スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
『ウテナ』Q&A 「CLIMAX前に考えておきたいこと……」
- 2007/06/30(Sat) -
シリーズ構成・榎戸洋司が数々の謎に答える。
角川書店「月刊ニュータイプ」97年11月号付録 「ウテナはてなUTENA」より

Q.デュエリストにとって、「エンゲージする」とは具体的にどういう状態の人間関係を意味するんでしょうか?
A.
花嫁を「所有する」という感覚ですね。だからウテナがこの決闘ゲームに怒りを感じているいちばんの理由もそれなんです。
たとえば第5話『光さす庭・フィナーレ』では、ウテナは薫幹と決闘しますが、その理由を考えてみてください。
ウテナは、幹とアンシーが交際すればいいんじゃないかと思っている。幹がアンシーを口説けるように応援もしている。では、決闘でわざと負けてやればよさそうなものだけど、それはしない。フェアに交際するのではなく、所有権によって自分の思いどおりにしようとする行為が、ウテナには絶対に許せないのです。

編集部:莢一も、幹と結果的には同じ「所有」を望んだことが敗因、ということなのだろう。
「エンゲージ(婚約)」=所有とは、前時代的な概念と思いがちだが、実は私たち自身も何がしかの約束に、所有にも余る執着を見ることがあるのでは?しかも大きな力が付いてくるとなれば、なおさらのこと。しかし莢一と幹、しぶとくアンシーへの執着を見せるところがよく似ている?



Q.「世界の果て」とは、まだ正体のわからない誰かが名乗っているとして、なぜ「彼」は「世界の果て」と名乗るのでしょう?
A.
自嘲的な気分かな。

編集部:うーむ、ひと言のもとに片付けられてしまった、自爆的な質問。しかし、「自嘲的」というからには、やはり誰か、人に違いない。すでに「ウテナ」ファンなら、あれかな、これかな、と考えも煮詰まってきているはず。もっとヒントがほしいのはヤマヤマだが……。
第3部に入るまでは、「世界の果て」と「城」が同一線上に並びそうで並ばない、微妙な位置関係にあったが、第3部に入ってからというもの、暁生の車に乗せられて「世界の果て」を見せられた(?)生徒会のメンバーが、自分の心の暗部に従わされて戻ってくるところを見るようになった。となれば、決闘の際にウテナに降りる、あの清冽な光に満ちたディオスとイコールで結べないようなのだ。ディオスが曇りのない光に属するとすれば、「世界の果て」は闇に属するようだ。また、そこには暁生が深くかかわっているようなのだが……。
「世界の果て」から指示を受け、暁生がアンシーに馬宮を演じさせていたとうこともそう。第23話『デュエリストの条件』で馬宮(=アンシー)が「『世界の果て』は、あなたに与えた役目は、もう終わったから」と口にしている。
とすればディオスと「世界の果て」は、対立関係になるのか、それとも別の因縁が存在するのか?
早く真実を知りたいと願う一方で、それはこの物語の終わりを意味することに悩まされる。「ウテナ」の物語と各キャラクターが内包するジレンマは見る者にも伝染するらしい。



Q.どうしても気になるところなのですが、ウテナ自身はこの物語の最後で、幸せになれるのでしょうか?
A.
幸せ?それはシンデレラ・ストーリー的な意味での幸せってこと?
ふふふふふ。
いや、すでにそういうシリーズでないことは、みなさん承知のうえなのでは(笑)。

編集部:と、言われることは、ハイ、承知してました。でも!聞いてみたくなるのが人情ではございませんか?
ということで、やはりいわゆるステレオ・タイプな「ハッピー・エンド」にはなりそうにない、ウテナの王子様探しの恋路。これだけ一生懸命なんだから、ぜひ幸せになってほしいと思うのだけれど。
ウテナがどのくらい一生懸命かといえば、第3部からの「ディオスの剣」の出現の仕方に注目。いままではアンシーの胸からウテナが抜いていたのだが、第3部からはなんと、ウテナ自身の胸から剣の柄が出現、アンシーがそれを抜き、ウテナに渡して決闘が始まるという流れになる。
つまり深読みも加えつつ解釈するならば、いままではアンシーの中の「ある力」を借りて、剣を形にしていたが、いまではウテナ自身の中で剣が形づくられるほど、ウテナの「力」が増大したのだ。
着実に力をつけて成長するウテナ。世界のために戦う日も近いかもしれない。さすが、ディオスが見込んだだけのことはあるかも。でも最後にウテナが戦わなくてはならない人物は、さていったい誰、そして何のためになのだろう?



Q.デュエリストたちがこだわりつづける「薔薇の花嫁」。この「花嫁」が意味するところは何なのか、教えてください。
A.
ひと言では言えないけれど、デュエリストとの対になる存在ではあります。
デュエリスト同士の関係というのは対立によってしか成立しないんですが、花嫁とだけは安心してつきあえる、それは所有しているという感覚があるからです。
「対立」と「所有」の2つでしか人間関係をとらえられないのが、デュエリスト。だから第9話『永遠があるという城』のラストの、冬芽のセリフなんかがあるわけです。

編集部:わが身に傷を負ってまで、莢一の凶刃からウテナをかばった冬芽。表面的にはまさに「王子様」的な行為に見えるが、それも莢一を追放するための方便だったとは、あきれかえった。しかも莢一は冬芽の幼なじみであり、ウテナをかばったのも「花嫁」を手に入れるための伏線だったとは!なかなかあっぱれな、立場の守り方ではあるが、しかし……。
「所有」という、人間性を無視した関係にしか安堵を見いだせないデュエリストという立場は悲しすぎる。「花嫁」の切り替えの早さこそが、「所有」の虚しさを浮き彫りにしているというのだ。だからこそ、デュエリストたちは「花嫁」の「所有」に固執せざるをえないのだろうか。戦いの場に身を置く彼ら自身も、「世界の果て」の意志や、「ディオスの力」の真実を計りかねているのだから。
「所有」も「対立」も超えた器を備えたデュエリストの登場を、「城」あるいは「ディオス」は待っているのではないか。真実は誰の口から語られるのだろうか?
スポンサーサイト
この記事のURL | Q&A | TB(0) | ▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://kasira.blog97.fc2.com/tb.php/60-3af887ac
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。