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「誰がために監督は微笑む」 幾原邦彦×北久保弘之対談
- 2007/04/29(Sun) -
幾原邦彦(監督) VS 北久保弘之(演出家)
徳間書店「アニメージュ」 97年6月号付録「ウテナ白書」より

幾原邦彦と北久保弘之。少々意外な取り合わせの対談かもしれない。
実は、幾原監督に、この付録のために取材を申し込んだところ、「アニメージュの取材で何か話をするなら、北久保さんと話がしてみたいなあ」と監督自ら提案してくれたのだ。
今まで、面識はなかったものの、『老人Z』や『ジョジョの奇妙な冒険』などで知られる北久保弘之さんは、幾原監督にとって以前から、気になるクリエイターだったようだ。




北久保:今日は幾原さんに会ったら聞こうと思っていたことがあるんですよ。

幾原:なんだろう。恐いな(笑)。

北久保:『少女革命ウテナ』の第1話を見たんですけど、『セーラームーン』みたいなポピュラリティは外してますよね。
あれは、意図的?それともナチュラルなものなの?

幾原:いや、あれは意図的ですよ。ウテナを始める前に、かなり考えたんです。『セーラームーン』と、その後に出てきた、いわゆる『セーラームーン』ものとの差って、なんだろうって。
そこで僕が得た結論は、実は差がないのだってこと。確かに、『セーラームーン』はとはここが違いますよって散々頭をひねった跡は伺えるんですけど、やっぱり同じなんですよね。結局は女の子が奇抜な服を着て戦うという構図で。

北久保:服が違うだけだよね。ウェディングドレスとか、看護婦の服とか。

幾原:そうそう。女の子が変身して戦うという快楽は、『セーラームーン』が初めて提供したもので、その事実に抗おうとするなら、女の子が変身して悪と戦うという話を作っちゃダメなんです。そういう意味では『ウテナ』だって抗えない位置にいる。
普通の人から見たら、『セーラームーン』と同じだと思うし、セーラー服が男装に変わっただけと言われりゃそうですよ。

北久保:そのあたりは最初から承知なんだ。

幾原:そう。だから、そういう『セーラームーン』的な部分では、強烈に抗おうとは思っていない。つまり、女の子が奇抜な格好で戦うこと自体をウリにするのはやめよう。その部分は当然です、日常ですよという方向に持っていこうと思っているんですよ。

北久保:従来の物語の公式で言うなら、ウテナは男装の麗人なわけでしょ。その部分が、キャラクターとしての「立ち」の部分になるわけですよね。なのに、その部分はそれほど強調されてなくて……。

幾原:それは、そういうことにしていないからです。でも、最初はなかなか周りに分かってもらえませんでしたけど。

北久保:後半の決闘のシーンにさしかかる部分が、従来の変身ポーズにあたるわけだよね。でも、日常と非日常のギャップって、それほどないじゃない。だから、そうした日常と非日常のギャップって、後から出てくるんだろうなってのが『ウテナ』の第1話を見たときの印象だったんだけどな。

幾原:自分が言うのもなんだけど、例えば、ロボットアニメにおける『機動戦士ガンダム』に近い作りをしたつもりなんですよ。

北久保:というと?

幾原:『マジンガーZ』から始まった、いわゆるロボットプロレスものがあって、その流れの中から『ガンダム』が出た。『ガンダム』って、ロボットアニメを見て育った人たちのためのアニメだったわけじゃないですか。
そういう意味では、『セーラームーン』などを見て訓練された視聴者も多少いるかなと考えて作ったのが、『ウテナ』なんです。

北久保:なるほど。ああいう奇抜な格好した美少女たちが戦う世界というのを見ても、それほど驚かないだろうと。

幾原:ええ。これが『セーラームーン』より前や直後に出た企画だったら、大馬鹿ものですよ。
『セーラームーン』から6年たった後の企画だから、なんとかいけるのではないかなと。


北久保:『ガンダム』といえば、以前、いわゆる『ガンダム』ものの企画を頼まれたことがある。ただ、路線は『ガンダム』なんだけど、『ガンダム』じゃないものを作りたいと言うんだよね。

幾原:そりゃ大変だ(笑)。

北久保:今までの『ガンダム』って、必ず戦争の悲惨さから入ってるんですよ。若い者たちが戦争に巻き込まれて云々という話を初代のときから延々とやってるわけでしょ。だから、僕は逆に戦争の肯定から始めようと思った。

――戦争は素晴らしい?

北久保:とは思わないけど、戦争にも肯定的な部分ってあるわけじゃないですか。戦争に勝つことがステイタスであったり、カタルシスであったり。戦争によって生まれるヒーローだっているはずですよね。

幾原:でも、それは描けないでしょ。特に日本人のモラルじゃ。

北久保:そう。そうなんだけど、どうせ戦争の悲惨さを謡うなら、どうして逆の位置から始めないのかと思わない?
主人公は軍人に憧れていて、敵を倒して喜んでいるところから始めるべきじゃないですか。で、そういうのはどうでしょうと言ったら、企画と合わないって(笑)。

幾原:映画とかでは、よくある手法なのにね。

北久保:そう。最初は戦争を肯定的に捉えているんだけど、だんだん……って。そんなの、ごく凡庸な演出法ですよ。
だけど、そうしたことが通用しない今の作品作りや環境に、俺は居場所を感じないんです。

幾原:そんなこと言ったら、僕だって居場所なんてないですよ。

北久保:ウソォ。だって、『セーラームーン』から一貫して……。

幾原:それは、かたちがそう見えるだけで、それが僕の居場所というわけじゃないから。

北久保:あ、そうなんだ。幾原さんは居場所があっていいなあと思っていたのに。

幾原:全然、そんなことないですよ。

北久保:そうかあ。俺は今日、ここに来るまで、「戦う美少女」が好きで好きでたまらない人だったらどうしようってビクビクしながら来たんだけど(笑)。

幾原:いやいや(笑)。今回、『ウテナ』を作ったのは、企画が通りやすいって側面もあって、前にロボットものを当てていたら、ロボットものを作ったかもしれない。

北久保:じゃあ、ある程度、お仕事なの?

幾原:そういう部分もあるけど、全部ってわけじゃない。だって、全部お仕事にしちゃうと厳しいでしょ。

北久保:まったく。

幾原:だから、『セーラームーン』を作っていたときは、自分の中にあるオタクな部分とか、リビドーの部分とかを、わざと肥大化させて作る。それこそ多重人格みたいに、いわばヅラをかぶって仕事をしてたんですよ。

北久保:でも、『セーラームーン』終わって脱いだんでしょ、ヅラ。

幾原:うん。だけど、『ウテナ』は始まって、また新しいヅラをかぶったから(笑)。


幾原:僕はこれまで、『セーラームーン』というポピュラリティのかたまりみたいな作品を作っていた。だから、中でどんなことをしてもポピュラリティのあるものになったんです。
ところが今回、企画の立ち上げからやることになって、ちゃんとポピュラリティのある作品を作れるのだろうかという不安があった。だから、端から見ると同じでも、最初からポピュラリティを持っていた『セーラームーン』と、意図的にポピュラリティを目指している『ウテナ』は、僕の中では全然違う作品なんです。

北久保:たとえばロボットものなら、オモチャを作って売るというレールがありますよね。そういうレールを自分で作ってやっていこうということ?

幾原:そうそう。半分プロデューサーをやりつつ、ディレクターもやるということかな。そういう意味では、たえずジレンマが生じるんですよ。
プロデューサーとして打ち合わせしてても、「それじゃ面白くない」って、自分の内からディレクターの声が出る。で、ディレクターとして打ち合わせをしてるときは「商売にならんよ、それは」ってプロデューサーの声が(笑)。その繰り返しです。

北久保:実際、監督とかやってると、よくプロデューサー不在みたいな話になっちゃうけど、与えてくれる人がいない面倒くささというのがあるよね。

――面倒くささ、ですか?

北久保:たとえば、ハリウッドのプロデューサーシステムを例にあげると、俺とか幾原さんはディレクターにあたるわけですよね。そこには、いい脚本なり企画なりがやってきて、それを面白く演出するのが本来の仕事なわけですよ。
ところが、現状はそうじゃない。脚本や企画まで、こっちで提示しなくちゃ動かない。本当なら俺らは作るだけで、それを売るための方策を考える人間は別にいるべきだろうと。

――あ、なるほど。

幾原:本来的なことを言うと、もっとマスターベーション的なことをしたいんだよね。例えば、我々がどんなものを作っても、世間を騙してでも売ってやるって言ってくれる人がいれば楽なんだけど。

北久保:俺は、そのマスターベーションの部分ってのが、すごく希薄な人間なんですよ。自分の好きな映画とか小説って、とても一般性がないものなんだけど、そうしたものは作らないわけですよ。どうしてかというと、それは仕事になりえないから。
誰かに金をもらって作っている以上、金を払った人間に損をさせたくないって思うんです。

――それは、スポンサーってことですよね。

北久保:スポンサーもそうだし、ユーザーもスタッフも。

――スタッフも……ですか?

北久保:ええ。スタッフも労力という金を払っているんですよ。それは、彼らにギャラを払うことで返さなくちゃいけないんだけど、それだけじゃないんだよね。単に金のためだけに仕事してますって人は、そんなに熱意込めてやってくれない。
でも、作品って熱意の部分で助けられる部分があるじゃないですか。その熱意ってのは、つまりスタッフが上積みしてくれるプラスアルファなんですよ。そのプラスアルファに応えるのは、やっぱり……。

幾原:フィルムのデキでしかないですよね。。

北久保:そうそう。しんどい思いをしたけど、これをやってよかったと思われたい。

――それが、スタッフの熱意に対して監督が払うプラスアルファなわけですね。

北久保:そういうこと。ユーザーがビデオ屋で350円払って借りてくれたんだったら350円以上、映画で1800円払うんだったらそれ以上、スポンサーが1億払うんだったら1億以上に、見てよかった、作ってよかったと思ってほしい。

――幾原さんは、そのあたり、どうですか?

幾原:僕は正直に言うと、あまり面白いものは作りたくないんですよ。興味がないっていうか。
面白いものはみんなが作ろうとしているし、どっちかというと、面白くなくてもいいから、変なものとか、あざといんだけど奇をてらってるものばかりやれればなと思いますね。でも、それだとスタッフが置いてけぼりになっちゃうんで(笑)。

北久保:でも、たとえば変なものとかやるんだったら、身銭きって作ればいいわけでしょ。金もらってやってる以上は、俺は損させたくないと思うなあ。

幾原:僕もそうですよ。だから、ポピュラリティのある大人の仕事をしようと思うんです(笑)。


幾原:なぜ僕が、北久保さんに会いたいと思ったかというと、北久保さんの『攻殻機動隊』のプロモーションビデオを見たんですよ。そのとき、ここ5年くらい見たアニメの中で一番驚いた。主人公の女の子が、まるで本当にそこにいるように思えたんだ。それは、立体感があるとか、そういうレベルじゃなくて、質感として、そこに在る。実存しているように思えた。それを見た瞬間、恐かったんだよね。

――恐い?

幾原:そう。すごく下らない話をするけど、雑誌でアニメキャラのフィギュアの写真を見たんだよね。とてもよく出来ていて、まるでアニメキャラが本当に生きて実存してるようだった。それが異常に恐かったんだ。もしかして、みんな鼻の穴のない女の子――究極に清潔な女の子を望んでるのかなって思っちゃったもの。
で、『攻殻』のプロモを見たときに、モニター越しに、そういう世界がそこに在ると思ったの。それで、恐いって思った。しかも、その女の子のおっぱい揺れてる(笑)。

北久保:あ、それは恐いわ。メチャクチャおっかねー(爆笑)。

幾原:言ってしまえば、鼻の穴のない女の子とセックスしろと言われているような気さえした。

北久保:はいはいはい。

幾原:今までは。セル画に影がついてて、なんだマンガじゃんって笑ってられたんだけど、これは笑えない。漫画絵と実写の線を、どこで引いていいんだろうって。
いいのか悪いのか分からないけど、とにかく、そういうものがついに誕生したか。これから間違いなく、そうなるのだろうと思った時の恐怖。ついに、手塚治虫が作ったアニメは終わるんだと思った。

――手塚治虫が作ったアニメ……リミテッドスタイルということですか?

幾原:そう。いま僕らが作っているアニメーションってのは、なんだかんだ言って手塚治虫が作ったものなんだ。
たとえば、バストショットの止め絵、口の部分だけをパクパク動かすと人間が喋っていることになる。

――いわゆる口パクですね。バンク(同じ絵を使いまわす)などの技法も手塚さんによって作り出されたんですよね。

幾原:そう。そうしたスタイルは日本のアニメーションの独自の技法なわけ。合作ものや、向こうのアニメを見ると、喋っている間にも上半身がうにょうにょと動いている。
どうしてかというと、向こうのアニメのスタイルの基となったディズニー作品が、終始フルアニメで動いているからだよね。

――日本の場合、そのスタイルの元になったのが、手塚治虫のアニメ作品なわけですね。

幾原:手塚治虫は、バストショットの止め絵で、口だけをパクパクさせるのは、喋っている事なのだというふうに記号化した。それはコストパフォーマンスから逆算した方法論なんだけど、その方程式で今までの日本のアニメは作られているんだよね。
ところが、『攻殻』のプロモを見たときに、ついにその方程式がなくなるかもなと思った。そして、もともと手塚治虫がやりたかった世界というのはこうなのだろうとも思った。

北久保:漫画絵と実写の境界線ってこと?

幾原:うん。たとえば今のセルの影の付けかたとか、この10年くらいで出来た流行のスタイルなわけじゃないですか。それも全部ふっとんでるんですよ。それを見たときに、そこに至る過程は人によって違うんだろうけど、質感自体は絶対にこうなるだろうなと思いましたよ。
たとえば『TOY STORY』もそうだけど、何でもできるようになったときに、どこで漫画絵と実写の線を引けばいいのか。そのへん、結構向こうの人は、分かっていないんだよね。だけど、日本人っていうのは、マンガとかですごく訓練されていて、そういうセンスは抜群なの。
だって、海外の人が見たら、なぜ鼻の穴がなくてOKなのだろうとか、どこまでディフォルメしても美少女でいられるのだろうかとか、全然分からないですよ。


北久保:不思議なのは、みんな『T2』や『ロッキー』などのハリウッド映画を見て、面白いと言うわけですよ。
ところが、制作サイドにそうした人間がそれだけいるにも関わらず、いざ作る段階になると、そうした演出のイロハが作品に反映されていない。

幾原:たしかに。そういう作品は多いよね。

北久保:昔は、自分はすごく一般的な感覚の持ち主で、自分が面白いと思うことは、大概の人が面白いと感じると思っていた。俺こそは一般大衆だ、マジョリティだって(笑)。そして、そのことが演出家としての自分の強みになると思っていたけど、実は違っていたらしい(笑)。
それが日本人のメンタリティなのか、アニメのメンタリティなのかは分からないけど、一般性というのは、アニメーションという枠の中では、どうやら居場所がないんですよ。

――そこで、さきほどの居場所の話に戻るわけですね。

北久保:そうです。

幾原:僕の場合は、周りで用意してくれようとした人もいたんだけど、そうしたことに甘えなくなかった。だから僕は、今回の企画を通して、自分の居場所を用意する力を培いたいと思っているんだけどな。

北久保:なるほど。幾原さんは、居場所を作っていく人なんだ。

幾原:北久保さんは、『攻殻』の後、どうするの?また、『攻殻』みたいなものを作るの?それとも何か企画してるとか?

北久保:次回作は、短めの映画かもしれない。
とりあえずは、名刺と企画書の中間の作品を作ろうと思ってる。

幾原:???

北久保:さっきの話の続きだけど、今、俺の居場所が無いって感じ、結構切実なんです。俺が仕事してても、許してもらえる場所を探して、よその国にも、触手をのばそうかと考えていて。そのためには、名刺代わりになる作品が、必要かなと。

幾原:『攻殻』は名刺になったんじゃないの。

北久保:あれは軽い名刺かな。だから、次は名刺と企画書っぽい匂いのするものを作って。そして世界。そこで居場所が見つかればいいかなあとか(笑)。

幾原:世界に居場所を求めてるわけだ。

北久保:そんなかっこいいものじゃなくて。俺にとっちゃ死活問題なんだけどね(笑)。

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