スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
「スクリプト・ノート」 榎戸洋司
- 2007/05/03(Thu) -
脚本家・榎戸洋司による各話(1話~5話)解説
徳間書店「アニメージュ」 97年6月号付録「ウテナ白書」より

第1話「薔薇の花嫁」
鳳学園は鳳凰市にある大鳥山の全体をその敷地にしている。山といっても台地のようになだらかだが、街を見下ろす高台には、中等部・高等部合同の学舎が美しく建ち並んでいる。周辺には初等部、大学部の施設などもあるらしいが、山の半分は青木の茂るそのままに手付かずで、喬木のしめるその学園裏手のエリアを、学生たちはみな森とよんでいる。

その日、その午後。
鋭く空をさす礼拝堂の鐘が、学園内に響き渡る――。

物語の基本的な枠組み、とくにこの第1話は、『三銃士』がベースになっている。
僕は『三銃士』の、とくにダルタニヤンが都にやってきた冒頭のムードが好きだった。偶然さいとう先生も三銃士の(凄まじい)マニアだったので、第1話は“決闘ゲームに巻き込まれる主人公”というコンセプトに決まった。

「お待ちしておりました、ウテナ様」とアンシーは言う。「私は薔薇の花嫁。今日から私は、あなたの薔薇です……」
アンシーとエンゲージし、主人公が“物語の主人公”になるラストシーン。あまり子供向けではなかったかもね。例によってぜんぜん反省はしてないけど(だから子供でもわかる子はわかるんだってば(笑))。[※]

※徳間書店「アニメージュ」97年3月号掲載の『セーラームーン』脚本解説内にて、榎戸氏は同様の発言をしている。
<第110話「ウラヌスたちの死?タリスマン出現」解説より 以下抜粋>
「すいません、また子供にわからないシナリオ書いちゃいました」と言いつつ、内心では反省のかけらもないのだった。(子供でもわかる子はわかるんだい― その証拠に大人でも、わかってない人は全然わかってないもん(笑))


第2話「誰がために薔薇は微笑む」
教室の中に若葉の姿を見つけるが、ウテナはいつもどおりに声をかけるのを一瞬ためらう。
昨日、ラブレターを張り出された痛みを、若葉はまだ抱え込んでいるに違いない。だが、こんなときこそ、いつもどおりにふるまうべきだと思い直す――。

ウテナとアンシーの共同生活の始まり。チュチュの登場。最初はサルのはずだったのに、いつのまにか“サルのような生き物”に落ちてしまった(笑)。西園寺の交換日記は、ミーティングのおり冗談半分で出たアイディアだったが、その後、尾をひくようになる(笑)。

この原稿を書いている時点では、実はまだ第2話までしか見ていないけど、完成したフィルムは現場スタッフの熱意とプライドを感じさせてくれるクオリティだった。
アニメという共同作業においては、ともすれば分担された個々の仕事にのみ熱中し、その中だけでプライドが完結してしまう――という危険性を指摘した長谷川眞也氏の言葉を思い出す。
幾原監督の創作スタンスを映してか、現場スタッフは常に高みをめざす心地好い緊張感に包まれている。それはプロフェッショナルなプライドを喚起させてくれる空気でもある。


第3話「舞踏会の夜に」
ダンスホールに集う、着飾った学生たち。音楽。テーブルには料理が並んでいる。
テラスで月を仰ぎ見る生徒会長の桐生冬芽。
そこに彼女の妹が現れる――。

ダンスパーティ。少女を救う男装の麗人。なかなかタカラヅカになってきたかな。
そういえばタカラヅカのプロデューサーの方、その節はどうもありがとうございました。ようやくオンエアです。よかったら舞台化してください(……あつかましいか(笑))。

桐生七実登場。やはり少女マンガの“悪役”はこうでなければね。今後、かなりの活躍をしてくれるキャラクターである。ふふふふふ。がんばれ七実。


第4話「光さす庭・プレリュード」
放課後の決闘広場。少女と少年がそれぞれ剣を手に対峙している。天上ウテナと薫幹だ。
薫幹。十四歳の男の子。鳳学園中等部一年生。フェンシング部。薔薇の刻印をその指に飾る生徒会メンバー。大学部のカリキュラムもいくつか受けている模範的優等生。愛称、ミッキー。同じ学園内に妹がいる。

「――妹の方は小学生ですか?」
「いえ、同じ中等部の生徒です」
「だって幹は中等部の“一年生”なんでしょ?」
「う……」そうだった。一瞬つまる。「そうそう、双子なんです。双子の妹がいるんですよ」
たったいま決まりました(汗)

……愛称ミッキー。同じ学園内に、双子の妹がいる。学園外にもその名を馳せる天才的ピアニスト。

輝いたものは輝いたままで残しておきたいと幹は思う。
輝いたままで残しておけると幹は思う。
『光さす庭』という物語の主題は、追体験願望である。


第5話「光さす庭・フィナーレ」
追体験願望。
過去にこだわることの危険性。

たとえば彼は雨の夜に捨てられた一匹の子犬である。濡れて、凍えて、空腹だ。彼には、それはなにかまちがったものであるように思える。
暖かい部屋と毛布と食事に囲まれたいた時間――そう、ほんのついさっきまでの時間こそが、彼にとって正しい世界のあり方だから。
だが、目の前には、やはり冷たく暗い雨の街があるだけだ。
彼はどうすればいいのかわからない。どうしようもない。ただ、背を見せずに向かいあえば、彼にも現実を把握できる。潔さだけが、現実を把握するための武器である。

それには、ほんの少しの勇気がいる。
やがては彼も現実を思い知ることだろう。
しかし、現実を把握しても、失ったぬくもりは、やはりなつかしく思える。
とりもどさねば、と思う。
だがどれほど望んでも、昔そのものはけして戻ってはこない。
二度目は二度目であるという事実だけで、すでに違うなにかだ。
人間の生きる場所は、いつだって“楽園の外”である。

「どうして誰も」と幹は言う。「僕の輝くものになってくれないんだ」
再び光さす庭に帰れると思う幻想――。
『少女革命ウテナ』では、取り戻せないはずのなにかを取り戻せないはずのなにかを取り戻そうとするキャラクターの主題が、フラクタル・グラフのように、繰り返し描かれる。

失うことでなにかを得ること、成長とは“これまでの自分の死”であること、もがく自身の姿を一歩ひいた視点で楽しむ余裕……彼らがそこに到達できればと思う。


――To be continued……
少女革命ウテナ
スポンサーサイト
この記事のURL | 各話解説 (第1部:生徒会編 ) | TB(0) | ▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://kasira.blog97.fc2.com/tb.php/33-13a3b00f
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。