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「荒行 1997」 細田守インタビュー 
- 2007/10/15(Mon) -
フリースタイル出版 「フリースタイル Vol.7」
特集・細田守ロングインタビュー内「荒行 1997」より
――アニメ業界も『新世紀エヴァンゲリオン』などで活況だったころですね。

細田:このころ、『セーラームーン』のヒットで一躍若手注目ナンバーワンになった幾原邦彦さんが、『セーラームーン』のシリーズディレクターを第四期で退いて独立し、オリジナルの作品『少女革命ウテナ』を立ち上げました。
金子さんが副監督にならないかって誘われて、演出試験を受けないまま東映を辞めて、『ウテナ』に参加していきました。

――『ウテナ』といえば、絵コンテで橋本カツヨさんが参加されていますね。

細田:ええ。やはり僕の親しい友人の一人(笑)。橋本カツヨが『ウテナ』の打ち合わせに行ったとき、すでに五話の前半まで絵コンテが上がっていたんですよ。
幾原さんに六話から十話ぐらいまでのシナリオを見せられて、「どれでも好きなのをやっていいよ」って言われて、一番面白いと思った七話「見果てぬ樹璃」を選びました。いまから思えば、どこの馬の骨かわからない橋本カツヨに、幾原さんもよくやらせたと思いますけどね(笑)。

『ウテナ』での幾原さんからコンテマンたちへの指令は、「枚数を使わずに、もしくは作画の力に頼らずに面白いものにしろ」ということでした。それをふまえて描かれたであろう、五話の錦織博さんのコンテは、目から鱗が落ちまくりでした。
バルコニーのある生徒会室。シーンの冒頭から片隅になにげなくリンゴが置かれている。生徒会のやりとりがあって、シーン終わりでまたカメラはリンゴを映す。だがリンゴはなく、かわりにウサギがいる。ウサギは兎型に切られたリンゴなんです。「リンゴ」という事物の本質は変わらないまま、一瞬で「ウサギ」というまったく別の形象に転換した。この鮮やかさ。明快な切れ味。これはすごい。それもセルたった二枚で。なんというコストパフォーマンス。

こういうことをやっていい作品なんだって思って嬉しくなって、ライバル心をかき立てられた。やるからには自分も負けていられないと、脳みそを絞り出すような勢いでコンテのコマを埋めていきました。
七話を終えて、むさぼるように十四話、二十話、二十三話とやってるんですが、コンテに没入すればするほど、体にある変化が起こってきた。だんだん髪の毛が抜けていったんですよ。

――ストレスですか。

細田:円形脱毛症ですね。それが頭皮のあちこちに出来てしまって、脱毛が止まらない。髪の毛を掴むとガバッと抜けるぐらい。ある日、コンテの打ち合わせから帰ったら、金子さんから「大丈夫ですか」って電話があって、「え、なんですか」って言ったら、「座ってたソファの周囲にだけに髪の毛がいっぱい落ちてた」って言われた。

――えっ。

細田:どんどん抜けていく。止まらないんです。最終的には4/5が抜けました。ほとんどの髪の毛が抜けたんです。病院に行きましたもん。日大病院。「どこかで放射能浴びたんでしょうか」って(笑)。比喩じゃなく髪の毛がゴボウのように簡単に抜けていって、あんまり醜いから、風呂場で全部剃って、あとはずっと帽子をかぶらざるを得なかった。幾原さんは「俺のせいじゃないよ。これウテナのせいじゃないよなあ」って言ってたけど(笑)。

『ウテナ』で一番最初にやった七話に出てくる有栖川樹璃ってキャラクターを、まるで自分の分身であるかのように思い入れしてやったんですね。というか、そこまで思い入れしてやらないと、コンテマン同士の戦いに敗れてしまう。勝つには、なりふり構っていられなかったんです。一生帽子を脱げないと考えるとその後の人生に絶望したんですが、それでも目の前のコンテ勝負に負けるわけにはいかなかった。

ところがです。二十九話の「空より淡き瑠璃色の」は、樹璃っていうキャラクターに決着がつく完結篇なんですが、この話のコンテが終わったときから、突然モワーッと髪の毛が生えだした。「おもちゃの床屋さん」みたいに(笑)。粘土が入ってて、ボタンを押すと粘土の髪の毛がニューと押し出されてくるおもちゃみたいでした。
人間の身体って、わかりやすいね。樹璃話が終わったら生えてくるんだもん。

――二十九話は脚本も橋本さんが担当なんですか。

細田:はっきりと元の脚本が気に入らなかったんです。これは樹璃じゃないって。樹璃はこんな感じで終わらせちゃいけないって幾原さんに言ったら、「脚本家に戻してる時間はないから、やるんだったら自分で新しいのを書きなさい。でもコンテのスケジュールは変わらないからね」って言われた。それで脚本をまったく見ずに、いきなりぶっつけでコンテを描いたんです。
放映されたら脚本家のクレジットが元の脚本家の名前ではなく、「白井千秋」って名前になってました。

――結局、髪の毛が抜けたのは樹璃のせいということですか。

細田:やっぱ『ウテナ』のせいじゃん(笑)。明らかに樹璃の呪縛だったんですね。この経験のせいか、『ウテナ』で一番修行をしたというか、荒行をしたっていう気分がありますね。強いプレッシャーの中で仕事を続けた。そういうことが髪の毛に現れたのかもしれない。でも、これで表現を絞り出していく力に自信がついたし、一方でどうやって絵コンテで現場に伝えるか、演出としてどうやって省力化をはかりながら絵コンテを描いていくかという実際面も、ここでずいぶん勉強しました。
幾原さんの「枚数を使わずに面白いものにしろ」という指令の意味も、やっていくうちにわかってきました。幾原さん自身も、『セーラームーン』をセル画二千五百枚で作ったんですよ。

――テレビアニメは最低三千枚必須というところを、二千五百枚だったんですか。

細田:『ドラゴンボール』は三千五百枚で、『スラムダンク』が三千枚。でも『セーラームーン』は二千五百枚だったそうです。『セーラームーン』は受注額が他の作品より少なかったらしい。
でもその制約のなかで、手間をかけずに見事に面白く作って人気を博していた。こういうことを出来るのが本当の演出なんだと幾原さんは言うんです。
だから、『ウテナ』では絵コンテのなかに「ここは止め絵」だとか、「ここは止め絵で口パク」だとかを明示して描きました。そうやってなるべく製作現場に負担を強いらせないことが、結果的には、むしろ現場に絵コンテの意図が明確に伝わる。制約をはっきりと自覚することで、逆に絵コンテは限られたなかで面白いことを必死でひねり出せるし、それが結果的に新しい表現につながるんです。
幾原さんのこういう考え方は、非常に納得したし、すごく勉強になりました。『ウテナ』では、絵コンテで現場をコントロールしつつ、同時に面白さを保証するっていうことを鍛えられました。……と、橋本から聞いています(笑)。
 
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