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月刊誌「ぱふ」掲載 幾原邦彦インタビュー
- 2007/06/30(Sat) -
雑草社「ぱふ」 98年01月号
『少女革命ウテナ』最終回直前特集より

――アニメーションの監督というのがいまひとつピンと来ないんですが、幾原監督は総監督としてすべての状況をコントロールしていると、そう考えてよろしいのでしょうか?

幾原:うーん。スタッフが自発的にこうしたいとか、ぼくにないアイディアっていうのを多分出したりはしてるけど、そのモチベーションはぼくが与えている。こういう刺激を画面から滲み出したいってことだけをスタッフに説明する。その刺激さえ感じさせてくれるなら、シチュエーションや題材はなんでもいい。ドラマのお膳立てやキャラクターデザインの形もそんなにはこだわらない。
まず、ぼくがモチベーションを投げかけているっていうのが第一。うまいこと自分の見たいものと形が合うようなものがスタッフから出てくると、それはいいねって、そんなこと言って(笑)。

――それは具体的に何かありますか?

幾原:具体的に何かあるかっていうと、ちょっとむずかしいかもしれないけど…。影絵少女っていうのは、いかにもぼくが考えそうだけど、あれは榎戸のアイデアで、どうせ幾原はこういうことするんでしょって、自分からキャラクターを出してきた。

――それぞれのスタッフにある程度は自由にやらせていると?

幾原:まあ、ケース・バイ・ケースですね。絶対的にコントロールしてるところもありますし。

――スタッフによっては、仕事が予想できたりとか…。

幾原:今回の企画をしているビーパパスってメンバーは基本的にそういうメンバーで選んでるから、割とアウンの呼吸みたいなものはありますよ。

――ウテナを作るためのメンバーがビーパパスという?

幾原:逆もありますけどね。このメンバーだからこういう企画だっていうのもありますよ。

――「さいとうちほ先生のイラストをみて作品のイメージが固まった」みたいなことがアニメ誌にありましたが、「少女革命ウテナ」以前からあたためていた作品なのでしょうか?

幾原:たたき、みたいなものはありましたよ、ある程度。ウテナという女の子が『世界の果て』と戦うというのはあったし、話のイメージはあまり変わってない。大まかなところは。さいとう先生に会って確信に変わった、ビジュアルが固まったというのはある。

――さいとう先生が入って、また少し変わったとかいうのは?

幾原:最初から組んでたライターとかアニメーターもいるわけだから、その中で幅が広がったというのかな。

――まんがとアニメとでは、どちらが原作というようなものはないと考えてよろしいのでしょうか?

幾原:ええ。

――では、根幹のストーリーをみなさんで考えられて、それにアニメの演出はこうで、まんがの演出はこうで、という感じですか?

幾原:それは、みなさんが考えているよりもっと複雑なリンクがあって、アニメの脚本が先行している場合もあるし、まんがのイメージが先行している場合もある。お互いに、相乗効果というか刺激しあっている。

――さいとう先生の影響というのは何かありますか?

幾原:刺激は受けました。たいていの作家さんは、キャラクターをモラルで裁こう、あるいは救済しようとするんですが、さいとう先生にそれはなかったですから。モラルって、実は作り手の都合なんです。いいとか悪いとかじゃなく、モラル(道徳)を出せば、裁かれる者と救済されるべき者が明確になるから、話を作るのが楽なんです。ぼくもそれには(モラルで話を作るのには)興味がなかったのです。そういう意味で、さいとう先生の作風は刺激になりました。

――「絶対運命黙示録」という曲が印象的ですが、ウテナに関してはJ.A.シーザーさんの影響は大きいですか?

幾原:それはないです。前からシーザーさんを使いたいなって漠然とは思っていたんですけど、今回の企画じゃないだろうと思ってたぐらいですから。もっとトバしたような作品で使うんだろうなって。でも、まさかこれにシーザーさんはないだろうと思ってた企画だからこそ、ぶつけたらおもしろいんじゃないかなって。「絶対運命黙示録」って歌を聴いたときに、エキセントリックな部分にずいぶん惹かれたんですよね。それに寄りかかってみるのもおもしろいなあって思ったんですよ。自分でも意図してないような、奇妙なムードっていうのが出るんじゃないかって。

――ウテナを企画するにあたって、特に影響を受けたものはありますか?

幾原:ある作品をモチーフにしたとかベースにしたとかいうのはないです。逆に、してたらもっとみなさまにわかりやすい作品ができたと思う(笑)。

――少女まんがが特に好きだったとか、そういうことは?

幾原:それはないですね。もちろん嫌いじゃなかったけど、そんなにめちゃめちゃ読んでるってこともない。

――ビデオ第1巻のライナーノートにあった、ロマンとロマンチックの違いというのを教えてください。

幾原:あまり細かく覚えてないけど、本来ロマンは男の子のものでロマンチックは女の子のものだと。でも、最近の男の子はみんなロマンチックだから、女の子でロマンを持ってるコがいてもいいんじゃないのって話をしたような気がする。ロマンというのは基本的に世界に挑むようなものでしょ。例えば「前人未到の頂に行ってやるぜ!」みたいな。

――――アニメ誌の連載で世界と自分について書かれてましたけど、上京したときは世界に挑んでたんですか?

幾原そんな自意識もなかった。戦うなんてとんでもない、この業界で生き残れるのだろうかって、そっちの方が重要な問題で(笑)。まあ、居心地悪いなとは思ってたけどね、当然。でも、それはどんな仕事でも、始めたばかりのときは誰もが感じることでしょ。

――その居心地の悪さをなくすことが世界と戦うということですか?

幾原:そういう言い方もできるけど、ひととおりの言葉では語れない。

――世界と戦うっていうのが一貫としたテーマということはありますか?

幾原:今まで立てたボツ企画というのをおさらいしたことがあったんですよ、榎戸と。すると、だいたい似たようなことをいってるの、無自覚だったんだけど。異常に閉塞的な状況におかれてそこから出る話とか、そういうのが多かったりね。やっぱり意識はしてたんだろうね。満たされない現実に作品で憂さを晴らそうという(笑)。

――卵の殻を破るという話ばかりを?(笑)

幾原:いや、それは言葉だけ聞くとすごく前向きな気がするけど、その単語が出るまでは随分かかってるね。そんな前向きじゃない(笑)。

――アニメ誌の連載で「世界の殻を破る」みたいなことを言ってましたね。第1話から生徒会メンバーは同じことを言ってましたが。

幾原:「読める漢字と書ける漢字の違い」みたいなことを言いたかった。ぼくも含めて、若い子ってそういう残酷な状況が世界にあるっていうことを頭では解ってるけど、それに抗う術を知らないっていうか。だからその術を我々は知らなきゃいけないのかなっていう。わりと当たり前の話です。

――ポイントとなるようなセリフは監督が考えているんですか?

幾原:ぼくが考えることもあるけど、だいたい最近は榎戸です。榎戸はぼくの好きなセリフのツボを得てますから楽(らく)してます(笑)。

――各話の中でのクライマックスの台詞も脚本家が考えてるんですか?

幾原:いろいろありますが、やっぱり「ここぞ!」ってところは、コンテ段階でぼくが書き加えちゃったりします。

――榎戸さんとのなれそめは?

幾原:学生のときの先輩です。ぼくは映画を撮ってて、榎戸は文芸部みたいなところでミニコミ誌を作ってて、スカした文章を書いてた(笑)。たぶん当時から榎戸の方が大人でしたね。ぼくの方が落ち着きないというか、恥をよくかきました(笑)。榎戸は恥かかないよなあ(←しみじみ)。
気持ち悪い言い方だけど、誤解しないでほしいんだけど、榎戸はもうひとつの自分の可能性だなと思う。ぼくもこういう人間になったかなと思えるような。実は今でも近親憎悪みたいなものが多分にあって(笑)。

――ウテナは人としての理想だとアニメ誌にありましたが。

幾原:こうありたいってキャラではあるでしょうね。今までぼくはちゃらんぽらんに生きてきたので、ウテナも自己投影でちゃらんぽらんなんだけど、ちゃらんぽらんなりにこうあってほしい、みたいな。そういう意味で理想です。

――ウテナ・理想、アンシー・現実、みたいにキャラクターをつくるときに何かを象徴させたんでしょうか?薫幹は純粋さ、とか。

幾原:すべてのキャラが自己投影なんです。どのキャラクターも、大人になれない決定的な弱点を持っている。その「弱点を持ってるが故に世界を変えられない」という部分が自己投影なんです。

――第4話と第5話の「光さす庭」前後編は、5話の途中まで女の子は死んでるのかと思いましたが(笑)

幾原:やっぱり死んでるんですよ。幹の心の中では。現在の梢は妹じゃないんですよ。幹には記憶の中の少女だけが梢で。

――鳳暁生はなぜあんなにモテるんでしょうか?(笑)

幾原:ぼくから見るとモテる男はみんなああ見える。なんかこう、残酷な感じがする。そして、あやしい感じが(笑)。カールスモーキー石井とか、残酷で、あやしくて、悲しくて、疲れてる感じがする(笑)。

――アンシーは監督の理想の女性なんですか?

幾原:そうですね。

――では、理想のカップルは暁生とアンシー?

幾原:ある意味でね。めちゃめちゃいいですよ。

――アンシーのどのあたりがグーなんですか?

幾原:だって、お兄さんには徹底的に優しいじゃないですか。あれはぼくもグーですよ。何でもしてくれるじゃないですか。暁生って、王子様になりそこなった人ですよね。つまりある意味では、敗北者なわけです。
アンシーは、暁生が昔、ものすごくがんばって、それでも敗けてしまったかわいそうな人だと知っていて、なぐさめてくれているんです。女の子まで用意してくれる(笑)。そこまでやってくれる女の子はちょっといないでしょう。これはもう理想ですよ(笑)。

――ギャグ編は、ウテナの世界観としてありなんですか?(笑)

幾原:ありですよ、かなりあり。

――暁生と冬芽のベッドでのシーンは何をしていたんでしょうか?(笑)

幾原:それは想像してるとおりですね。想像すればするほど核心に近づけます(笑)。暁生はみんなの兄貴ですから、そういう差別はしないですよ。男だとか女だとか動物だとか。みんな車に乗せてやる(笑)。

――決闘広場は第3部に入ってから高くなってませんか?

幾原:そういう描写をしようと思ったけど、やめたんですよ。その名残じゃないですか。勝てば勝つほど決闘場が城に近づく。本当は城が下がってくるんだけど。

――暁生と冬芽は子供のころ出会ってたんでしょうか?

幾原:出会ってたんじゃないでしょうか。ご想像におまかせしますよ。

――生徒会メンバーというのは暁生が集めたんですか?

幾原:そうですね。

――生徒会は、去年はどうなっていたんですか?(笑)

幾原:冬芽は高校生だから生徒会長でも大丈夫だし、樹璃鳳学園だからいてもおかしくないし。あ、でも幹はいなかったのか?(笑) ああ、春から生徒会に入ったから、他のキャラより最初さめてたのかも?(笑) でもカンガルーが出てくるような作品で、みんなまだそんなこと心配してるの?(笑)

――暁生は車から出ちゃうのに、よく曲がれるなとか(笑)。

幾原:年をとらないってことは、可能性未来が永遠するってことですよね。もしかしたらAという人生、あるいはBという人生があるかもという。ぼくはある種のステイタスを持つ人間は、そのような特権的な快楽を同時に持つものだと思っているのです。
暁生は、王子様になれないと解った瞬間、自分の時間を止めてしまったんでしょう。かわりに今度は、ある種のシステムで人工的に王子様になろうとしているのだと思います。

――影絵少女こそが本質である、みたいなことを榎戸さんがいってましたが、そうなんですか?

幾原:それは別に榎戸がいわなくても、誰が見てもそうでしょ、今や。

――最後までアンシーの心理描写はないままですか?

幾原:いやありますよ。でもこれはオフです(笑)。

――ラストに関して、簡単に煽ってください。

幾原:くり返しますが、この物語のキャラクターたちは、それぞれ世界に対して決定的な弱点を持っています。ウテナも33話・34話で、その弱点を露にしました。彼女はその弱点を抱えつつ、徹底的に残酷な世界に対して、友情という名の甘美な理想を貫こうとします。衝撃のラストシーンを見せますよ。
ある種の人たちにとっては不快なラストかもしれませんが、ぼくにとって、それはひとつのロマンの形態なのです。ロマンチックではなく、ロマンの。

――ありがとうございました。
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