシーンっていうのは、アプローチしていますし、そして今の僕にもあのラストシーンっていうのは、アプローチしてるんですよね。
そういう意味では、あのラストシーンっていうのは、あの時の僕の状況としては、あれ以外なかったなと、今でも思っていますね。
そしてやっぱりあのラストシーンが非常によかったと言われるのが、僕もやっぱり一番うれしいですね。

以上、このラストクレジットには非常に多くの方のお名前が出てますけど、このスタッフ、みんな一生懸命仕事をしてくれました。
『少女革命ウテナ』という作品を非常に大切にしてくれたスタッフばかりです。
この場を借りて、スタッフみんなにお礼をさせて下さい、みなさんどうもありがとうございました。

そしてこの音声解説を聞いてくださったファンの方々、どうもありがとうございました。
また次回作でお会い出来る日を楽しみにしています。では、ありがとうございました。
スポンサーサイト
この記事のURL | オーディオコメンタリー | TB(0) | ▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://kasira.blog97.fc2.com/tb.php/24-0d783719
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。