スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
「香り高き『藝術』論」 幾原邦彦×J.A.シーザー対談
- 2007/04/24(Tue) -
幾原邦彦(監督) VS J.A.シーザー(合唱曲 作詞・作曲)
角川書店「月刊ニュータイプ」 97年10月号より

――幾原監督は学生時代からシーザーさんのファンだったそうですね。

幾原:高校生の時に天井棧敷の舞台を見て以来ファンです

シーザー:ありがとうございます。
でも、実は、僕も『セーラームーン』のファンだったんですよ。

幾原:そうだったんですか。

シーザー:『ウテナ』の話がきたときも、『セーラームーン』の監督がやるのであれば、仕事をするにしても、むしろ楽しみのほうが多くあるだろうと思って、引き受けたんです。

幾原:恐縮です。実は、1話のコンテを描いてるときには、シーザーさんに頼もうとは考えていなかったんですよ。でも万有引力の公演(カスパー・ハウザー)で「絶対運命黙示録」を聴いて、すごく感動しちゃって。
「これは絶対イケる!」と確信して、それでお願いすることにしたんです。

――シーザーさんはいままでにアニメの曲を依頼されたことは?

シーザー:まったくなかったですね。

幾原:僕から見ると、シーザーさんはアニメのほうが合ってるような気がするんですよ。アニメーションって様式美だから。だから、詞の意味よりも、ことばの様式化を重視しているシーザーさんの歌は、アニメーションってマッチすると思ったんです。

シーザー:アニメーションの手法は演劇的なつくり方と近い気もします。
僕はもともと絵を描いていたので、芝居や音楽をつくるときも、白いキャンバスを思い浮かべて、そこに必要なものをのせていくというやり方なんです。実写だと、風景を白く飛ばすことができない。遠景まで内包した映像になっていきますよね。アニメーションなら、人物の背後を無地の真っ白にすることもできる。

幾原:僕が決闘広場を空中に設定した理由のひとつに、絵を描くことでイメージを限定したくないというのがあったんです。空中なら、人物の背後に空しか映らないですからね。

シーザー:あとは想像力で補ってくれと。

幾原:そうです。『ウテナ』では、描かないことで表現しようとしている部分が多いですね。

シーザー:カンガルーを突然出したり、半分切り絵のような奇妙な絵も出てきますね。

幾原:突発的に異物を挟み込む感じを狙っているんですよ。僕は、昔からなじんでるものって嫌いなんですよ。どちらかというと、デコボコしているものとか、ちょっと気持ち悪いものが混ざってるとか、そういうもののほうが好きなんですね。

シーザー:ああいうのを見ると「ああ、トバしてるなあ」と思いますね。


幾原:僕は、どんな物語も、すべて神話的なものだと思うんですよ。でも、神話が神話のまま終わったら寂しいんじゃないですか。神話に現実性が混入されていなければ、支持されないと思うんです。

シーザー:そうですね。

幾原:だから、『ウテナ』では神話だということを露骨に表現してみました。神話であることを誇張によって、作品に毒があることや現実性を含んでいることを明確にしているつもりなんです。

シーザー:大事なのは、解体作業なんです。物語の流れをどこで意図的に解体していくか、ある部分を欠落させておくか。それを観客の想像力で補わせることで、視聴者の中に作品を入れてしまう。
『ウテナ』という作品は、そういう意味で観客が想像力を働かせる部分を、いっぱいもっていると思いますね。

幾原:アニメーションの現場って、みんな、神話をつくることにすごく一生懸命な場合が多いんです。だけど、神話をつくろうとすればするほど、リアリティーがなくなっていく。

シーザー:観客を置き去りにしてしまうんですね。

幾原:以前、寺山修司さんが言っていたことなんですけど、武田泰淳の「ひかりごけ」の舞台で人間の極限状態(食人)のシーンを見て涙を流して感動したお客さんが、自宅へ帰って新聞でパリの佐川一政さんの事件が載っていると「なんて、ヒドい奴がいるんだ!」と激怒する、と。
観客にとって舞台とは神話であり、「神話イコール感動」という図式ができちゃっててリアリティーが生じないんでしょうね。シェイクスピアの戯曲にしても書かれた時代には、その時代の現代性や時代性があったはずなんだけど、いまでは単なる神話になっちゃっている。

シーザー:古典と呼ばれる作品には、社会に対して主張があったはずです。寺山さんの舞台でも、テーマや視線をまず個人ではなく社会に向けていました。あるいは個人に向けて、その個人から社会に詰め寄っていく、個人を媒体にして社会というものを見つめていた。そういった社会性をはらんだ作品がなくなってきているように思います。

――最後に『ウテナ』の今後の展開について、ひと言お願いします。

シーザー:幾原さんがやっている、アニメーションの解体みたいなことと、それを『ウテナ』でどう終わらせるかについて、僕は非常に期待しています。

幾原:任せてください!
スポンサーサイト
この記事のURL | 対談 | TB(0) | ▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://kasira.blog97.fc2.com/tb.php/30-e2da9ee9
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。