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「『世界』に挑む物語」 小黒祐一郎
- 2007/06/07(Thu) -
LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 9」封入特典・解説書より

『少女革命ウテナ』は、幾原邦彦を中心にした原作者集団ビーパパスが企画・原作を担当した作品である。と書くといかにも偉そうだが、実際にはそんなに格好のいいものではなかった。試行錯誤の連続だった。

私が、幾原君に「自分達の原作でアニメを作りたいから手伝ってくれないか」と声をかけられたのが1994年。当時の幾原君はあるアニメ制作会社のディレクターであり、私はアニメ雑誌で仕事をするフリーライターだった。幾原君としては、今までは会社から与えられた原作、企画でアニメを作ってきたが、今度は一から自分で作りたいという気持ちだったのだろう。それは、会社からの独立も意味していた。
私も、幾原君の仕事には興味があったし、自分の企画というのも面白いと思って参加させてもらうことにした。

自分達の原作でアニメを。それも、なるべくならテレビアニメを。勿論、成功させたかったし、真面目にやるつもりだったが、始めた時には、それは現実感のない、なかば夢物語だった。私は、プロジェクトが開始されてから自分達がしょい込むことになる責任等は、まるで考えてもいなかった。

私が最初に打ち合わせに参加したのは、1995年の元旦であった。
場所は都内のファミリーレストラン。その時のメンバーは幾原君と榎戸洋司さんと私。その段階で幾原君が提出した企画は『胸生女王竜UTENA』というタイトルだった。
具体的なストーリー等は提示されなかったが、主人公の女の子の名前がウテナで、その胸にメタリックな竜の頭がついていて、戦闘時に、その竜の頭部が伸び出てくる、というシチュエーションをやりたいと幾原君は主張した。
なんだか、わけがわからないなあと思いつつ、それはヒロイックファンタジーのような、SFアクションものなのだろうと思い、サンプルストーリーのようなものを書いたりした。
私も幾原君も、榎戸さんも、何をどうすればよいのかわからなかった。まずは、スタートさせてみたという感じだった。
最初に幾原君が根本のアイデアや、全体の方向性を示し、それを榎戸さんや私が肉づけしたり、アイデアを足したり、文章にしたりというかたちは、その後も変わらず、企画は進められることになる。

その後、企画は二転三転。最初に企画書らしい企画書にまとまったのは、OVAを狙ったスーパーヒロインものだった。これは幾原君と榎戸さんのアイデアを、最終的に私がまとめた。

この企画書でも、ヒロインの名前はウテナ。敵の名前は「世界の果て」。ウテナの恋人の名は鳳になっていた。
ただ、主人公はそれとは別にいた。ヒロインのウテナは高校生だが、何故か学園の片隅にある保育園で子供達の面倒を見ていて、実はスーパーヒロイン。「世界の果て」という名前のわけのわからないものが、毎回、保育園を襲い、変身してそれと戦う。
主人公は、やたら権力のある生徒会の会長(そういえば、すでにこの時にそういうキャラがいたのだ)に「お前のようなやつは、保育園からやり直してこい」と言われて、本当に保育園に行ってしまった男子生徒。彼は、自分と同じ年の保母さんであるウテナに恋するが、他の園児達と同じように扱われてしまう。
やがて、その保育園の子供達が、全てウテナが生んだ子であり、ウテナを妊娠させたのが鳳という男だということがわかる。ウテナは、鳳こそが、この世の究極の男性だと思っているが、実は鳳という人間は最初からいないらしいこともわかっていく。そして、最終回でいないはずの鳳が学園にやってくるらしいということになり……というもの。

今、文章にすると笑ってしまうような内容だが、勿論、これはこれで当時、一生懸命に考えた企画だった。OVAの企画なのだから、コアターゲットを考えた内容の方が、メーカーを説得しやすいと考えたのだ。
そして、正直に言うと、私自身は、バカバカしいけれど「世界の果て」等という象徴的な存在が出てきたり、どこか寓話的だったりする、この企画のバランスが好きだった、

ウテナも、「世界の果て」も、幾原君がこだわったネーミングである。実は、私が参加するよりずっと以前から、幾原君と榎戸さんはいくつかのアニメの企画書を書いており、その時からヒロインの名はウテナだったのだそうだ。
「世界の果て」は絶望の意味であり、あるいは可能性がない閉塞した状況や人のことであったようだ。企画をやっていた頃、幾原君は、よく「世界の果てを見た」とか、「くそう、世界の果てだ」等と口にしていた。また、幾原君は、ウテナはくじけない少女で、彼女が「世界」に挑む物語だ、と語っていた。

このスーパーヒロインものの企画書ができた直後に、幾原君が「男装の麗人もの」にしたいと言い出した。「宝塚歌劇的」というのもここから始まっている。その直後に、幾原君は、さいとうちほ先生のマンガと出逢い、その絵の魅力と主人公の生き方に惹かれ、この作家にキャラクター原案を頼みたいと言い出した。
企画は180度の方向転換をしていった。コアターゲットではなく、ポピュラーターゲットへ。幾原君は、さいとう先生の存在に、ポピュラーな企画を現実味のあるものにするために必要な、手応えのある何かを感じたのだろう。

同年、春。さいとう先生にコンタクトをとり、キャラクター原案を依頼することができた。さいとう先生は、どこかの会社の後ろ盾もなく、キャラクターのデザインを頼みたいのですがと近づいてきたアカラサマに怪しい私達に、好意的に接してくれた。幸運な出逢いだった。
この段階では、企画は『少女革命ウテナKiss』というタイトルだった。

5月にさいとう先生のキャラクター原案が完成。この前後に原作企画チームの「ビーパパス」という名前も決定している。ネーミングは幾原君によるものである。自分達の状況にあった名前だなと思ったが、照れくさいなとも思った。

『少女革命ウテナKiss』は、まだ、企画は変身美少女ものの色が濃かった。つまり、子供を対象にした作品で、玩具メーカーがメインスポンサーにつき、変身アイテム等の玩具が発売されるようなテレビシリーズとして考えていた。
男装の美少女戦士軍団が「世界の果て」という悪者と戦うという話で、一応、この段階でも鳳学園という学園が舞台だった。主人公は誰かとキスをすることで変身するという設定だったため、タイトルにKissという言葉が入っている。この変身のアイデアも、幾原君から出たものだったが、さいとう先生も、このアイデアをかなり気に入ってくれたようだった。子供向けと思われるかもしれないが、これなら子供にも受けて、アニメファンも楽しんで観られる作品になるのではないか、というバランスの企画だった。今、思えば、私達は、この頃の方が「大人の仕事」というやつを、やろうとしていたのかもしれない。

上に掲載したイラストを見てもらってもわかるように『少女革命ウテナKiss』では、主人公のウテナはショートヘアで、現在よりも凛々しい顔をしている。また、後の樹璃にあたるキャラクターが、この段階ですでにいる。名前も有栖川樹璃であり、現在とほとんど変わっていない。しかも、この段階でも、すでに想い人の写真をペンダントにいれているが、その写真は誰にも見せない、等の設定がある。何故か、彼女のキャラクターのみ、ほぼそのまま残ることになったのである。

この時点で「世界を革命する」という言葉は、もう企画書の中に登場している。すでに「世界」に挑み、「世界の果て」と戦い、「世界を革命する」物語だったわけだ。

同年、夏。出来上がった企画書を持って、私と幾原君はいくつかのビデオ会社や玩具メーカーへ持って行った。
スポンサー探しはなかなか上手くいかず、苦労した。寒い夏だった。私が『ウテナ』でいちばん苦労したのが、この時期だったと思う。ありがちな「うまくはいかなかったが、オレ達は頑張ったよな」等と、後で慰め合うようなことだけはやめようと、よく幾原君と話した。あるいは「(企画を通すための)手段は選ぶな」とも。
やがて、業界の右も左もわからずにウロウロしていた私達の前に、キングレコードの大月俊倫プロデューサーが現れた。

大月さんは、企画書をパラパラと見て、わずか数秒後に「いいじゃないの、これ。うちが力貸すよ」と言ってくれた。それは英断だった。何故なら、その時、大月さんも、まだ、『エヴァンゲリオン』の準備中だったからであり、ビデオメーカーがテレビのスポンサーになることは、まだまだ珍しいことだったからだ。後に、大月さんは企画の内容ではなく、幾原君にやる気を感じ、のる気になったのだと語ってくれた。

大月さんとの出逢いで、企画は一気に現実味を増した。
また、キスによる変身はやめることとなった。大月さんの提案で、ヒロインの髪はロングになった。少女物ではロングヘアーにしないと、視聴者である少女たちに与える「快楽」をそこなうからとのことだった。確かに、キング以外のスポンサーも、まだ企画に巻き込む必要があったのでそうした。そのほうが、企画に説得力があるように思えた。
そこで『少女革命ウテナKiss』の段階では、脇役であった(あまり男装の麗人らしくない)長髪のカワイコちゃんタイプの少女、蘭のルックスを主人公に使うことになった。それは、最初の企画書を見せた時に、大月さんが彼女を指して「このコがいいね。ボクは、このコが好きだな」と言ったことも理由のひとつになってる。
大月さんからは、8~10話分で話が1ブロックになるようにしてほしいという要望もでた。

企画の練り直しがはじまった。
季節はすでに秋になっていた。タイトルは『少女革命ウテナ』になり、小学館でのマンガ連載も決まっていた。
この秋から冬にかけて、何度も打ち合わせが行われ、様々なアイデアが出された。作品に直接関係ないような話も多かった。電話でのやりとりは毎日あった。物語や設定のことを考えるよりも、相手の考え方を知ったり、互いの距離をはかったりしていたのかもしれない。濃密な日々だった。

幾原君が主人公にガクランを着せるというアイデアを出した。これは、さいとう先生が『少女革命ウテナKiss』の企画書用に書いたイラストの1枚、男装の主人公の普段着のイメージイラストが元になっている。この時には、ガクランの色はピンクになるはずだった。事実、さいとう先生のマンガ版の前半では、ウテナはピンクのガクランを着ている。
また、幾原君は、ウテナと別にもう一人のヒロインを出して「2人の女の子の関係性」の話にしたいと言い出した。こうしてアンシーが生まれた。

アンシーの誕生は、幾原君が最初に主人公にこめようとした二つの個性を、どうしても、一人のキャラクターにまとめることができず、二つに割ってしまった結果であるらしい。
つまり、最初に考えられていたウテナは、現在のウテナとアンシーの両方の個性を持ったキャラクターだったわけだ。

決闘のアイデアは榎戸さんから出された。戦闘をやめて、デュエリスト同士の決闘にしようというのである。これは、さいとう先生がデュマの「三銃士」のファンであることから生まれたアイデアである。
この段階では、第1部はウテナがアンシーを守って戦うが、第2部にはアンシーも剣を持って戦うことになるというアイデアもあった。

『ウテナ』の企画は「引き算」と「足し算」で出来ている。
この頃は、いわゆる変身少女戦士もののパターンから、変身、必殺技、悪の組織等の、いかにもな要素を引き算する作業をしていた。その後、引き算しすぎたことに気がついて、慌てて足し算をしたりもしたが。その結果、スタートラインは変身少女戦士もの的であった企画が、変身少女戦士ものとはいえぬ不思議なものになっていった。『少女革命ウテナ』が『少女革命ウテナ』になっていったのだ。

1995年の大晦日から、1996年の正月にかけて、都内のホテルに泊まり込んで最終的な打ち合わせが行われた。
この合宿に参加したのは、幾原君、榎戸さん、さいとう先生の3人。私は、この段階ですでに、内容に関しては3人に任せるつもりでいたので、合宿には参加しなかった。
この合宿では、幾原君の体調がよくなかったこともあり、榎戸さんと、さいとう先生が中心となり、打ち合わせが進められた。薔薇の花嫁や決闘の掟等、設定や物語のおおよそのかたちが決められ、キャラクターの配置も決められた。デュエリスト達のネーミングは、榎戸さんが決めた。

この頃すでに、スタッフルームとなるビーパパススタジオは設立されており、長谷川眞也君はキャラクターデザインの準備を始めている。

年明けに、最終版の企画書を作成した。

1996年の春には、アニメ第1話の脚本がおおむねかたちになり、アニメの実作業も開始された。
さいとう先生が『少女革命ウテナ』のプロローグにあたるマンガ「バラの刻印」を月刊「ちゃお」に発表。つづいて、『少女革命ウテナ』の連載を開始する。

アニメの制作とマンガの連載は、互いにリンクし、影響を与えながら進んでいった。幾原君がJ.A.シーザーの合唱曲を使いたいと言い出したのが、1996年の暮れ。ガクランを黒にしたいと言い出したのも同時期だった。
舞台的な画面作りを、J.A.シーザーの合唱曲を、影絵少女を……、幾原君は自分で作った企画を、自分で演出することによって、自分の作品にしていった。幾原君の持ち味が足し算されはじめたのだ。
そして、脚本の作業が進むうちに榎戸さんの個性がより反映され、各スタッフのアイデアが入れられ、作品は膨らんでいった。

そして、1997年の春にテレビ放映が開始。
第1話で、アンシーが胸から剣を出現したのを見た時に、私は思った。そうか、最初に幾原君が言っていた、女の子の胸から竜が出現するというのは、こういうビジュアルだったのか。
企画のかたちは二転三転したけれど、幾原君がやりたいことは元旦にファミレスで話した時から、あまり変わっていなかったのかもしれないな、と思った。
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