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「この世の『現実』 その名は姫宮アンシー」 榎戸洋司インタビュー
- 2007/06/02(Sat) -
榎戸洋司 (シリーズ構成) インタビュー
徳間書店「アニメージュ」 97年10月号より

――今月は、アンシーについて聞きたいんだけど。

榎戸:アンシーはね、「女の子を通して、現実を知るときの記号」なんだよ。

――ん。どういう意味なの。

榎戸:ウテナが「理想」を示していて、アンシーが「現実」を示しているんだ。
ウテナは、目的に向かって突っ走っていく感じの、分かりやすいキャラクターだよね。主人公的だって言ってもいいと思う。だけど、たぶん、この『少女革命ウテナ』という作品を『少女革命ウテナ』らしくしているのは、アンシーの存在なんだと思う。

――よく分からないな。アンシーと「現実」について、もう少し説明して。

榎戸:『少女革命ウテナ』について、他の作品にはない要素のひとつとして、幾原監督と考えたのが、アンシーの存在なんだ。アンシーはドラマの中に「現実」を入れていくための記号にしている。僕達は、それを意識的にやってるよ。
だから、アンシーが意外なシーンに登場したり、意味不明なことをやっていたりするのは、作品のテーマに関連していると、考えてくれていいんじゃないかな。

――具体的に言えば、第5話で幹にとっての「現実」の厳しさを、アンシーが体現していたとか、そういうこと?

榎戸:幹が自分のために戦っているのに「そこだ、ウテナ様やっちゃえ」なんて台詞を言っちゃうというのは、まさにそうだね。だから、あの話はアンシーのポジションが分かりやすいと思う。
第4話、第5話での幹は、アンシーを自分の思い込みを通して見ていて、その結果、彼女に「現実」を突きつけられたってかたちだよね。
でも、視聴者の中にも、あのラストを見て驚いた人がいると思うんだ。それは、あんなにアンシーに対して一生懸命な幹が、彼女に冷たくされるわけがないと思っていたからだよね。その驚いた人は、レベルこそ違うけど幹と同じように思い込みを通してアンシーを見ていたわけでしょ。

――ああ。視聴者も、幹と同様に、アンシーに「現実」を突きつけられたってわけなんだ。

榎戸:その狙いが上手くいってるかどうかは分からないけどね。そういうことを考えながら、作ってはいる。

――なるほど。

榎戸:アンシーを描いていて思うことがあるんだよ。アンシーは「現実」を象徴するキャラクターとして、僕らが感じている「現実」をなぞるように作っているんだ。だけど、実際に画面に現れているアンシーというキャラクターは、ものすごく非現実的というか、「こんな奴いるか!」と思うほど(笑)シュールなキャラクターになっているんだよね。

――これ以上ないくらい現実的なキャラクターのはずなのに(笑)。

榎戸:これは不思議だよね。そこから逆算して考えると、案外、僕達が「現実的だ」と思っていたような世の中の人達っていうのは「現実的」じゃなかったのかもしれない。

――キャラクターとしてのアンシーが「現実」を象徴すると同時に、彼女自身もリアリストなわけでしょ。

榎戸:そうだね。これ以上ないくらいのリアリストとして考えているね。

――つまり、「現実」に対して自分をごまかしていないっていうこと?

榎戸:うん。「現実」を全て認めてる。「現実」を認める強さを持っていると、ああなるんだ。

――「永遠が欲しい」とか「輝くものが欲しい」とか、そういうファンタジーに頼って生きているデュエリストとはまさしく対照的なわけだ。

榎戸:アンシーの内面って、作っている僕達にも全部は分からないわけだからね。それを探りながら描いていきたいと思っている。

――全部は、分からない?

榎戸:そりゃあ、そうだよ。だって、僕にも、幾原にも「現実」に関して分からないことがあるもの。この世界で生きていて、不条理に思えて、認められないことってあるわけじゃない。僕らが、それをなんとか見きわめたいと思っているからこそ、アンシーというキャラクターはああなったのかもしれない。

――つまり、アンシーを描くことは、「現実」を探ることなんだ。

榎戸:そうだね。

――『少女革命ウテナ』は、「理想」を求めて生きるウテナと、「現実」を直視して生きるアンシーの、二人のドラマだと考えていいの。

榎戸:基本的にはそうだね。現実的な登場人物と、理想を持っている登場人物の二人がぶつかるというのは、ドラマの作り方としてはオーソドックスだと思うんだ。
それで、どちらが相手に感化されるかということで、その作家のやりたいことが描かれるはずだよね。
つまり、「理想」を持っている人物が勝って「やっぱり、理想を信じて生きるのは素晴らしいんだ」と示して終わるドラマなのか、「やっぱり現実は厳しいんだ」と思い知らされるドラマなのか。

――アンシーを描く上でのポイントは何なの?

榎戸:「現実」の残酷さって、惹かれる部分があるじゃない。「知ると怖い」という部分と同時に「怖いのに惹かれてしまう」という部分があるじゃない。そういう魅力みたいなものを、女の子を通して描ければいいなと思う。
アンシーは何を考えているのか、それが分かると、ものすごく怖いようなんだけど、惹かれてしまうというか、惹かれずにはいられない。それは、普段はみんな気をつかって言わずにいてくれることを、スパッと言われてしまうような怖さなんだろうね。

――劇中で、アンシーに関して「これだ!」というシーンはある?

榎戸:例えば、月村了衛さんに脚本を書いてもらった第17話の最後で、アンシーが枝織に関して「あの人は全然、変わってませんよ」とコメントするよね。ウテナはピンときてないけど、あの一言には「ものすごく恐ろしい現実」が潜んでいるんじゃないかという気がする。

――あのラストシーンって、それまで暗くウジウジしてた枝織に友達ができて、一見、みんなを仕切ってるように見える。樹璃へのコンプレックスが憑き物が落ちたようになくなった……と見えるけど、アンシーは、そうなった彼女の本質を見抜いていたということ?

榎戸:コンプレックスを持っていた頃の枝織も、コンプレックスがなくなったように見える枝織も、どちらも本当の彼女じゃない。どちらも彼女がつけている「仮面」にすぎない。彼女にもっと奥があるってことが、アンシーには分かっているんだろうね。

――第2部「黒薔薇編」の最後で、馬宮がいきなり、アンシーに変わって終わったよね。あれは、どういうことなの。

榎戸:それについては、言わぬが花ではないかな(笑)。

――理由はどうあれ、アンシーは馬宮を演じていたわけだよね。

榎戸:そうだね。姫宮アンシーは「薔薇の花嫁」であったり、「千唾馬宮」であったりするわけだ。

――ということは、どこかで他の人間を演じてる可能性もあるわけだ。

榎戸:そうだね(笑)。

――それはアンシーにとっては「義務」なの、「使命」なの。

榎戸:「生き方」かな。

――なるほどね。

榎戸:今の枝織の話じゃないけど、明るい枝織と暗い枝織の、どちらかが仮面であるのかもしれないし、どっちも仮面でないのかもしれない。本人は仮面の下に、本当の自分があると思っているかもしれないけれど、本当の本当のことは本人も知らないのかもしれない。そういう本人も知らない素顔のことを、アンシーはよく分かっているんじゃないかな。だから、彼女は、普通よりもつけている仮面の数が多いのかもしれない。

――しかも、アンシーは意識的に仮面をつけているわけだ。

榎戸:ところで、現実にアンシーとウテナがいて、どちらかを恋人にしなくちゃいけないとしたら、どっちを選ぶ。

――二者択一なら、僕はアンシーだね。

榎戸:それは、なぜ。

――アンシーの方が面白そうだから。

榎戸:その気持ちは分かるな。アンシーって、女性としては華があると思うんだ。それは残酷な「現実」に惹かれてしまうという、さっきの話と関係するのかも知れない。
「現実」の残酷さを知っている女の人というのは、女としての華の部分が強いような気がする。

――それじゃあ、それに対するウテナの魅力って何なの?「現実」を知らないから汚れていないってことなの。

榎戸:アンシーは「現実」なんだけど、ウテナは、もしかしたら「現実」より強い「理想」がいるんじゃないかと思わせてくれる人間なのかもしれない。「現実」より強い「理想」が現れたらそこに革命が起こるわけだから。

――ああ、なるほど。タイトルの「少女革命」ってそういう意味なんだ。

榎戸:そうかも知れないね。

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